シンボリック相互作用論における「前提」「人間観」「社会観」「方法論」とは? わかりやすく解説

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シンボリック相互作用論における「前提」・「人間観」・「社会観」・「方法論」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 16:42 UTC 版)

シンボリック相互作用論」の記事における「シンボリック相互作用論における「前提」・「人間観」・「社会観」・「方法論」」の解説

ブルーマーによればシンボリック相互作用論は以下の3つの基本的前提」を共有するパースペクティブを指す(Blumer 1969: 2=1991: 2)。 人間は、ある事柄自分にとって持つ意味にもとづいて行為する。 そうした事柄の意味は、その人間がその相手執り行う社会的相互作用から発生するないしは導出される。 そうした事柄の意味は、その事柄に対処する際にその人間が活用する解釈過程(=自分自身との相互作用)の過程通じて取り扱われたり、修正されたりする。 人々日常生活において、身のまわり現実構成する様々な事物(「事柄」(thing))に種々の「意味」(meaning)を付与しながら(あるいは前もって付与した上で)、その現実働きかけ(=行為社会的行為)を行っている(第1前提)。換言するならば、人間は、自らと現実との間に「意味」をはさんで生活している、とも言えるブルーマーは、そうした意味が付与され事物を「対象」(object)と、その対象からのみ構成される領域を「世界」(world)と呼んで、「現実の世界」(world of reality)から区別している。人間は「世界」のなかで生活しているのであって、「現実の世界」のなかで生活しているわけではないどのような対象構成されるかは、その対象めぐってどのような社会的相互作用営まれるかに依存している。たとえば一本の「木材」は、これから野球をやろうとする人々の間では<バット>という対象になるかも知れないし、山で遭難したグループのなかでは<たき火>という対象になるかも知れない事物の意味事物それ自体にあらかじめ備わっているわけではないし(=実在論否定)、また、ある一個人恣意的に「我思うゆえに」付与しているわけでもない(=観念論否定)(第2前提)。その事物がどういう対象として構築されるかで、その対象(というよりも対象となる事物)に対す働きかけ方も異なってくる(第1前提)。ブルーマー対象を、物的対象社会的対象抽象的対象3つ分類しているが、上記のこと(第2前提)は、どの対象についても当てはまることである。とはいえ先行する社会的相互作用通じて生み出され対象に対して人々既存の意味とは異なる意味を付与する可能性がある(第3前提)。「夫婦同姓制度」(事物)は<当たり前>(意味a)ではなく、それは日本国憲法第13条理念反する<社会問題的状態である>(意味b)と主張する人々は、「夫婦同姓制度」=<当たり前>という社会的対象に「違和感」という新しい意味を付与した人々だ、と捉えることが出来る。 上記3つの前提のうち、とりわけ第3前提は、シンボリック相互作用論捉える人間観」を考え上で非常に重要なのであるブルーマーは、人間というものを概念化する上で、その「活動的」(active)な性格とりわけ重要視した人間とは、自らの外部内部から自分寄せられる(と社会科学一般において想定されている)種々の刺激に対してただ単に反応する」(merely respond)、という「消極的」(passive)な存在ではない。むしろ人間は、そうした刺激を自らに「表示」(indication)し、それを「解釈」(interpretation)することで、その刺激が自らにとって持つ意味を再構成する可能性を常に秘めた存在である。換言するならば、人間とその行動は、「刺激反応」という図式において捉えられべきではなく、「刺激解釈反応」という図式において捉えられるべきなのである人間は、自らを取り巻現実の世界に「対峙する存在として、その行動自動的に解放ないしは放出」(release)されるものとしてではなく解釈という営みによって漸進的に構築」される(constructed)ものとして捉えられなければならないこうしたブルーマーによる(シンボリック相互作用論による)人間捉え方は、一方で心理学におけるワトソン流の「行動主義」(behaviorism)を、他方社会学における「社会化過剰の人間観」を強く論敵として意識したのである。 「個人社会」の関係について、シンボリック相互作用論は、社会人間規定する側面よりも、人間社会規定する側面強調している。社会とは、解釈を行う人びと(「主体的人間」)によって、日々形成再形成経験している「動的」で「過程的」なものと捉えられなければならない(「動的社会」観)。決して、静態的で不動社会が、人びと一方的に社会化」し「社会統制」の閉じ込めているわけではないシンボリック相互作用論の「社会観」の内実を、ブルーマーは以下のように要約している。 このアプローチ〔=シンボリック相互作用論〕では、・・・・人々は、その中で、展開途中にある自らの行為互いに適合させ合わなければならないような、巨大な相互作用過程中にいるものとして理解される。この相互作用過程は、他者〔たち〕に対して何をするべきかに関する表示おこないまた、他者からの表示解釈するということから成り立っている。彼等対象からなる世界住んでおり、この対象の意味によって、自らの適応活動や行為に方向づけが与えられる彼等対象は、自分自身という対象含めて彼等互いに相互作用することを通じて形成されたり、維持されたり、弱められたり、変容されたりしてゆく。・・・・人々互いに異なった様式アプローチし、異なった世界住み異なった意味のセット基づいて、自らの行為方向づけてゆく。にもかかわらず研究されているのが、家族であれ、少年非行グループであれ、企業であれ、政党であれ、我々はそこに、表示解釈過程通して形成されるものとして集合体活動を見出さなくてはならないのである。 — Blumer、(1969) 20-21=(1991)26-27 人間社会は、そこに暮らす人々による社会的相互作用幾重にも折り重なったものと捉えることが出来る。そうした人々社会的相互作用は、そこに参与する個々人解釈過程媒介されている。であるならば、「方法論」として、社会研究する社会学者たちは、そうした個々人解釈過程内側入りまなけれならないことになる。ここからシンボリック相互作用論者たちは、研究姿勢としての行為者観点」からのアプローチ強調する。このアプローチはしばしば「ヒューマン・ドキュメント」などの質的定性的資料用いられることになる。

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