カナダからの撤退とは? わかりやすく解説

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カナダからの撤退

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/05 06:44 UTC 版)

ベネディクト・アーノルド」の記事における「カナダからの撤退」の解説

シーダーズの戦い」および「バルカー島の戦い」も参照 1776年5月大陸会議代表団モントリオール訪問しているときに、イギリス大艦隊がケベック市に到着し始め大陸軍急遽ケベック市から撤退することになった。この5月アーノルドソレルの町で撤退する軍の指揮官大陸会議議員作戦会議開いている間に始まったイギリス軍インディアンによるシーダー攻撃によって、アーノルドモントリオール支配困難なものになったアーノルドはこれに対応するためにモントリオール戻って時宜良く得た援軍助けもあり、シーダー砦の守備隊捕まえていたイギリス軍との捕虜交換合意した。この出来事への対処話し合う作戦会議の席で、アーノルドは第2カナダ人連隊指揮官であるモーゼス・ヘイズン激し応酬をした。このことが両名軍法会議にまで繋がる一連の論争始まりとなったアーノルド続いてモントリオール駐屯する大陸軍守備隊撤退準備始めた大陸会議議員指示に従って地元商人から物資確保始め商人達が後に求償できるように物資受取証発行した物資供給した商人識別するために印が付けられ物資6月初旬にシャンブリー砦に向けて船積みされた。そこの指揮官だったヘイズンは、彼の知っている商人からそれらの物資違法に奪ったものだと信じて物資保管拒否したヘイズン近くセントジョンズ砦資産所有していて商売上の利権もあったので、モントリオール商人とは親しくしていた)。 アーノルドヘイズン行動に対して怒ったが、それを抑える必要があった。イギリス軍セントローレンス川遡って急襲しアーノルド捕まりそうになったソレル派遣した伝令からモントリオール市接近しているイギリス艦船存在知らされた。アーノルドイギリス軍到着する前に市内燃やそう考えて出発前に点火命令しその後セントジョンズ砦行って退却中の軍隊後衛合流したアーノルド部隊兵シャンプレーン湖イギリス軍使えそうな船を焼却あるいは沈船破壊するよう指示し、砦や近く工作物にも火を点けさせた。アーノルドセントジョンズ砦脱出する前にイギリス軍前衛視界に入るまで待機したとされており、その後リシュリュー川上ってシャンプレーン湖向かったその後1776年の夏を使って湖を支配するために小さな戦闘艦砲艦船隊建造指示しイギリス軍進行遅らせシャンプレーン湖自由に接近できないように図ったイギリス軍セントジョンズでさらに大きな船隊を造り上げることで対抗し10月には進水させた。10月半ばバルカー島の戦いイギリス軍アーノルド船隊打ち破った。しかしこの時はもう冬が始まっており、イギリス軍侵攻止まったアーノルド防衛戦略は成功したと言えるアーノルド船隊建造させている間に、ヘイズンをシャンブリーでの出来事に関して職務怠慢の廉で逮捕するよう命じたヘイズン政治的にコネ作るのが上手な人間だったので(第2カナダ人連隊指揮する発令ケベックの戦い後に大陸会議議員前にヘイズン出頭した後に行われた)、アーノルド告発逆手取りアーノルド問題物資盗み物資輸送することを任され士官途中でそれらを損壊させたとして反論告発した。その士官であるスコット少佐軍法会議の席に出ていたが、(明らかに利害対立する当事者であるにも拘らず証言することができなかった。軍法会議ではヘイズン無罪とし、アーノルド逮捕命じた。この会議主宰しホレイショ・ゲイツ将軍が、近付イギリス軍の攻撃備えてアーノルド従軍が是非とも必要だ主張して、その逮捕状取り消したヘイズン告発に対してアーノルド沈黙したことは、人々抱いていたアーノルドに関する評価裏付け深まらせることになったアーノルド好意的だった者は、理不尽な告発対す尊厳ある無反応だと認識し一方アーノルド嫌悪していた者は現場を掴まれた者の反応だと見なした。歴史家達は、アーノルド実際に違法なことに関わっていたのかについて今なお議論続けている。大陸会議代表のサミュエル・チェイスアーノルドに「貴方の最良の友は自国の民ではない」と警告した11月には、タイコンデロガ砦居た軍隊大半が、ニュージャージー植民地に居るワシントン軍の支援のために南に移動するよう命じられた。アーノルドオールバニ再度公式の告発直面したブラウンヘイズンそれぞれアーノルド以前行動に関する告発書を提出したヘイズンアーノルド以前ヘイズンに対して突きつけ告発について名誉棄損の廉で告発しブラウン様々な小事告発したが、特にアーノルドケベック軍隊意図的に天然痘流行らせたこと、セントジョンズ襲撃時に敵軍への逃亡図ろうとした反逆行為」を行ったという2件が特筆のだったゲイツ将軍ブラウン告発に関する審問拒否し軍法会議ヘイズン対すアーノルド告発は「ヘイズン大佐人格対す中傷となると判決したが、罰則は科さなかった。1776年から1777年掛けての冬、ブラウンアーノルドについて「金がこの男の神であり、それを十分に得られるなら自分の国も犠牲にすることだろう」と主張するチラシ出版した

※この「カナダからの撤退」の解説は、「ベネディクト・アーノルド」の解説の一部です。
「カナダからの撤退」を含む「ベネディクト・アーノルド」の記事については、「ベネディクト・アーノルド」の概要を参照ください。

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