アスケラン事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 03:54 UTC 版)
「ナゴルノ・カラバフ戦争」の記事における「アスケラン事件」の解説
1988年2月20日、ナゴルノ・カラバフの州都ステパナケルトの病院で2人のアゼルバイジャン人の女子研修生がアルメニア人によって強姦されたと伝えられた。22日にもステパナケルトでアゼルバイジャン人が殺害されているとの噂が流れ、大勢のアゼルバイジャン人が現地の共産党本部を取り囲んだ。党本部は殺人の噂を否定したが、群衆はそれを信じず、道中で破壊行為を行いながらナゴルノ・カラバフへの行進を開始した。暴徒化した群衆を止めるために当局はおよそ千人の警官を投入し、最終的に自治州のアスケラン地区で発生した衝突により2人のアゼルバイジャン人が死亡し、50人のアルメニア人の村人と人数不明の警官及びアゼルバイジャン人の群衆が負傷した。これはアゼルバイジャン側の発表ではアルメニアの民族主義団体、アルメニア革命連盟の武装隊員による殺人事件と報道された。しかし、モスクワに本部を置く人権団体「メモリアル(ロシア語版)」による、現地のアゼルバイジャン人警官が銃を暴発させた結果の事故であるとの報告も存在する。
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