アメリカ連合国との同盟
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/03 14:22 UTC 版)
「ジョン・ロス (チェロキー)」の記事における「アメリカ連合国との同盟」の解説
ロスは、「我々の共通の国の福祉のために感情と行動を統一していることの重要性を人々が深く心に刻むようになる手段を編み出すという目的」で、1861年8月21日に実行協議会を招集することで事態を収めようとした。ロスはアメリカ合衆国との条約による関係が如何に中立政策に影響しているかを説明した。それでも、「私の意見では、アメリカ連合国との同盟にむけて初めの一歩を採用することについてこのネーションが承認するか、貴方達の同意を示すべき時が今来ている」と話を結んだ。 ロスの考えの変遷は伝統的チェロキー族の気風から考えれば理解できる。チェロキー族の如何なる指導者も同意が自然に得られるまで繰り返し同じ意見を静かに述べることが期待されており、同意ができた時点ですべてのチェロキー族がその得られた感情を受け入れるかあるいは止めるというものだった。ロスはアメリカ連合国との連携を推す力が大勢を占めていることを認識し、伝統的なチェロキー族のやり方に従って、統一と調和を保つために多数派の感情を受け入れた。 ロスがチェロキー族を一つに纏めておこうとしたにも拘わらず、全ての者がこの立場に同意したわけではなかった。1861年が暮れる前に、南北戦争はインディアン準州にも入ってきた。ロスが5つのネーションを守れなかったことは明らかだった。南部はチェロキー・ネーションを守れなかったために、ネーションの権利を守るためには間違った同盟を選択したことになった。北軍は1862年7月にインディアン準州に侵入してきた。
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