サ100形
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1924年(大正13年)に日本車輌製造東京支店で3両が製造された木製付随車で、製造当初は1 - 3と称したが、第2次大改番によりサ100形(サロハユニフ100 - サロハユニフ102)となった。二等三等郵便荷物合造車で、記号は「サロハユニフ」という非常に長いものであった。1937年(昭和12年)9月1日付けで二等車が廃止されたため、記号は「サハユニフ」に変更され、この状態で1943年の買収を迎えた。この時点での車体の特徴を次に記す。 車体は全長16m級のモニタールーフを持つ木造車で、車体の半分が郵便室(荷重3t)、その次位に荷物室(荷重1t)、後位側は三等室で定員は32人(うち座席16人)である。便所は、前位側と後位側の車端部に2か所設けられており、三等室は便所の位置の関係で左右で扉の位置がオフセットされている。台車は釣合梁式のTR10、自重は25tである。 1937年の三信鉄道全通により豊橋 - 辰野間の直通運転が開始されたのに伴い、本形式は直通運転用に使用された。国有化後は豊橋機関区に転属し、引き続き直通運転用に使用されたが、この間の1945年(昭和20年)2月に、サハユニフ100が土砂崩れにより宇連川に転落して廃車となっている。 本形式は、飯田線北部(旧伊那電気鉄道区間)の1500V昇圧にともなって営業運転から退き、1952年(昭和27年)に救援車に改造され、妻面に観音開き式の扉が設けられた。翌年6月の改番では、サエ9320形(9320, 9321)に改称され、9320は中部天竜機関支区、9321は豊橋機関区の配置となった。豊橋の9321はクエ28形(クエ28100)の就役に伴って1964年(昭和39年)に廃車となったが、中部天竜の9320はさらに長命を保ち、1979年(昭和54年)まで在籍して、国鉄最後の木造電車となった。
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サ100形
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「国鉄ワム3500形貨車」の記事における「サ100形」の解説
サ100形は、事業用となっていたワム3500形3両を1953年(昭和28年)の称号規程改正の際に、正式に工作車に区分類別(サ100-サ102)したものである。その後1955年(昭和30年度)より7両(サ103-サ109)が、同じくワム3500形より追加改造され合計10両(サ100-サ109)が本形式となった。改造より早くも5年後の1958年(昭和33年)から廃車が始まり、1972年(昭和47年)に形式消滅した。 改造後 改造前 改造後配置局 改造後 改造前 改造後配置局 サ100 ワム5246 鹿児島 サ105 サ101 ワム7454 仙台 サ106 サ102 ワム7631 仙台 サ107 サ103 サ108 サ104 サ109
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