キシミー川
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/02/21 21:30 UTC 版)
「エバーグレーズの復元」の記事における「キシミー川」の解説
1960年代、中央・南フロリダ間の治水・排水事業 (Central and Southern Florida Flood Control Project, C&SF) が、政府の監督官や観光保護団体からの監視を多く受けるようになった。その規模について批判が続き、世界恐慌の時のダム建設プロジェクトであるテネシー川流域開発公社と比較されることもあった。明確な決議や計画も無いままに、建設費は数十億ドルの単位になった。 治水・排水事業 (C&SF) のプロジェクトは、「全体系に対する因果関係を無視し、未来の確実性を仮定し、つかの間の危機を解決することに成功しているが、将来の危機を誇張する状態に取り掛かる」、「危機と反応」のサイクルの一部として特徴づけられた。最後のプロジェクトは曲がりくねっているキシミー川の氾濫原を直線化する運河の建設であり、1962年に始められた。キシミー川は昔からオキーチョビー湖に注ぎ、そこからエバーグレーズに水が流れていた。環境保護主義者マージョリー・ストーンマン・ダグラスが後に、治水・排水事業 (C&SF)のプロジェクトは「相関する愚かさ」であり、C-38運河がその最たるものである、と記していた。蛇行する長さ90マイル (140 km) の川を、52マイル (84 km) の水路で置き換えるように設計されたこの運河は、1971年に完工し、2,900万ドルを掛けていた。それは、広さ約45,000エーカー (180 km2) の湿地を、保持力のある池、ダムと植生で置き換えることだった。生息域が失われたために、この地域で水鳥、渉禽類、釣りの対象とされた魚類の数が劇的に減少した。埋め立てられた氾濫原は農業用地に変わり、使われた農薬や殺虫剤がオキーチョビー湖に流れ込んだ。この運河が完成する以前であっても、環境保護団体や釣りと猟の団体が、キシミー川の復元を要求していた。 アーサー・R・マーシャルが、損傷を復元させる運動を率いた。ダグラスに拠れば、マーシャルは、キシミーの鎖状に繋がる湖群からフロリダ湾までのエバーグレーズを、その大気、気候、石灰岩を含め、1つの機構として表現することに成功した。エバーグレーズを復元させるという大義は、環境保護団体の専売特許に留まらず、政治家達の優先事項になった。ダグラスは、「マーシャルがエバーグレーズを出血する心臓という分類から永遠に取り出すという、大きな魔法を成し遂げた」と主張していた。マーシャルの執拗な主張により、新任州知事のボブ・グラハムが1983年に「我々のエバーグレーズを救え」キャンペーンの開始を宣言し、1985年、グラハムはC-38運河の部分を埋め戻すための最初のシャベルを揚げた。それから1年以内に、その地域は元の状態に戻すべく、水で覆われた。グラハムは、2000年までにエバーグレーズはできる限り排水を行った前の状態に近くすると宣言した。キシミー川復元プロジェクトは、連邦議会による1992年水資源開発法によって承認された。このプロジェクトの費用は、僅か22マイル (35 km) の運河を元に戻すだけで、5億7,800万ドルと見積もられた。この費用は、フロリダ州とアメリカ合衆国政府で分担するものとされ、州は土地を買収し修復する責任があるとされた。2002年、アメリカ陸軍工兵司令部のプロジェクトマネジャーは、「我々がこの規模でやっていることは、エバーグレーズの復元に掛かるときに、さらに大規模なものに代わる」と説明した。プロジェクトの全体は、2011年までに完成するものと見積もられた。
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