ゲッレールト‐の‐おか〔‐をか〕【ゲッレールトの丘】
ゲッレールト山
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ゲッレールト山(ハンガリー語: Gellért-hegy [ˈɡɛlːle̝rtheɟ]、ドイツ語: Blocksberg、ラテン語: Mons Sancti Gerhardi、トルコ語: Gürz Elyas bayiri)とはハンガリーブダペスト11区にあるドナウ川を臨む標高235 mの高さを有す“山”である[1]。また、山の麓にあり、隣に自由橋を有するゲッレールト広場にはホテル・ゲッレールトやゲッレールト温泉などの有名な施設が見られる。 また、山はゲッレールト山洞窟が存在し、ホテル・ゲッレールト及びドナウ川に対面している。
- ^ 『ウィーン プラハ・ブダペスト 2016 まっぷるマガジン 海外』昭文社、2016年、99頁。ISBN 978-4-398-28119-7。
- ^ A Rend külföldön
- ^ http://geo.organic.hu/index.php?option=com_docman&task=doc_view&gid=37
- ^ MN Magyar Nemzet
- ^ Eltűnt budai szőlők nyomában, in: Borbarát, 2007/3, p. 52
- ^ Népszabadság Online: A vén Gellért-hegy oldalán…
- ^ Index - Új barlangot találtak a Gellért-hegy alatt
- 1 ゲッレールト山とは
- 2 ゲッレールト山の概要
- 3 今日
ゲッレールトの丘
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/01 23:44 UTC 版)
「ブダペストのドナウ河岸とブダ城地区およびアンドラーシ通り」の記事における「ゲッレールトの丘」の解説
詳細は「ゲッレールト山」を参照 ゲッレールトの丘 (Gellért-hegy) は、ブダ城地区とともにブダ側の世界遺産構成資産となっている緑豊かな丘で、自然保護区となっている。丘の名前は、この地でキリスト教を伝道した11世紀イタリア出身の殉教者ジェラルド(ゲッレールト)に由来し、彼がドナウ川に突き落とされたとされる南斜面には聖ジェラルド像 (Szent Gellért-szobor) が建てられている。この像は1904年の制作で、手がけたのはヤンコヴィッチ・ジュラである。 丘の上には、ツィタデッラ (Citadella) と呼ばれる城塞が残っている。この城塞はフランスの二月革命の影響がハンガリーにも波及して蜂起が起こったことを踏まえ、統治者であるハプスブルク家が1854年に建造したものだが、現在は博物館となっている。 同じく丘の上には椰子の葉を掲げた女性を象った高さ14 mの「自由の像」 (Szabadság -szobor) がある。これはソ連軍によってハンガリーがファシズムから「解放」されたことを記念して1947年に建てられたものだが、「解放」直後のソ連兵の狼藉やハンガリー動乱を経験しているブダペスト市民たちは、共産主義政権下ですら否定的に捉えていたという。台座にはソ連兵の銅像が飾られ、慰霊碑としてかつては戦没者遺族団がソ連から訪問したりもしていたが、共産主義体制崩壊後に銅像は撤去された。 ゲッレールトの丘 ツィタデッラ ツィタデッラ 聖ジェラルド像 聖ジェラルド像(拡大) 自由の像 自由の像(拡大)
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