おおみねおくがけみちとは? わかりやすく解説

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おおみね‐おくがけみち〔おほみね‐〕【大峰奥駈道】

読み方:おおみねおくがけみち

奈良県吉野山和歌山県熊野三山を結ぶ道。修験者修行道。熊野古道中でも険し道として知られる。靡(なびき)と呼ばれる75か所の修行場設けてあり、ここを順に修行して歩く。熊野本宮大社本宮証誠殿(1番)から吉野川河岸の宿(75番)へ向かうのを順峰(じゅんぷ)、その逆に巡るのを逆峰(ぎゃくふ)という。平成16年2004)「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として世界遺産文化遺産)に登録された。


大峯奥駈道

名称: 大峯奥駈道
ふりがな おおみねおくがけみち
種別 史跡
種別2:
都道府県 2県以上
市区町村 吉野郡吉野町黒滝村川上村天川村上北山村下北山村十津川村五條市田辺市新宮市
管理団体 五條市吉野町天川村上北山村下北山村田辺市新宮市
指定年月日 2002.12.19(平成14.12.19)
指定基準 史3,史6
特別指定年月日
追加指定年月日
解説文: 大峯奥駈道は、標高1,200mから1,900mの山々連なる大峰山脈の主稜 線通り吉野熊野の二大聖地を結ぶ約120kmに及ぶ山岳道であり、急峻な山 岳は、我が国固有の信仰である修験道の最も重要な修行の場となっている。
  この道は、修験者修行の道であり、沿道には金峯山寺鉱山資源支配するとい う「金山毘古神」を祭神とする金峯神社大峰山寺熊野本宮大社奥の宮であり、 社務所台所重要文化財指定されている玉置神社などの寺社以外にも、宿や靡と 呼ばれる霊地点在し平安時代中頃には既に120近く霊地記録されている。 これらの山中の峰や岩、滝などは諸仏尊が顕現した場所といわれ、鏡や土器など信仰 に伴う遺物多く確認されている。
 なお、大峰山寺本堂解体修理に伴う発掘調査による黄金仏などの出土金峯山経塚 からの多量出土品は、平安時代前期藤原道長初めとする中央貴族大峯修験へ の多大な信仰物語るものとなっており、奥駈道の本宮側の基点近くには、保安2年 (1121)銘の陶製容器出土した備崎経塚群所在する
  大峯奥駈道に入って読経修法などの修行することを峯入りといい、その種類は、 時代によって異なり鎌倉時代末には晦日山伏峯入供の峯・役行者御影供の峯 ・諸国山伏峯入・笙の窟冬籠の5種類があったとされ、室町時代になると、本山派 は春、熊野から入って吉野にぬける順峯、当山派秋に吉野から熊野にぬける逆峯の 修行を行うようになるまた、江戸時代には、本山派年間通じて当山派は春か ら秋にかけてそれぞれ4種類峯入を行うようになる峯入は、現在も行われ本山 修験宗聖護院では、夏に奥駈をし、当山派三宝院金峯山寺では、春の峯入 と夏の奥駈を行っている。なお、江戸時代中期以降には在俗者を中心とする大峯講の 峯入り行われるうになる
  峯入は、入峯前に前行入峯の際に入成の作法をし、峯中で十界修行をすることに より、即身成仏境地達し、出成の作法をして出峯するという順序行われた
  熊野から吉野大峯山全体は、胎金曼陀羅とされ、峯入道にそって120の宿が 設けられ、これらを拠点として修行が行われたが、特に山上ケ岳小笹弥山・深仙 ・前鬼などが重視された。また、その後奥駈道に、本宮を第1とし吉野渡しを 第75とする靡が設定されそれぞれ修行の場となっていた。
  このように平安期から、我が国固有の信仰である修験道の最も重要な修行の場とな っていた大峯奥駈道は、今もその姿を良好に留め我が国修験道歴史考え上 で極めて重要な遺跡であり、よって史跡として保護しようとするものである
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