アンソニー・トゥーとの交流
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「中川智正」の記事における「アンソニー・トゥーとの交流」の解説
米国コロラド州立大学(英語版)名誉教授のアンソニー・トゥー(台湾名:杜祖健)博士と刑死するまでの間に15回にわたって面会しており、同博士は2012年の時点で「今回も中川氏が率直に話してくれたので、多くの事柄が明るみに出た。オウム教団の化学兵器、生物兵器の事情がさらに詳しくわかった」と語っていた。死刑確定から刑の執行まで、法務省はトゥーと元アメリカ海軍長官で退官後にワシントンで紛争予防のシンクタンク「新アメリカ安全保障センター」を運営するリチャード・ダンチックの2人には特別面会を許可していた。ダンチックは約20回の面会を行っている。ダンチックらはプロジェクトとしてなぜサリン事件が起きたのかを調査しているのに対し、トゥーは毒物学の専門家として、オウムがサリンやVXガスの製造に至った背景を探っている。本来10分の面会時間を特別に30分許可されていた。中川は独房生活のさびしさゆえに面会を楽しみにしているとトゥーは語っている。通常死刑が確定すると、肉親と弁護士以外は面会できないが判決が確定前に文通していた場合は例外となる。トゥーは最高裁で上告棄却で死刑確定した2011年11月18日の2週間前に文通を開始しており、面会できる権利を得た。面識はなかったもののダンチックより中川に会うことを勧められた。当初は土谷正実死刑囚が科学の専門家であったため、土谷に会うことを希望していたが土谷の刑が確定していたため面会ができず、中川に連絡を取ったところ中川からも会いたい趣旨の連絡があったため2011年に最初の面会を行った。死刑囚としての中川の心情を不安定にさせないよう、死刑や殺人という言葉の使用は避けていた。 1994年にトゥーは専門誌『現代化学』に、サリンやVXガスなどの化学兵器に関する論文を書いており、中川や土谷の2人もそれを目にして土谷は自分でもVXガスの製造が可能であると考え、資料を集め作成したと中川から聞かされた。中川は、警察がかなり早い段階で上九一色村のサティアンの土壌からサリンを検出できたことを不思議に思っていたが、面会の際にトゥーは自分が警察に協力したと告げたところ、中川は1分ほど黙ってしまったという。が、その後「ああ、そうでしたか。先生がお手伝いしたのですね。でも、オウムがつぶれてよかったです。でなければ、殺人がもっとたくさん起きていた」と言った。トゥーは、2017年に起きた金正男の暗殺事件以前に実際に人間に対してVXガスを使ったという公式の記録はなく、中川が唯一の経験ある人間であることから、その経験の記録は残すべきと考えるが、日本政府がそれを行っていないことを批判している。 2016年10月には化学専門月刊誌で、サリン事件の概要を説明するとともに、「地下鉄サリン事件のサリン原料を保管していたのは誰か」「第7サティアンのサリンプラントでサリンができていたのか」「サリンを使ったテロが再び日本で起こるか」「どうして高学歴の科学者がオウム真理教に入って事件を起こしたのか」等のトゥーからの質問に答えている。 2017年2月13日にマレーシア・クアラルンプール国際空港で起きた金正男暗殺事件に関し、マレーシア警察によるVX検出の発表前に、金正男がVXで襲撃された可能性に言及した手紙を獄中からトゥーに送っていた。 2018年、アンソニー・トゥーと連名で執筆した化学兵器の神経剤VXに関する論文が5月21日、日本法中毒学会の学術誌「Forensic Toxicology」電子版に掲載された。この論文の掲載に中川はこだわりを持っていたという。 金正男暗殺事件を取り上げた論文が「遺稿」として2018年7月に雑誌『現代化学』8月号に掲載されると報じられ、7月18日発売の8月号に「オウム元死刑囚が見たVXガス殺人事件 VXを素手で扱った実行犯はなぜ無事だったのか」のタイトルで掲載された。 中川とトゥーの面会記録は中川の刑の執行までは公開できないことになっていたため、執行後の7月26日にKADOKAWAから『サリン事件死刑囚 中川智正との対話』のタイトルで公刊された。印税の20%は中川の遺族に渡されることになっている。本書は発売前から多くの反響が寄せられたことから、KADOKAWAは異例とも言える発売前の重版をおこなった。
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