スカイ・ボルト
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/06 08:32 UTC 版)
アトランタ・ブレーブス(マイナー) | |
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基本情報 | |
国籍 | ![]() |
出身地 | ジョージア州アトランタ |
生年月日 | 1994年1月15日(30歳) |
身長 体重 |
6' 2" =約188 cm 180 lb =約81.6 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投両打 |
ポジション | 外野手 |
プロ入り | 2015年 MLBドラフト4巡目 |
初出場 | 2019年5月3日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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国際大会 | |
代表チーム | ![]() |
この表について
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スカイ・マイケル・ボルト(Skye Michael Bolt, 1994年1月15日 - )は、アメリカ合衆国ジョージア州アトランタ出身のプロ野球選手(外野手)。右投両打。MLBのアトランタ・ブレーブス傘下所属。
経歴
プロ入り前
2012年のMLBドラフト26巡目(全体804位)でワシントン・ナショナルズから指名されたが、この時は契約せずにノースカロライナ大学チャペルヒル校へ進学した。大学では2013年に第39回日米大学野球選手権大会のメンバーとして来日している。
プロ入りとアスレチックス時代
2015年のMLBドラフト4巡目(全体128位)でオークランド・アスレチックスから指名され、プロ入り。契約後、傘下のA-級バーモント・レイクモンスターズでプロデビュー。52試合に出場して打率.238、4本塁打、19打点、2盗塁を記録した。
2016年はA級ベロイト・スナッパーズでプレーし、101試合に出場して打率.231、5本塁打、37打点、10盗塁を記録した。
2017年はA+級ストックトン・ポーツでプレー。114試合に出場して打率.243、15本塁打、66打点、9盗塁を記録した。
2018年はA+級ストックトンとAA級ミッドランド・ロックハウンズでプレーし、2球団合計で124試合に出場して打率.260、19本塁打、69打点、19盗塁を記録した。オフにはアリゾナ・フォールリーグに参加し、メサ・ソーラーソックスに所属した。11月20日にはルール・ファイブ・ドラフトでの流出を防ぐために40人枠入りした[1]。
2019年5月2日にメジャー初昇格を果たし[2]、3日のピッツバーグ・パイレーツ戦でメジャーデビュー[3]。この年メジャーでは5試合に出場して打率.100だった。
2020年は新型コロナウイルスの影響でマイナーリーグの試合が開催されず、メジャーにも昇格しなかったため、公式戦の出場は無かった。
ジャイアンツ時代
2021年4月5日にウェイバー公示を経てサンフランシスコ・ジャイアンツへ移籍した[5]。ジャイアンツでは2試合出場しただけで、4月30日にDFAとなった[6]。
アスレチックス復帰
2021年5月5日にウェイバー公示を経てアスレチックスへ移籍した[7]。2022年オフの11月10日にFAとなった。
ブルワーズ傘下時代
2023年1月28日にミルウォーキー・ブルワーズとマイナー契約を結び、同年のスプリングトレーニングに招待選手として参加することになった。(同日中にAAA級ナッシュビル・サウンズに配属) しかし、メジャーに昇格することは無く、9月24日に自由契約となった。
ブレーブス時代
2024年2月23日にアトランタ・ブレーブスとマイナー契約を結び、同日中にAAA級グウィネット・ストライパーズに配属された[8]。
詳細情報
年度別打撃成績
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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2019 | OAK | 5 | 11 | 10 | 1 | 1 | 1 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 3 | 0 | .100 | .182 | .200 | .382 |
2021 | SF | 2 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 |
OAK | 32 | 59 | 56 | 5 | 5 | 1 | 0 | 1 | 9 | 4 | 2 | 0 | 2 | 0 | 1 | 0 | 0 | 14 | 0 | .089 | .105 | .161 | .266 | |
'21計 | 34 | 60 | 57 | 5 | 5 | 1 | 0 | 1 | 9 | 4 | 2 | 0 | 2 | 0 | 1 | 0 | 0 | 15 | 0 | .088 | .103 | .158 | .261 | |
2022 | 42 | 116 | 106 | 10 | 21 | 2 | 0 | 4 | 35 | 13 | 5 | 0 | 0 | 1 | 7 | 0 | 2 | 30 | 1 | .198 | .259 | .330 | .589 | |
MLB:3年 | 81 | 187 | 173 | 16 | 27 | 4 | 0 | 5 | 46 | 17 | 7 | 0 | 2 | 1 | 9 | 0 | 2 | 48 | 1 | .156 | .205 | .266 | .471 |
- 2022年度シーズン終了時
背番号
- 49(2019年、2021年6月2日 - 同年終了)
- 65(2021年 - 同年4月29日)
- 11(2022年)
代表歴
- 第39回日米大学野球選手権大会アメリカ合衆国代表(2013年)
脚注
- ^ Alex Hall (2018年11月20日). “Oakland A’s add 4 prospects to roster, and acquire another” (英語). SB Nation. 2022年3月6日閲覧。
- ^ Steve Adams (2019年5月2日). “AL West Notes: Bolt, Rangers, Seager” (英語). MLB Trade Rumors. 2022年3月6日閲覧。
- ^ “Oakland Athletics at Pittsburgh Pirates Box Score, May 3, 2019” (英語). Baseball-Reference.com. 2022年3月6日閲覧。
- ^ Steve Adams (2021年4月1日). “A’s Select Jed Lowrie, Place Trevor Rosenthal On IL, Designate Skye Bolt” (英語). MLB Trade Rumors. 2022年3月6日閲覧。
- ^ Connor Byrne (2021年4月5日). “Giants Claim Skye Bolt, Designate Ashton Goudeau” (英語). MLB Trade Rumors. 2022年3月6日閲覧。
- ^ Connor Byrne (2021年4月30日). “Giants Select Zack Littell, Designate Skye Bolt” (英語). MLB Trade Rumors. 2022年3月6日閲覧。
- ^ Steve Adams (2021年5月5日). “A’s Acquire Skye Bolt” (英語). MLB Trade Rumors. 2022年3月6日閲覧。
- ^ Anthony Franco (2024年3月5日). “Braves Sign Skye Bolt To Minor League Deal” (英語). MLB Trade Rumors. 2024年3月6日閲覧。
関連項目
外部リンク
- 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)
- Skye Bolt stats MiLB.com (英語)
スカイボルト (ミサイル)
(スカイ・ボルト から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/26 09:35 UTC 版)
スカイボルト(ダグラス GAM-87/AGM-48 Skybolt)は、1950年代後半にアメリカ合衆国で開発されていた空中発射弾道ミサイルである。
概要
弾道ミサイルの実用化は、それまでの戦略爆撃機に対して飛躍的な長距離戦略攻撃力をもたらしたが、初期の弾道ミサイルの最大の欠点として、秘匿と敵の先制攻撃に対する防護が不十分なことがあった。1950年代においては核弾頭の至近炸裂に耐えうる対爆発射設備(ミサイルサイロ)がまだ開発されておらず、アメリカ空軍の露天・固定配備の弾道ミサイルは生存性に対して大いなる疑問が持たれていたことから、弾道ミサイルに高い秘匿性と生存性を持たせるべく発案されたのが“空中発射弾道ミサイル”という兵器システムである。
これは、爆撃機に搭載され、空中で切り離された後に点火、飛行する中距離弾道ミサイルである。弾道ミサイルを航空機に搭載すれば、一旦離陸して空中待機体制に入れば、常時その所在地を変更することができるために秘匿性が高く、敵の先制核攻撃に対しても高い生存性があると考えられていた。また、大陸間弾道ミサイルの実用化によりその存在価値を大幅に減じることになる戦略航空軍団(アメリカ空軍戦略爆撃機部隊)にとっては、大型爆撃機の新たな任務運用法として注目された。
しかし、開発にあたり技術的困難が多く、開発に伴う一連のテストが失敗し、これが原因で開発計画が中止された。スカイボルト計画に参加していたイギリスは、次期核ミサイル計画がなくなることにより、その核戦略に大きな問題が生じ、外交関係に影響を与えた。
“空中発射弾道ミサイル”という兵器システムに関する研究はその後も継続されたが、1960年代に入り、十分な対爆防護能力を持ち、弾道ミサイルを即時発射可能な状態で待機させることができる地下施設であるミサイルサイロが実用化されたことから、以後の研究はキャンセルされた。
開発
1958年にアメリカ合衆国のいくつかの企業が、戦略爆撃機に搭載して高高度で発射される大型弾道ミサイルのデモンストレーションを行った。このミサイルは、アメリカ海軍の潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)と同様に中間行程で天測航法を併用する慣性航法装置を使用し、既存の地上配備のミサイルと同等の命中精度を持っていた。このシステムは、アメリカ空軍の興味を惹き、1959年には開発計画の入札が行われた。同年5月26日、ダグラス・エアクラフトが主契約者となり、サブコントラクターとしてノースロップのNortronics部門(誘導装置)、エアロジェット・ジェネラル(推進装置)、ゼネラル・エレクトリック(再突入体)などの企業が開発に参加した。計画は、最初に兵器システムWS-138Aとして始まり、1960年にはGAM-87 スカイボルトの名称が与えられた。
同じ頃、イギリス空軍(RAF)は、ブルーストリークとして知られる中距離弾道ミサイル開発計画に問題を抱えていた。ブルーストリークの開発は、計画の遅延と予算超過のみならず、英国諸島でミサイルサイロとして利用可能な地域は、仮想敵国であるソ連にとって容易に発見/攻撃が可能であることを意味した。RAFは、スカイボルトが地上配備ミサイルより安全であり、同時に増大するソ連防空軍(PVO Strany)の防空圏の外から使用できる長射程のスタンドオフ兵器として、RAFの3Vボマーのプレゼンスを維持することができると考えた。この事は、開発中の高価なブルースチール Mk.II空対地ミサイルが必要無くなる事を意味した。当時の英国首相ハロルド・マクミランは、アメリカ合衆国大統領アイゼンハワーと会談し、RAFが144基のスカイボルトを購入することに合意し、そして、ブルーストリーク、ブルースチール Mk.IIは両方ともキャンセルされた。
1961年1月には、アメリカ空軍のB-52Gによる投下テストと、バルカンB.Mk.2爆撃機の試作機XH537を使用したモックアップミサイルによる互換性試験が始まった。1962年4月にはロケットエンジンと誘導装置を搭載した発射テストが始まったが、最初の5回の発射テストは全て失敗に終わった。1962年12月19日にケネディ大統領によってスカイボルトの開発計画中止が決定され、量産は中止された。その直後の12月22日に最終となる発射テストが行われ、その試験は成功を収めている[1]。
この決定は、英国から信頼性のある核抑止力を奪うこととなり、“スカイボルト危機(Skybolt crisis)”と呼ばれる外交問題になった。開発と実射試験に関する資料は出資に応じた成果として英国に提供されたが、英国は、米国防長官ロバート・マクナマラの発案によるポラリスSLBMの導入に同意し(ナッソー協定)、主要な核抑止力の担い手をRAFからイギリス海軍へ移した。RAFは、V-爆撃機や後のパナビア・トーネード攻撃機に搭載するWE.177戦術核爆弾の運用能力を保持しつづけた。
計画中止後も、残ったXGAM-87A ミサイルを用いて限定的な飛行テストが続けられた。1963年6月に、XGAM-87AはXAGM-48Aに改称された。
スカイボルト | ポラリスA1 | タイタンI | |
---|---|---|---|
種類 | 空中発射弾道ミサイル | 潜水艦発射弾道ミサイル | 大陸間弾道ミサイル |
開発開始 | 1959年 | 1956年 | 1955年 |
射程 | 1,850km | 2,200km | 11,300km |
重量 | 5,000㎏ | 13,100kg | 105,140kg |
備考 | 1962年開発中止 | 1961年配備開始 | 1962年配備開始 |
構成
GAM-87 スカイボルトは、エアロジェット・ジェネラル製の二段式固体燃料ロケットで飛翔する中射程の弾道ミサイルで、全長11.66m(38feet 3inch、テイルコーン含む)、全幅1.68m(5feet 6inch)、ミサイル本体の直径89cm(35inch) 、発射重量5,000kg(11,000lb)、射程1,850km(1,150mile)だった。弾頭は、核出力1.2MtのW59核弾頭を搭載したMk.7型再突入体を一基装備する単弾頭ミサイルだった。第一段ロケットの燃焼が終了したあと、第二段エンジンが点火するまでのしばらくの間、スカイボルトは滑空飛行する。第一段の末尾に8枚の尾翼があり、うち4枚が可動であり、その空力制御により誘導を行う、第二段の制御は可動ノズルによって行われた。
アメリカ空軍では、B-52Gが翼下の並列パイロンに二基ずつ、合計四基のミサイルを搭載し、英国ではアブロ バルカンB Mk.2爆撃機が両翼に一基ずつ、合計二基のミサイルを搭載する計画であった。パイロンに取りつけられたミサイルは空気抵抗を減らすために尾部にテイルコーンが取りつけられているが、これは、搭載機からミサイルが投下されると分離する。
脚注・出典
- ^ 世界の傑作機72 アブロ・バルカン p71 文林堂 ISBN 4-89319-069-5
関連項目
外部リンク
スカイボルト
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/11 07:15 UTC 版)
1950年代を通じて有人爆撃機は核兵器を運搬する主要な手段であり続けた。イギリスの核開発計画においても同様に、3V爆撃機戦力によって核兵器を運搬するものとされ続けた。しかしながら、1950年代後半に有効な地対空ミサイルが登場したことにより、有人爆撃機と自由落下式核爆弾による戦略核戦力はその有用性を大きく損なうことになった。イギリスは当初、この問題をブルースチール巡航ミサイルおよびブルーストリーク中距離弾道ミサイルによって解決しようとした。しかしどちらの兵器にも問題があり、ブルースチールは、真に効果的であるためには射程が短過ぎるうえ、酸化剤に高濃度過酸化水素を使うことから維持が困難であった。一方のブルーストリークはソビエトの爆撃機ないし弾道ミサイルによる攻撃にさらされるという問題があり、その発射サイロを秘匿するにはブリテン島は狭すぎた。 よりよい解決策として登場したのが、アメリカのスカイボルト・システムの導入であった。スカイボルトはブルーストリークの射程とブルースチールの可搬性を備えており、ヴァルカン爆撃機に2基を搭載できるほど小型であり、3V爆撃機におよるイギリスの抑止能力を大幅に改善することが見込まれた。1960年、マクミランはアメリカ大統領ドワイト・アイゼンハワーからスカイボルトを購入する許可を得た。
※この「スカイボルト」の解説は、「ナッソー協定」の解説の一部です。
「スカイボルト」を含む「ナッソー協定」の記事については、「ナッソー協定」の概要を参照ください。
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