アスコット金杯制覇の夢とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > アスコット金杯制覇の夢の意味・解説 

アスコット金杯制覇の夢

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/09 00:31 UTC 版)

ジョージ4世と競馬」の記事における「アスコット金杯制覇の夢」の解説

アスコット競馬場でのジョージ4世。(ジョン・ドイル (風刺画家)英語版)(1797-1868)の作品。) ジョージ4世がアスコット金杯制覇の夢を託して4000ギニー費やして購入したザカーネル号。ジョージ4世服色王室服色)で描かれている。(Richard Gilson Reeve (1803-1889)の作品。) ジョージ4世アスコット金杯優勝執念燃やした王族としては、ジョージ4世戴冠式直前行われた1821年アスコット金杯で弟のウィリアム優勝していた。1827年にはジョージ4世の馬(ラドクリフ氏名義)Mortgageが2着になっている。翌1828年ジョッキークラブ正式に和解し1829年にはアスコット開催先立つ饗宴で「競馬庇護者」の称号送られた。 その1829年アスコット金杯優勝するため、ジョージ4世は7頭の馬を総額1万1300ギニー購買した。前年セントレジャーステークス優勝馬ザカーネル号(The Colonel)を4000ギニー1826年不敗活躍をしたリバイアサン号(Leviathan)を2000ギニードンカスターカップ優勝馬フルールドリス号(Fleur-de-Lis)を1500ギニーなどである。このうちリバイアサン号は、厩舎到着してみると調教できないぐらいに疲弊しており、使いものにならなかった。王室厩舎を預かるデルメ・ラドクリフは、内廷費管理官en:Keeper of the Privy Purse)あての書簡のなかで、「取引なかには確かに巨額のものもございました。が、国王陛下私めにとにかく買えとお申しつけになったので、とにかくそれに従うよりありませんでした。」と弁解した。 このとき、ジョージ4世のもとに売り込みに来た者の中に、あのチフニー騎手弟と息子がいた。彼らはジンガニー号(Zinganee)という馬を連れてきて、ジョージ4世買ってもらおうとした。しかし、ジョージ4世買い取り拒否したアスコット金杯発走2時間前に書記官のチャールズ・グレヴィルが2500ギニーでこの馬を買い、友人6代チェスターフィールド伯爵George Stanhope, 6th Earl of Chesterfield)の馬としてアスコット金杯出走させた。これにも異伝がある。The Druid誌の伝えによると、既にジンガニー号の権利確保していたチェスターフィールド伯爵は、ジョージ4世アスコット金杯制覇にかける熱情知りレース前ウィンザー城訪れてジョージ4世拝謁したという。そこでチェスターフィールド伯爵は、もしもご希望されるならジンガニー号をお譲りしますと申し出た。しかしジョージ4世は、この申し出断った。たとえジンガニー号を買ったとしても、もう1頭の有力馬マムルーク号(Mameluke、1827年ダービー優勝馬)がいる。そしてマムルーク号の馬主元ボクサー庶民のジョン・ガリー(John Gully)だった。アスコット金杯直前行われた王室パレード際しガリー国王ジョージ4世の前でも帽子脱がない非礼な振る舞いをしたことを、ジョージ4世根に持っていた。ジョージ4世は、そんな人物敗れるぐらいならばチェスターフィールド伯爵敗れたほうがマシだ、と答えたという。 真偽定かではないが、ザカーネル号について次のような逸話がある。このアスコット金杯4日前、深夜酔漢がザカーネル号の厩舎侵入したこの人物は泥酔したまま勝手にザカーネル号に乗り朝方まで乗り回した。そしてそのままアスコット競馬場から遠く離れた宿屋乗りつけ、宿の亭主に酒を要求した。宿の客が、その馬が国王の馬であることに気づいて慌てて王の厩舎連絡した。ザカーネル号は1時間6、7マイルペース数時間走ったようだったという。 結局、ジンガニー号はマムルーク号を破って優勝した。ザカーネル号は着外だった。チャールズ・グレヴィルが伝えところに拠るとその時になってジョージ4世は、事前にジンガニー号を譲るという申し出など無かった不平言ったという。そして今更のようにジンガニー号を2500ギニー買い取ったこの年Windsor and Eton Express紙は次のように報じている。「アスコット競馬一般大衆これほどまでに人気があるのは、競馬そのものによるのではない。この人気は国王陛下ご尽力賜物である。馬はそこらじゅうでいつでも見られるものだが、王族を見る機会滅多にないものだ。」 翌1830年6月9日アスコット金杯のときは、ジョージ4世ウィンザー城で死を迎えつつあり、競馬を見に来ることはできなかった。この年アスコット金杯出走馬は4頭で、そのうち2頭、本命馬ジンガニー号とザカーネル号がジョージ4世持ち馬だった。しかしザカーネル号が2着、ジンガニー号は4着に終わりジョージ4世アスコット金杯勝てなかった。その後まもなく6月26日ジョージ4世ウィンザー城崩御した。

※この「アスコット金杯制覇の夢」の解説は、「ジョージ4世と競馬」の解説の一部です。
「アスコット金杯制覇の夢」を含む「ジョージ4世と競馬」の記事については、「ジョージ4世と競馬」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「アスコット金杯制覇の夢」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「アスコット金杯制覇の夢」の関連用語

アスコット金杯制覇の夢のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



アスコット金杯制覇の夢のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのジョージ4世と競馬 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS