野見のシオバカリ
名称: | 野見のシオバカリ |
ふりがな: | のみのしおばかり |
種別1: | 風俗習慣 |
保護団体名: | 野見潮はかり保存会 |
選択年月日: | 2003.02.20(平成15.02.20) |
都道府県(列記): | 高知県 |
市区町村(列記): | 須崎市 |
代表都道府県: | 高知県 |
備考: | 旧1月14日公開 |
解説文: | 野見のシオバカリは、高知県須崎【すさき】市の野見地区に伝承されている小正月の行事で、漁業に従事する青年たちが、五色の短冊などで飾られたシオバカリと呼ばれる大きな根付き竹で地区内を地搗きして回り、最後にそれを海に立てて、一年の安全や大漁を祈願するとともに、その傾き方で一年の豊凶を占う行事である。シオバカリを海中に立てる時刻が深夜の干潮時であることから、ヨシオとも呼ばれている。 須崎市野見は、高知県中部の沿岸部に位置し、近世以来商港として栄えてきた須崎港の東に広がる野見湾に面した集落である。野見地区は、漁業を生業とし、現在は養殖漁業が中心となっているが、大正期までは鰯網漁が盛んに行われていた。この行事は、こうした網漁を支えてきた漁師たちによって伝えられてきたものであり、四つの網組の各網元が交替で行事のトウヤをつとめてきたが、養殖漁業の導入によって網元がしだいに衰退したため、現在では、野見潮はかり保存会が中心となって行事を伝承しており、トウヤは、地区内の東、中、西の三つの地区の家々が輪番制でつとめている。行事は、旧暦一月十四日の晩に行われ、その前日から当日の夕刻にかけて、材料となる竹の切り出しをはじめ、シオバカリやサンヤリなどの用具の製作が行われる。 行事に用いられるシオバカリは、長さ十数メートルほどの竹を根を残したまま切り出し、上部の笹を残してそこに短冊を付けたもので、竹の中央部には藁を縄で巻き付けて、割竹に色紙を付けたヤナギと呼ばれる飾りが垂れるように差し込まれる。ヤナギは一二本作られ、その数は一年一二か月を意味している。サンヤリは、竹と縄を使って輪を作り、その輪から三本の竹を足として取り付けたもので、地搗きをするときに輪の中にシオバカリを通して倒れないように三方向から支える道具である。シオバカリは、完成すると地区の東側にある広場に立てておく。 当日は、夜になると行事に参加する青年たちがトウヤの家に集まり、野見地区の氏神である須賀神社の宮司からお祓いを受け、その後、祝宴となる。そして、干潮時に海岸に着けるよう時刻を見計らって一同はトウヤの家を出て、シオバカリを立ててある広場に集まり、そこで再び宮司によるお祓いを受ける。そして、シオバカリを倒してヤナギをはずし、地搗きを始める。地搗きは、青年たちがシオバカリを担いで、地区の西端に突き出た蛭子【えびす】崎を目指して進みながら、所々でシオバカリをまっすぐに立て、古老の木遣り唄に合わせて数回にわたって地面を突くもので、最後の一突きが終わると激しく揺さぶる。地搗さをするときには、シオバカリを支える役目として、サンヤリの足を操作する竹のサンヤリ、シオバカリの上部に結びつけた縄を操る縄のサンヤリがあり、シオバカリを上下に動かす役目として、大人の目の高さのところを持つ上搗き、根元の部分を持つ根搗きなどの諸役がある。かつては、集落内の道を通ったが、現在は集落に沿って設けられている防潮堤の上を進むようになっている。この地搗きは、ジバライとも呼ばれており、悪霊を退散させるため、あるいは海神を鎮めるために行うといわれている。 このようにして地搗きをしながら一行が蛭子崎の海岸に着くころには深夜になる。蛭子崎では、大きな焚火がたかれ、地区の人びとが集まって一行を待ち受けている。一行が到着すると、防潮堤の西端部で最後にもう一回地搗きをしてから、シオバカリに一二本のヤナギを元のように差し込み、ヤナギの先端に提灯を付け、最後に亀や鶴のつくりもの、手鞠、扇などを飾り付ける。そして、青年たちは干潮となった海に飛び込み、シオバカリを海中に立てる。海中に立てられたシオバカリは、そのまま放置されるが、沖の方に倒れるとその年は豊漁になるといわれている。 この行事は漁業に関する小正月の予祝行事として注目されるものであり、またシオバカリと呼ばれる作り物を海中に立てる儀礼は地域的特色が豊かである。 |
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