ゲティの攻撃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/12 15:41 UTC 版)
「第三次ピーターズバーグの戦い」の記事における「ゲティの攻撃」の解説
午前4時の視界は限られていたので、北軍の攻撃は午前4時40分にフィッシャー砦からの大砲の砲撃を合図に始まった。負傷したルイス・グラントに代わって指揮を執ったアマサ大佐のバーモント第1旅団が攻撃を先導した。工兵が前線に立って逆茂木などの障害物を解体していった。砲兵も攻撃部隊に付いて行って、捕獲した大砲を南軍の方向に向け変えた。4門の大砲を持った砲兵大隊が各師団に割り当てられ、他に2門が予備に置かれ、さらに3門が北軍の砦に残された。狙撃兵も攻撃部隊と共に配された。第9軍団の前線に沿って既に始まっていた砲撃に拠ってフィッシャー砦からの合図の砲撃を聞き逃した士官もいた。参謀の1人がトレイシー大佐のバーモント第1旅団が攻撃を始めるよう合図するしかなかった。攻撃が仄明るい中で始まったので、兵士達は自分の中隊のいる範囲以上は見えていなかった。 攻撃部隊の前にある南軍の前線は、ジェイムズ・H・レイン准将のノースカロライナ旅団が守っており、サミュエル・マクゴワン准将のサウスカロライナ旅団から狙撃兵が哨戒線に陣取っていた。レイン隊の左にはエドワード・L・トーマス准将のジョージア旅団、ウィリアム・マクレイ准将のノースカロライナ旅団の一部が右手に配置されていた。アンドリュー・M・ネルソン大佐のミシシッピ旅団、サミュエル・マクゴワン准将のサウスカロライナ旅団、ウィリアム・マコーム准将のメリーランドとテネシーの旅団、マクレイ旅団の他の連隊が、インディアンタウン・クリークとバージェスミルの間にある延長6マイル (9.7 km) の土盛り工作物の各所に配されていた。 南軍の哨戒線が直ぐに北軍の攻撃部隊に圧倒された。南軍の主要防衛部隊と砲台から激しい砲火が放たれたが、守備隊が放った当初の砲弾の大半はあまりに遠くを狙いすぎていたので、南軍の砲手が直ぐに射程を調整した。バーモント旅団が、正確さを増した銃砲撃の下で行き詰まり始めた。バーモント第4歩兵連隊の兵士の証言では、半数が後方に下がり、他の者は射撃壕で停まったと言っていたが、バーモント旅団のメリット・バーバー大尉は、多くが勇気を奮い起こし前に飛び出して行ったと言っていた。南軍の主前線には工兵が切り開いた開口部を通して、また南軍が前線に出るために残していた開口部を通して到達した。北軍の多くの兵士が工兵より前に障害物に到達し、素手でその障害物を剥がし、あるいは抜けて通られる小さな穴を見つけた。北軍の損失の多くは、兵士が射撃壕と障害物の間の地面を横切っているときに生じたものだった。 バーモント旅団は障害物に対応する必要があったので隊を乱されてはいたが、南軍守備陣に殺到し、多くの守備兵、恐らくはノースカロライナ第18歩兵連隊と同第37歩兵連隊の兵士を降伏させた。 南軍の守備陣を最初に越えた北軍兵は、ゲティ師団バーモント旅団バーモント第5歩兵連隊のチャールズ・G・グールド大尉であり、谷を通って本隊の左手に移動し、南軍の哨戒道路を下り、他の3人の兵士とともに板張りの橋を越えた。グールドの後をプラット中尉と約50名の兵士が続いた。グールドは銃剣と刀で頭の2か所など3つの重傷を負ったが、彼を狙ったライフル銃弾は不発だった。グールドはその傷を受けても生き残り、ヘンリー・H・レクター伍長が胸壁を越えて後方に担ぎ出した。グールドは後に名誉勲章を授与された。グールドの救出から間もなく、バーモント第5歩兵連隊のプラット中尉と他の者達が砲台を占領した。旗手のジャクソン・サージェント軍曹が胸壁の上に州旗を立て、その後に続いてネルソン・E・カール伍長が国旗を立てた。歩兵に続いて、ウィリアム・A・ハーン大尉のニューヨーク第3独立大隊が捕獲した工作物に入り、数分の内に近くにあった南軍の大砲を使えなくした。谷の右手ではバーモント旅団本隊の攻撃が直ぐに南軍工作物の裂け目を広げていた。 バーモント旅団が北軍攻撃の左側面で南軍の前線を破壊している間に、その右手ではトマス・W・ハイドの旅団が暗闇の中で混乱していた。最終的に攻撃を続けて砦に到達した兵士が工作物に飛び込み、南軍の前線を破った。ハイド旅団の右手ではジェイムズ・M・ワーナー大佐(名誉准将)の旅団の先導連隊であるペンシルベニア第102歩兵連隊が、射撃壕を占領した後で、暗闇と湿地の中で方向を見失っていた。トレイシー大佐とハイド大佐の兵士が南軍前線を破った直後に、ジェイムズ・マクレガー少佐のペンシルベニア第139歩兵連隊がペンシルベニア第102歩兵連隊との隙間を埋め、その部隊のペンシルベニア第93歩兵連隊の兵士と共に前進した。ジェイムズ・A・ウェストン少佐は後に、そのノースカロライナ第33歩兵連隊が単なる散兵線に変わってしまい、単純に勢力だけで打ち負かされたと記した。ただし、マクレガーは、ペンシルベニア部隊が南軍の前線に到達した時に、南軍は降伏することを喜んでいるように見えたと記した。この戦闘で、レインの旅団の半数がゲティの師団に負かされた。
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