スケッチの傾向
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 07:42 UTC 版)
「空飛ぶモンティ・パイソン」の記事における「スケッチの傾向」の解説
スケッチの台本制作は大まかには2つのライティング・チームである『クリーズ・チャップマン組』、『ペイリン・ジョーンズ組』、そして『アイドル単独』に分けられ、これにスケッチは書かない『ギリアムのアニメ』が加わりそれらを組み合わせることで一話の構成をなしている。台本の読み合わせ会議では、お互いが台本を読むタイミングや内容などを考慮しあう一種の駆け引きが行われ、お互いが自分のスケッチをよく見せようと攻防を繰り広げていたという。彼らは一見まとまりのないバラバラのスケッチに、アイデアを付け足して統一感をもたせ、それをギリアムのアニメでつないで番組を作り上げていた。 ケンブリッジ大卒でもあるクリーズ・チャップマン組はきっちりとした構成の中にバカバカしさを潜ませるものを得意とし、舞台設定としては机やカウンターを挟んで二人の男が会話する、といったものが多い。彼ら自身が軍人や医師といった権威の側に立っている役(しかし彼らの振る舞いがバカバカしく描かれる)として登場するものはほぼ彼らの作と見ていい。彼らの作品は対立構造をはっきりと描いており、登場人物が互いにセリフの応酬をぶつけ合う、言葉重視でロジカルなのが特徴である。 それと対照的なのがオックスフォード大卒のペイリン・ジョーンズ組の作りで、はっきりとバカバカしさを土台としたビジュアル重視の作りになっているものが多い。街の風景がパンする映画的な出だしのものや、一般的な家庭が舞台で、彼らがペッパーポットを演じていたりする場合は彼らの作の場合が多い。 オックスフォードとケンブリッジ、歴史的にも古いこの二つの大学の対比をOBでもある彼ら自身が醸しているともいえよう。ちなみにこの両校にはそれぞれ「オックスフォード・レビュー」と「ケンブリッジ・フットライツ」という歴史のあるコメディ・サークルが存在し、彼らをはじめとするイギリスを代表するコメディアンのほとんどが学生時代にここで腕を競い合い、後にコメディ業界へと身を投じている。 この二組と一線を画しているのがアイドル(ケンブリッジ大卒)の単独作で、自らも作曲をこなすアイドルらしく、意味なくミュージカル仕立てなものは彼の作と考えられる。しかし彼の真骨頂は言葉遊び(Word Play)の込められたスケッチで、演者が早口でまくしたてるものや映像にしにくいものを台詞として表現することで笑いにするものは彼の作と考えられる。とくに「映像にしにくい〜」タイプのものはまくしたてる台詞を見る側の想像力を喚起させる事でその表現の違和感を笑いにするといった、日本の落語でいう所の『頭山』のような不条理さを感じさせながら笑わせる秀逸なものが多い。シチュエーションとしては、ニュースキャスターや本の読み手といった、カメラに向かって語りかけるようなモノローグが多く、内容としてはしゃべっているうちに辻褄が合わなくなるものや、単純にダブル・ミーニングやアナグラム等を使ったワンライナー・ジョーク的なシンプルで短いものが多い。 唯一のアメリカ人でもあるギリアムの切り絵のストップモーション・アニメに関しては古い絵画や19世紀末頃の撮影と思われる様々な普通の人物の写っている写真、または自らの描いた絵を利用して、おかしな動きをさせたり、変なキャラクターと組み合わせたりしているものがほとんど。ペイリン・ジョーンズ組のスケッチすら日常の風景に即していながらバカバカしい要素を混ぜ込んでいるスタイルをとっているが、ギリアムのアニメはその日常そのものがなく、最初からバカバカしい不条理さ、異常な光景がさも当たり前のように存在している。また、彼のアニメは主にスケッチとスケッチの間のリンク(つなぎ)を担当しており、スケッチを流れよくまとめる上で重要な役割を果たしている。ギリアムは美術館の絵画や彫刻(著作権がないため使いやすかったという)、BBCにある資料を使い、それに効果音やメンバーの声を入れてアニメを制作していた。予算がないためアシスタントは雇えず、ギリアムは1話分のアニメをたった2週間で一人で作り上げていた。徹夜もしばしばだったという。
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