カリフォルニアへの移住
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/01 02:45 UTC 版)
「ジム・ジョーンズ」の記事における「カリフォルニアへの移住」の解説
ロサンゼルス サンフランシスコ ユカイア ベーカーズフィールド フレズノ サクラメント サンタ・ローザ カリフォルニア州の人民寺院の関連地 1963年12月にジョーンズはブラジルから戻ってきた。その際、インディアナで開催された集会で、ジョーンズは1967年7月15日に世界的な核戦争が勃発し、その結果、地球上に新しい社会主義の楽園が生まれると述べた。そして、安全のために人民寺院を北カリフォルニアへと移すと述べた。それに応じて、人民寺院はカリフォルニア州ユカイア近くのレッドウッド・バレー(英語版)へと本部を移転させた。 宗教学者のキャスリーン・ウェシンガー(英語版)によると、ジョーンズは常に社会的福音の美徳を語っていたにも関わらず、1960年代後半になるまでは、その社会的福音とは実際には共産主義であるという点をひた隠しにしていた。そのころになると、ジョーンズは人民寺院の説法の中で、彼の「使徒社会主義」構想の詳細を部分的に明かし始めた。彼は更に、「宗教の阿片に麻痺している人々は、教化 - 社会主義化しなければならない」とも考えていた。ジョーンズはしばしばこれらの考えを混合させ、次のように説教をしていた。「もし貴方達が資本主義国家アメリカ、差別国家アメリカ、ファシズム国家アメリカに生まれたのならば、貴方達は罪に塗れて生まれてきたのです。しかしもし、社会主義の中に生まれていたのならば、貴方達は罪に塗れず生まれてきたのです」と。 1970年代初頭までに、ジョーンズは従来のキリスト教を「軽薄な宗教」(英語: fly away religion)と侮蔑したり、女性と非白人を圧迫する道具であるとして聖書を否定したり、「天の神」(英語: Sky God)を全く持って神などではないと非難するまでになっていた。ジョーンズは、ジェイムズ王訳聖書を批判する本「ザ・レター・キレット」(英語: The Letter Killeth)を執筆した。ジョーンズは更に、自身をマハトマ・ガンジーやファーザー・ディバイン、イエス・キリスト、ガウタマ・シッダールタ、そしてウラジーミル・レーニンの生まれ変わりであると説教するようになっていた。人民寺院の元信者、フー・フォートソン・ジュニアは、ジョーンズが「貴方が信じるべきものは、貴方の目に見えるものなのです...もし、私が貴方の目に友人と映っているならば、私は貴方の友人になりましょう。もし父と映っているのなら、私は父親の居ない貴方のために父になりましょう...もし、私が救世主と映っているのならば、私は貴方の救世主となりましょう。もし、私が神と映っているのならば、私は貴方の神になりましょう」と語りかけたという。 1976年のジョン・マーとの電話会談において、ジョーンズは自身が不可知論者であるとも、無神論者であるとも述べた。アメリカ合衆国内国歳入庁が人民寺院の宗教非課税について調査しているという人民寺院の脅威に反して、マルセリーヌ・ジョーンズは1977年のニューヨーク・タイムズでのインタビューで、ジョーンズは信者達を動員して、特に毛沢東から着想を得たマルクス主義をアメリカ合衆国に宣伝しようとしていたことを認めた。彼女は「ジムは宗教の阿片から人々を救おうと宗教を使っているの」と語り、ジョーンズは「私はこの紙に書かれた偶像を滅ぼすのだ!」と大声で叫びながら聖書を机に叩きつけたという。ある集会では、ジョーンズが「貴方達自身が貴方達を助けるのだ、それ以外に助けなどない!栄光の望みがただ一つだけある。それは貴方達の中にある!誰も空から助けになど来ない!我々の上に天国など無い!我々が、地上のここで天国を作らなければならない!」と話すこともあった。
※この「カリフォルニアへの移住」の解説は、「ジム・ジョーンズ」の解説の一部です。
「カリフォルニアへの移住」を含む「ジム・ジョーンズ」の記事については、「ジム・ジョーンズ」の概要を参照ください。
- カリフォルニアへの移住のページへのリンク