アスコットでの栄光とは? わかりやすく解説

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アスコットでの栄光

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/09 00:31 UTC 版)

ジョージ4世と競馬」の記事における「アスコットでの栄光」の解説

1792年肖像1790年のオートランズステークス。奥側のエスケープ号が僅差で2着となる。(ジョン・ノット・ザルトリウス(1755-1828)の作品ジョージ名実ともにイギリスで一番の馬主となったのは1791年のことである。 その前年1790年6月アスコット競馬場イギリス最大競馬レース創設された。これはオートランズステークス(Oatlands Stakes)といい、競馬史上初の、3頭以上によるハンデ戦だった。どの馬にも均等に勝つチャンス有るという企画画期的で、馬主以外の第三者賭け参加することの魅力広まり競馬広く人気のある娯楽へと変遷する契機になった優勝賞金原資となる登録料は1頭あたり100ギニー105ポンド)も必要だったが、イギリス中から出走希望馬が集まり賞金膨れ上がったジョージ全英注目するこの空前の大レース参戦するため、当時一流エスケープEscape)号を入手した。実は、エスケープ号はもともとジョージ自身1785年生産した馬だったのだが、1786年資金難のときに手放してしまっていた。それが活躍したので1500ギニー1575ポンド)も出して買い戻したのであるエスケープ号は第1回オートランズステークスで2.0倍の大本命となった。しかしエスケープ号は惜しくもアタマ差で2着に敗れた勝ったのは父ジョージ3世毛嫌いしていたホイッグ党党首チャールズ・ジェームズ・フォックスシーガル号だった。(ジョージ自身フォックスとは酒、女、ギャンブルを楽しむ遊び仲間で「悪友」だった。) ジョージは翌1791年第2回オートランズステークスに優勝することに情熱傾けた6月開催されるレース半年前に、各登録馬与えられるハンデキャップ発表されることになっており、それが公表されるジョージめぼしい登録馬を買い集めた。そしてそれらの馬を集め、オートランズステークスと同じ距離、同じ斤量で競わせ、出走させる馬を厳選していった直前で候補に残ったのは、エスケープ号、バロネット号、ペガサス号スモーカー号の4頭である。アスコット開催5日前、ジョージエプソム競馬場で4頭による最後試走行いエスケープ号とバロネット号の出走決めた1791年のオートランズステークス。奥側のバロネット号が半馬身差で優勝。(ジョン・ノット・ザルトリウス(1755-1828)の作品先頭バロネット号の拡大図。チフニー騎手王室勝負服着用している。 第2回オートランズステークスの優勝賞金は2950ギニー(約3100ポンド)と、ダービーの3倍にのぼった当時としてはかなり多頭数となる19頭が出走しこの年ダービー2着馬が本命になった。このレース第1回以上に話題集めアスコット競馬場歴史でも空前となる4万人観衆押し寄せ賭け総額10万ポンド超えたなかにはバリモア伯爵Richard Barry)のように、一人2万ポンド賭けている者さえいた。 ジョージエスケープ号での優勝信じており、エスケープ号にたっぷり賭けていた。ジョージお抱え騎手のサム・チフニー(Samuel Chifney)にエスケープ号に乗るように指示していた。ところがチフニー騎手レース寸前の馬の様子をみて、エスケープ号が調子落としていると考えた。そこでチフニー騎手慌てて2ヶ所の賭け場へ走りそれぞれバロネット号に30ポンド27ポンド賭けた。これが当たれば1000ポンドになるはずだった。 このあたりのジョージとチフニー騎手調教師のウォリック・レイクらの間で行われたやり取りについては、内容異な様々な伝聞がある。ある説では、4頭の候補馬がアスコット競馬場到着したのを見た途端、チフニー騎手エスケープ号では勝てないと踏みバロネット号への騎乗申し出たという。一方レイク調教師エスケープ号の調子悪くない反対した。ジョージどうする決めかねて、レース当日になってから自分相談すると無くチフニー騎手自身決めて良い、と伝えたとされている。また別の伝聞では、エスケープ号とバロネット号を出走させると告げてきたジョージ対し、チフニー騎手直談判をしてその場バロネット騎乗許可得たという。このときレイク調教師エスケープ号の調子万全だと言ったジョージがチフニー騎手バロネット号にそんなに自信があるのかと尋ねると、チフニー騎手は、ほかにも強力な出走馬いるから勝利確約できないが、勝機かなりあるはずだ、と答えたという。 チフニー騎手にとっての心配の種一つだけあった。ジョージエスケープ号に相当賭けているはずだから、もしもバロネット号がエスケープ号を負かしてしまうようなことになると、ジョージが損をするのではないかということだった。そこで思い切ってそのことジョージ尋ねてみた。するとジョージは、これは他言無用内緒の話だがと断った上で、実は保険としてこっそりバロネット号にも賭けているからバロネット号が勝った場合でも17000ポンド儲けになると答えたレースが始まると、エクスプレス号という馬が先頭に立ち、4馬身後ろバロネット号がこれに続き、さらに2馬身離れた3番手にジョージ本命エスケープ号がつけた。ゴールまであと半マイル(約804メートル)というあたりで、チフニー騎手後ろを走るエスケープ号の行き振り思わしくないのをみると、これを見捨ててエクスプレス号との勝負に出ることにした。両馬は全く並んでゴールまで激しく争い最後の最後バロネット号がわずかに前に出て優勝した当時の『タイムズ』紙によれば両馬はほぼ並んでいたが、ゴール寸前バロネット号は半馬身の差をつけたという。この勝利により、ジョージイギリスで一番の大レース優勝馬となった普段ジョージ競馬散財することを諌めていた父ジョージ3世も、この時ばかりはジョージ褒めたという。ジョージ3世は「おまえのバロネット号はよく稼ぐ。儂は先週14人に準男爵位バロネット)を授けたが、奴らは1ペニーだってよこさない。」と言った伝えられている。バロネット号はこのあとイギリス各地勝利をおさめ、アメリカ種牡馬として売られていった

※この「アスコットでの栄光」の解説は、「ジョージ4世と競馬」の解説の一部です。
「アスコットでの栄光」を含む「ジョージ4世と競馬」の記事については、「ジョージ4世と競馬」の概要を参照ください。

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