九百九十九
*関連項目→〔千〕
『曽我物語』巻7「千草の花見し事」 しやうめつ波羅門が千日に千の生類を殺そうとの願を立て、999日に999の生物の命を断つ。千日目に亀を殺そうとすると、波羅門の母が「亀を放して代わりに我を殺せ」と言う→〔土〕5b。
『曽我物語』巻7「斑足王が事」 斑足王が「千人の王の首を取ろう」と志し、999人まで取る。千人目に捕えた普明王は1日の暇を請い、後世のために僧を招いて供養する。その功徳で斑足王は諸法皆空を悟り、悪心を止めた。
『まつら長者』(説経) 大蛇が大池に住むこと999年、999人の人身御供を取った。千人目の人身御供になった松浦長者の娘さよ姫が『法華経』「提婆品」を読み上げ、経巻を大蛇の頭に投げると、12の角が落ちて大蛇は成仏得脱する〔*『さよひめ』(御伽草子)に類話〕。
*九百九十九人の命を助ける→〔昇天〕2の『南総里見八犬伝』第9輯巻之13之14第116~117回。
『賢愚経』「指鬘の宿業の話」 鴦仇魔羅(指鬘外道)は、7日のうちに千人の指を切り落とそうとして人々を殺しまわり、999本の指を集めた。人々が皆逃げ隠れてしまったので、鴦仇魔羅は、「母親の指を切って千本目にしよう」と考える。仏がこれを見て鴦仇魔羅を教化し、仏弟子とした(*→〔千〕1の『今昔物語集』巻1-16では、一番最初に仏に出会う)。
*後に仏は、鴦仇魔羅の前世を語った。「鴦仇魔羅の前世は駁足王で、999人の王を捕え、千人目に須陀素弥王(仏の前世)をつかまえた。須陀素弥王は波羅門に布施をするため7日の猶予をもらい、その後に約束どおり駁足王の所に戻って死のうとする。その姿を見た駁足王は悪心を止め、諸王を解放したのだ」。
『義経記』巻3「弁慶洛中にて人の太刀を奪ひ取る事」 弁慶は千振の太刀を得ようと欲し、洛中で人々の太刀を取り歩く。奪った太刀を、樋口烏丸にある御堂の天井に隠し、数えてみると999本あった。いよいよ千本目というところで、弁慶は御曹司義経と出会った〔*『橋弁慶』(御伽草子)では、逆に義経の方が五条の橋で千人斬りをくわだて、999人斬ったところで弁慶と出会う〕→〔飛行〕1e。
★4.九百九十九人の垢を洗い落とす。
『元亨釈書』巻18 光明皇后が浴室を建て、「貴賤を問わず千人の垢を自らの手で落とそう」と誓う。999人まで終わり、千人目に癩病の男(*実は阿シュク如来)があらわれる。皇后は癩病者の身体を洗い、膿を吸って、「私がお前の膿を吸ったことは他言するな」と言う。すると癩病者は全身から光を放ち、「后も、阿シュク如来の垢を落としたことを人に語るなかれ」と告げ、忽然と姿を消す。
★5.九百九十九足のぞうり。
『天人女房』(昔話) 天人女房が、「ぞうりを千足作って天へ昇って来い」と、夫に言い残して飛び去る。夫は999足まで作り、最後の1足は作らずに、迎えの雲に乗って天に昇り始める。しかしあと少しの所で届かないので、天人女房が機織り棒を差し出して、夫を引き上げる(香川県三豊郡)→〔異郷訪問〕4・〔水浴〕1a。
★6.九百九十九対一。
『今昔物語集』巻5-23 舎衛国の山の木に千の猿がおり、999の猿には鼻がなく、1の猿だけに鼻があった。999の鼻欠け猿は、鼻ある猿を片輪者とあざけった。
『神道集』巻2-6「熊野権現の事」 天竺・摩訶陀(まかだ)国の善財王の999人の后たちが、五衰殿の女御の懐妊を嫉妬し、999人の老女を鬼の姿に作り暴れさせるなどのことをして、女御を死に追いこんだ(*→〔出産〕11)。後に善財王や五衰殿の女御は、熊野の神となった(*→〔神になった人〕2)。999人の后は、熊野の赤虫(蟻のことか?)と化した〔*類話の『熊野の御本地のさうし』(御伽草子)では、999人の后は鳴神(=雷)になり、また赤蟲になった、と記す〕。
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