アメリカ近海での通商破壊
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「伊号第十九潜水艦」の記事における「アメリカ近海での通商破壊」の解説
1937年(昭和12年)の第三次海軍軍備補充計画(③計画)により、1938年(昭和13年)3月15日、三菱重工業神戸造船所で起工し、1939年(昭和14年)9月16日に進水。1941年(昭和16年)1月31日、艤装員長に楢原省吾中佐が着任。1941年4月28日に竣工した。竣工と同時に楢原中佐は艦長に着任。同日、横須賀鎮守府籍となり、第六艦隊第1潜水戦隊第2潜水隊に編入された。 太平洋戦争開戦時は第六艦隊第1潜水戦隊第2潜水隊に所属。20日、伊19は横須賀を出港し、23日1330に単冠湾に到着。26日、第一航空艦隊と共に単冠湾を出港し、ハワイへ向かった。28日、空母赤城からサンフランシスコからウラジオストクへ向かうソ連貨物船についての警告を受ける。30日、伊23が後落したため、伊19は伊23の居場所について赤城から発光信号で質問を受けた。8日の真珠湾攻撃では被弾した味方機の誘導を行い、1040に艦隊と分離し、マウイ島東方沖に進出。9日、伊6がオアフ島沖を東北東へ向け航行中のレキシントン級空母1、巡洋艦2隻を発見したため、迎撃に向かった。10日、米哨戒機に2度ほど発見されて攻撃を受けるが、被害はなかった。14日、アメリカ西海岸沿岸における通商破壊作戦に参加して米西海岸に向かった。22日、潜航中にノルウェー貨物船パナマ・エキスプレス(Panama Express、4,200トン)を発見して雷撃するも、命中しなかった。その後浮上して追跡するが、追いつくことはできなかった。23日、.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度35分 西経120度45分 / 北緯34.583度 西経120.750度 / 34.583; -120.750のサンタバーバラ北方55浬地点付近で、米スタンダード・オイル社タンカーH・M・ストレー(H. M. Storey、10,763トン)を発見し、2秒間隔で魚雷1本ずつを発射。このとき、魚雷発射管内の魚雷1本の機関が突然始動したためこれも発射した。魚雷は命中しなかった。25日0625、潜航中にサンディエゴに向かっていた米木材運搬船バーバラ・オルソン(Barbara Olson、2,146トン)を発見し魚雷1本を発射。魚雷はバーバラ・オルソンの船底下を通過し、30m進んだところで爆発した。近くにいた米哨戒ヨットアメジスト(英語版)(USS Amethyst, PYc-3)もこの爆発を目撃している。1040、北緯34度00分 西経121度00分 / 北緯34.000度 西経121.000度 / 34.000; -121.000のサンペドロ近海で米マコーミック汽船木材運搬船アブサロカ(Absaroka、5,698トン)を発見し、魚雷2本を発射。うち1本がアブサロカの5番船倉右舷に命中し撃破。積荷の木材の浮力で辛うじて浮いていたアブサロカはフォート・マッカーサー基地近くの海岸に座礁し、全損となった。1942年(昭和17年)1月5日1720、真珠湾を飛行偵察しようとしたところ、射出機が故障していることがわかったため海上に降ろして発進させることにした。作業中、搭載機が米哨戒艇に発見され、さらに伊19も発見された。哨戒艇は発光信号で応答を求めてきたため、搭載機を発進させると同時に潜航した。2時間40分後、戻ってきた搭載機と会合し、空母1、巡洋艦9、小型艦6隻の在泊を報告。7日、PBY カタリナ2機に発見され、2度ほど攻撃を受けるが被害はなかった。8日にもカタリナに発見され攻撃されたが、被害はなかった。15日、クェゼリンに到着。2月1日、クェゼリンはマーシャル・ギルバート諸島機動空襲を受けるが、伊19に被害はなかった。その後迎撃に向かったが空振りに終わり、クェゼリンに戻った。 20日、伊19はK作戦の支援とラバウル近海に現れた米第11任務部隊の迎撃のためクェゼリンを出港。このとき、格納筒は燃料タンクに改造されていた。4日、フレンチフリゲート礁に到着し、二式飛行艇に燃料補給を行った。21日、横須賀に到着し、格納筒を復元した。 5月15日、伊19は横須賀を出港し、17日に大湊に到着。19日、AL作戦に参加して大湊を出港。26日夜、ボゴスロフ島を飛行偵察。搭載機収容時、米駆逐艦1隻を発見。搭載機を収容している時間がなかったため、搭載機を残したまま急速潜航。後に浮上したとき、搭載機は修復不可能なほどの損傷を受けていた。そのため、搭載機は処分された。29日から翌30日にかけて、ダッチハーバーを潜望鏡偵察。6月18日にはウナラスカ島西海岸を潜望鏡偵察。19日にはウニマク島を潜望鏡偵察し、多数の敵艦船の在泊を報告。29日、哨戒区域を離れ、7月7日に横須賀に到着して整備を受ける。15日、艦長が木梨鷹一少佐に交代。
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