グレゴリウス8世 (ローマ教皇)とは? わかりやすく解説

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グレゴリウス8世 (ローマ教皇)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/18 06:04 UTC 版)

グレゴリウス8世
第173代 ローマ教皇
教皇就任 1187年10月21日
教皇離任 1187年12月17日
先代 ウルバヌス3世
次代 クレメンス3世
個人情報
出生 1100年頃
ベネヴェント
死去 1187年12月17日
ピサ
その他のグレゴリウス
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グレゴリウス8世(Gregorius VIII、1100年頃 - 1187年12月17日)は、第3回十字軍を呼びかけたローマ教皇(在位:1187年10月21日 - 12月17日)。

世俗名アルベルト(Alberto di Morra)として、イタリアベネヴェントに1100年頃生まれ、1172年に教皇使節としてヘンリー2世トマス・ベケット殺害の罪を赦免するアヴランシュの公会議に出席する。

1187年10月21日ウルバヌス3世の後を継いでローマ教皇に選ばれた。即位直後に、エルサレムにおけるハッティンの戦いの敗戦を聞き、第3回十字軍を呼びかけたが、ほどなく同年の12月に亡くなった。ほとんど、十字軍を派遣するためだけに教皇になったようなものだった。




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