アスコット金杯制覇の夢
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「ジョージ4世と競馬」の記事における「アスコット金杯制覇の夢」の解説
アスコット競馬場でのジョージ4世。(ジョン・ドイル (風刺画家)(英語版)(1797-1868)の作品。) ジョージ4世がアスコット金杯制覇の夢を託して4000ギニーを費やして購入したザカーネル号。ジョージ4世の服色(王室の服色)で描かれている。(Richard Gilson Reeve (1803-1889)の作品。) ジョージ4世はアスコット金杯優勝に執念を燃やした。王族としては、ジョージ4世の戴冠式の直前に行われた1821年のアスコット金杯で弟のウィリアムが優勝していた。1827年にはジョージ4世の馬(ラドクリフ氏名義)Mortgageが2着になっている。翌1828年にジョッキークラブと正式に和解し、1829年にはアスコット開催に先立つ饗宴で「競馬の庇護者」の称号を送られた。 その1829年のアスコット金杯に優勝するため、ジョージ4世は7頭の馬を総額1万1300ギニーで購買した。前年のセントレジャーステークス優勝馬ザカーネル号(The Colonel)を4000ギニー、1826年に不敗の活躍をしたリバイアサン号(Leviathan)を2000ギニー、ドンカスターカップ優勝馬のフルールドリス号(Fleur-de-Lis)を1500ギニーなどである。このうちリバイアサン号は、厩舎に到着してみると調教できないぐらいに疲弊しており、使いものにならなかった。王室厩舎を預かるデルメ・ラドクリフは、内廷費の管理官(en:Keeper of the Privy Purse)あての書簡のなかで、「取引のなかには確かに巨額のものもございました。が、国王陛下は私めにとにかく買えとお申しつけになったので、とにかくそれに従うよりありませんでした。」と弁解した。 このとき、ジョージ4世のもとに売り込みに来た者の中に、あのチフニー騎手の弟と息子がいた。彼らはジンガニー号(Zinganee)という馬を連れてきて、ジョージ4世に買ってもらおうとした。しかし、ジョージ4世は買い取りを拒否した。アスコット金杯の発走2時間前に、書記官のチャールズ・グレヴィルが2500ギニーでこの馬を買い、友人の6代チェスターフィールド伯爵(George Stanhope, 6th Earl of Chesterfield)の馬としてアスコット金杯に出走させた。これにも異伝がある。The Druid誌の伝えによると、既にジンガニー号の権利を確保していたチェスターフィールド伯爵は、ジョージ4世のアスコット金杯制覇にかける熱情を知り、レース前にウィンザー城を訪れてジョージ4世に拝謁したという。そこでチェスターフィールド伯爵は、もしもご希望されるならジンガニー号をお譲りしますと申し出た。しかしジョージ4世は、この申し出を断った。たとえジンガニー号を買ったとしても、もう1頭の有力馬マムルーク号(Mameluke、1827年のダービー優勝馬)がいる。そしてマムルーク号の馬主は元ボクサーで庶民のジョン・ガリー(John Gully)だった。アスコット金杯の直前に行われた王室のパレードに際し、ガリーが国王ジョージ4世の前でも帽子を脱がない非礼な振る舞いをしたことを、ジョージ4世は根に持っていた。ジョージ4世は、そんな人物に敗れるぐらいならば、チェスターフィールド伯爵に敗れたほうがマシだ、と答えたという。 真偽は定かではないが、ザカーネル号については次のような逸話がある。このアスコット金杯の4日前、深夜に酔漢がザカーネル号の厩舎に侵入した。この人物は泥酔したまま勝手にザカーネル号に乗り、朝方まで乗り回した。そしてそのままアスコット競馬場から遠く離れた宿屋に乗りつけ、宿の亭主に酒を要求した。宿の客が、その馬が国王の馬であることに気づいて、慌てて王の厩舎へ連絡した。ザカーネル号は1時間に6、7マイルのペースで数時間走ったようだったという。 結局、ジンガニー号はマムルーク号を破って優勝した。ザカーネル号は着外だった。チャールズ・グレヴィルが伝えるところに拠ると、その時になってジョージ4世は、事前にジンガニー号を譲るという申し出など無かったと不平を言ったという。そして今更のようにジンガニー号を2500ギニーで買い取った。 この年、Windsor and Eton Express紙は次のように報じている。「アスコット競馬が一般大衆にこれほどまでに人気があるのは、競馬そのものによるのではない。この人気は国王陛下のご尽力の賜物である。馬はそこらじゅうでいつでも見られるものだが、王族を見る機会は滅多にないものだ。」 翌1830年6月9日のアスコット金杯のときは、ジョージ4世はウィンザー城で死を迎えつつあり、競馬を見に来ることはできなかった。この年のアスコット金杯の出走馬は4頭で、そのうち2頭、本命馬ジンガニー号とザカーネル号がジョージ4世の持ち馬だった。しかしザカーネル号が2着、ジンガニー号は4着に終わり、ジョージ4世はアスコット金杯を勝てなかった。その後まもなく6月26日にジョージ4世はウィンザー城で崩御した。
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