カリフォルニアの補強
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「カリフォルニア征服」の記事における「カリフォルニアの補強」の解説
1846年7月、ニューヨーク州のジョナサン・D・スティーブンソンが、77名の小隊10個からなる志願兵連隊1個を立ち上げ、カリフォルニアで招集解除してそこに留まるという理解のもとにカリフォルニアに向かった。この部隊はニューヨーク第1連隊と呼ばれ、カリフォルニア方面作戦と太平洋岸方面作戦に参加した。1846年8月と9月、連隊はカリフォルニアに行くために訓練と準備を行った。民間商船3隻、トマス・H・パーキンス、ルー・チュー、スーザン・ドルーがチャーターされ、スループ艦USSプレブルが船団護衛に付いた。9月26日、4隻の船団がカリフォルニアに向けて出港した。様々な理由で後に残っていた50人が、1846年11月13日に小さな補給船USSブルータスで出港した。スーザン・ドルーとルー・チューは1847年1月20日にチリのバルパライソに到着し、1月23日にそこを出港した。トマス・H・パーキンスはサンフランシスコまでの途中どこにも寄港せず、ニューヨーク港を出てから183日後の1847年3月26日に到着した。ブルータスが到着したのは4月17日だった。 航海中の脱走や死亡によって、4隻に船でカリフォルニアに到着したのは648人だった。各中隊はサンフランシスコからラパス (バハ・カリフォルニア・スル州)まで、北部のアルタ・カリフォルニアと南部のバハ・カリフォルニア(海軍が占領したが、後の交渉で返還していた)に配置された。1846年8月16日にフィラデルフィアを出港したイサベラが100名の分遣隊を乗せ、1847年2月18日にカリフォルニアに到着しており、また翌年の同じ時期に、スウェーデンで別の分遣隊が到着した。これら兵士は、スティーブンソンのニューヨーク第1志願連隊の既存中隊に加えられた。これらの部隊が太平洋戦隊の陸上部隊と守備隊、およびカリフォルニア大隊守備隊任務のほとんど全てを肩代わりした。 モルモン大隊は米墨戦争の1846年7月から1847年7月まで従軍した。この大隊は534人から559人の末日聖徒イエス・キリスト教会員の志願兵部隊だった。モルモン中隊の士官が率い、アメリカ陸軍正規兵上級士官が指揮を執っていた。その従軍中にアイオワ州のカウンシルブラフスからカリフォルニア州サンディエゴまで、2,000マイル (3,200 km) 近い大変な行軍を行った。アメリカ陸軍史の中でも最長クラスの単一行軍記録となっている。 モルモン大隊は、アイオワ州から1,900 マイル (3,000 km) ほどの行軍後に、1847年1月29日にサンディエゴに到着した。除隊となる1847年7月16日までその後の5か月間はロサンゼルス市におり、訓練を行い、南カリフォルニアの数か所で守備隊任務に就いていた。モルモン大隊の除隊したメンバーはジョン・サッターが製材所を建設するのを手伝っており、そこで1848年1月に金が発見されてカリフォルニア・ゴールドラッシュが始まった。 1847年1月、陸軍中尉のウィリアム・シャーマンと100名の正規兵部隊がモントレーに到着し、カリフォルニアにアメリカ軍正規兵が次々と流れ込む初めとなった。
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