アメリカ連合国の認知
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 02:17 UTC 版)
「北軍による海上封鎖」の記事における「アメリカ連合国の認知」の解説
海上封鎖宣言は、諸国が自国の港を「閉鎖」するものであって封鎖はしないものであるから、アメリカ連合国を独立した国体として事実上認めるものだと強く主張する者がいた。しかし、国際法や海事法の下では、国は海上封鎖を侵犯していると疑われれば、公海上の中立国の艦船の臨検を行う権利があるとされ、港湾閉鎖ではこれが許されない。アメリカ連合国との貿易を行っていると考えられるイギリス商船を臨検することについて、合衆国とイギリスの間の紛争を避けるために、合衆国は海上封鎖宣言に伴う国際法上の特権を必要とした。 1856年のパリ宣言に基づく国際法では、海上封鎖が合法であるためには(1)正式に宣言され(2)即座に確立され(3)強制され、そして(4)有効であることを要求した。 しかし、国際法下では合法的に外国に認知される資格の無い反乱者ではなく、アメリカ連合国が交戦相手国であることを事実上宣言することで、リンカーンはイギリスやフランスのようなヨーロッパ列強がアメリカ連合国を認知する道を開いた。イギリスの中立宣言はアメリカ連合国と交戦中である国際法下のリンカーン政権の立場に一致するものであり、中立国から資金を借り武器を購入する権利を与え、イギリスにはあるとすればどちらの側を支援するかを公然と議論する正式な権利を与えた。
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