サザエさん連載開始とは? わかりやすく解説

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サザエさん連載開始

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 06:03 UTC 版)

長谷川町子」の記事における「サザエさん連載開始」の解説

1946年昭和21年4月22日西日本新聞の僚紙としてフクニチ新聞社から創刊された「夕刊フクニチ」で連載漫画依頼舞い込み引き受けた自宅近所である百道海岸付近を妹と散歩をして海辺風景眺めているときに登場人物に海にちなんだ名前をつけて『サザエさん』家族構成や名前を思いついた。磯野家日常描いた『サザエさん』は、彼女のファッション話題となり、人気博した当初本人は「アルバイト感覚引き受けた」と語っている。 有名出版社から町子姉・毬子への仕事オファーがあったため、『サザエさん』8月22日サザエ結婚で一旦打ち切りとし、同年暮れ一家そろって上京する当時東京都への転入戦後事情のため制限されていたが、新聞記者という名目許された。上京直前母親貞子が家を売った資金で「サザエさん出版なさい」と毬子と町子命じる。 1946年12月家族4人で出版社姉妹社」を設立翌年1947年1月1日『サザエさん』第1巻出版する定価12円)。1947年1月3日夕刊フクニチへの連載再開している。連載再開する際、打ち切り直前登場させたマスオの顔を作者本人忘れていて、西日本新聞社東京支局まで行き確認している。さらに地方紙にも掲載されるうになる第1巻初版2万部を日本出版配給日配)に持ち込む全て引き取ってくれたため、毬子は重版をかけさらに2万部を刷った。しかしB5判横綴じという第1巻形状書店並べにくいと不評で、長谷川家返品占拠される事態となった。しかし、母の貞子が「次はB6判出せば良い」と励まし知り合い出版関係者から借り入れた資金『サザエさん』第2巻出版。これが1か月17部も売れベストセラーになる。B5判第1巻書店からの注文がくるようになり、返品全て引き取られた。以降『サザエさん』第1巻B6判改訂され再出版され、姉妹社で全68巻が刊行された。 1948年11月21日より『サザエさん』連載先を新夕刊に移すと、磯野家東京舞台として描くようになる1949年朝日新聞社創刊し夕刊朝日新聞『サザエさん』連載の場を移し週刊朝日連載していた『似たもの一家』を打ち切る1951年から『ブロンディ』の後を承け朝日新聞朝刊飾り新聞4コマ漫画第一人者となる。この頃になるとファンレターも来るようになったという。同漫画は後に何度中断期間を挟みつつ1974年昭和49年)まで連載された。 胃痛風邪による休載はしばしばあったが、1960年には漫画家廃業宣言し一年近く断筆した。漫画考案苦悶する町子を見かねていた家族廃業賛成する朝日新聞社に毬子を通じて連載終了申し出るが、広岡知男編集局長休載扱いとした。約半年後に長谷川心境変わった後に朝日新聞社から打診があり、連載再開している。

※この「サザエさん連載開始」の解説は、「長谷川町子」の解説の一部です。
「サザエさん連載開始」を含む「長谷川町子」の記事については、「長谷川町子」の概要を参照ください。

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