コミック界引退へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 04:39 UTC 版)
ムーアがメインストリーム・コミックに再復帰する見込みがなくなるにつれて、それまでムーアの意向を慮っていたDC社も『ウォッチメン』の著作権を行使することをためらわなくなっていった。2009年の映画化や、2012年の前日譚シリーズ『ビフォア・ウォッチメン(英語版)』の刊行はまったくムーアの意に反するもので、ファンや業界関係者の間でも賛否は分かれた。2017年には『ドゥームズデイ・クロック』によって『ウォッチメン』が完全にDC社の作品世界に組み込まれた。 ムーアのコミックに対する毒舌は拡大していった。2010年には「出版社が過去作のスピンオフを出したがるのは創造性の欠如」「業界に優れた才能がいないのかもしれない」という趣旨の発言を行い、DCやマーベルで原作者として活動するジェイソン・アーロンから「現代の作品を読んでもいないムーアの言葉に耳を貸すのは止めよう」と批判されるなど、現役クリエイターから反発を招いた。2013年には、半世紀前に子供の読み物として作られたスーパーヒーロー・ジャンルが映画を通じて広い年齢層に受け入れられている文化状況を複雑極まる現代からの逃避だと発言し、ファンコミュニティからの怒りを買った。 どうも私には、一般社会の相当の割合が、自分が現に生きている現実を理解するのをあきらめ、その代わりに、DCやマーベル・コミックスが送り出す無秩序で無意味だが大きさに限りがある「ユニバース」に精通することなら可能かもしれないと思い至ったように見える。前世紀の徒花が文化の舞台を我が物顔に占有し続け、このどうにも前例のない新時代に固有の、時宜を得た文化が生まれるのを妨げているのは、ことによると文化的悲劇であろうとも思われる。 —アラン・ムーア(2013年) 同じく2013年にムーア作品のマイノリティ描写がオンラインでの議論を呼んだ。口火を切ったカルチュラル・スタディーズ研究者ウィル・ブルッカー(英語版)は、「リーグ」シリーズでヴィクトリア朝時代の人種的ステレオタイプが肯定的に再現されたことや、短編映画でミソジニー的な表現が見られることを問題にした。ブロガーの一人が反論の場を設けると、ムーアは自身の立場を強く防衛し、批判者やコミック関係者への逆批判を行った。さらに、以後同様の問題が起きないようにインタビューや公の発言を制限する、特にコミックに関わることについてや、コミックにまつわる状況では発言しない、と述べた。 2016年、「リーグ」の完結を最後にコミック原作から引退すると宣言した。ポップカルチャーの歴史を通覧するシリーズとなった「リーグ」最終作 Tempest では、メディア大企業によって管理されるスーパーヒーロー・キャラクターが(ジェームズ・ボンドのようなポップアイコンと並んで)偉大な英雄という概念そのもののディストピア的な終着点として描かれていた。同作は2019年に完結し、前後して Cinema Purgatorio 誌も18号で終刊した。それ以降は予告通りコミック作品を発表していない。 2016年9月、執筆に10年以上を費やした1000ページを超える長編小説 Jerusalem(→エルサレム)を刊行した。生地ノーサンプトンの歴史、創作と想像力、魔術と超越性といった近年のテーマの集大成だった。2021年、5部作の長編ファンタジー小説 Long London などをブルームズベリー(英語版)から刊行予定であることが発表された。
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