カリフォルニアにおけるワルターのステレオ録音
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「コロンビア交響楽団」の記事における「カリフォルニアにおけるワルターのステレオ録音」の解説
1957年から開始されたブルーノ・ワルターのステレオ録音のためのアンサンブルはその性質を異にしていた。コロンビア・レコード社の経営陣はカリフォルニア州ビバリーヒルズにおいて半ば引退生活を送っていたワルターに一連のレパートリーのステレオによる再録音するように売り込みをかける。コロンビアはステレオ録音は革命的な新技術であり、過去ワルターの行ってきた活動も含め、これまでのモノーラル録音は市場から完全に駆逐されるであろう、そして同社はワルターの芸術をこの最新技術で後世に残すべく、特別編成のオーケストラを組織する用意があると説得。ワルターはこの提案に乗り、西海岸のフリーランス奏者(当時はハリウッド映画の全盛期で、ロサンジェルスには映画音楽を演奏するための有能なミュージシャンが多く集まっていた)でのオケ編成にその人選から関与したという。この説得は、フルトヴェングラーやトスカニーニ、ワルター自身のモノラル録音が半世紀以上を経てなお多数発売され続けていることからみても半ば誤っていたが、ワルターのステレオ録音がかなり後年まで歴史的遺産としてではなく現役のスタンダード・チョイスとして通用していた点では半ば歴史を見通していた。 ハリウッドの映画音楽ミュージシャンはクラシック音楽を演奏するための自主的団体のグレンデール交響楽団を組織していたため、ワルターのコロンビア交響楽団は実質上はこのグレンデール交響楽団と重複する部分が多かった。「ワルターのコロンビア交響楽団はグレンデール交響楽団の変名である」といわれることがあるのは、こうした事情によるものである。 グレンデールはロサンジェルスの郊外の小都市。グレンデール交響楽団の指導者であり音楽監督であったのは、クラシック音楽のポピュラー名曲の編曲や演奏で著名であったカーメン・ドラゴン。グレンデール交響楽団は、レコード会社によってRCAビクター交響楽団、ハリウッド・ボウル交響楽団、キャピトル交響楽団の変名で録音する場合も多かった。 一方、宇野功芳は、コロンビア交響楽団について「このオーケストラはロスアンジェルス・フィルの楽員を中心に、ハリウッド在住の団員五十名足らずで編成されたもので、晩年のワルターの録音用に使われた小さいオーケストラである。」と、上記とは異なることを述べている。 ちなみに、ワルター初のステレオ録音は、1957年2月18日にニューヨーク・フィルハーモニックなどとカーネギー・ホールにて録音されたマーラーの交響曲第2番の第4・5楽章であったが(この録音は、翌年の2月に1~3楽章が同じ楽団、場所にて録音されて、同年8月頃にワルター初のステレオ・レコードとして2枚組で発売された)、コロンビア交響楽団としてのステレオ録音プロジェクトは、1958年1月のベートーヴェン交響曲全曲録音からスタートした。録音に於いては、ワルターの健康状態に鑑み、2日続けてレコーディングは行わないこと、1日2時間を超えないことなどの条件でセッションが行われたという。このオーケストラによって、ベートーヴェンおよびブラームスの交響曲全集、モーツァルトの後期交響曲や序曲、マーラーやブルックナーなどの録音が残された。 臨時編成オーケストラでアンサンブルの点では難があること、特に中後期ロマン派作品では編成の小ささがネックとなること、また、既に第一線を退いていたワルターの体力・気力も衰えていたことなどから、全盛期のモノーラル録音の演奏を評価する評論家等も多いが、それでもワルターの師マーラーの交響曲第1番や得意としていたモーツァルトの交響曲、ベートーヴェンの交響曲第6番「田園」やシューベルトの交響曲第8(9)番「ザ・グレート」のように高い評価を得ている演奏もある。元がコロンビア首脳陣の商業主義的発想からとはいえ、結果としてはワルターの貴重な遺産を残すことになった。ワルターとコロンビア交響楽団の録音は、1961年3月29日と31日に行われたモーツァルトの歌劇「フィガロの結婚」序曲・歌劇「魔笛」序曲などの4曲が最後となった。
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