『続 岳物語』
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 08:42 UTC 版)
1986年7月、集英社刊行。「あかるい春です」「少年の五月」「盗聴作戦」「ガク物語」「ヨコチンの謎」「チャンピオン・ベルト」「冬の椿」「オバケ波」「骨と節分」「闇の匂い」「出発」の11編を収録。文庫版は集英社文庫から1989年11月刊行、文庫版解説は野田知佑。挿絵は単行本・文庫版ともに沢野ひとし。 各短編は『青春と読書』1985年5月号~1986年6月号に掲載。岳のエピソードは小学校高学年の出来事が中心となり、親への反抗と自立、父から離れて対等な一人の男へと成長していく過程が描かれ、中学校入学祝いの餃子パーティーと入学式の日を描いた「出発」で物語は幕を閉じる。
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『続 岳物語』
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2か月間のシベリアの旅から帰国しぼんやりした気分の中、パーティーに出席した私は友人の沢野ひとしから、「椎名は少し息子に構いすぎだ、子どもはやがて必ず親からきっぱりと離れていくのだから、いつまでも子どもと気持ちをぴったり通わせようとしているとショックが大きい」と冗談とも忠告ともつかない言葉をかけられる。その通り、6年生になる岳は釣りやカヌーの腕前で完全に私を凌駕し、小学校からの帰宅後には小食として自分でラーメンなどを調理し、トレパンの破れも自分で繕うようになっていた。そして、毎夜シーナ家の客間で繰り広げられる、プロレスごっこと呼ぶには余りに激しい「男の闘い」においても、ついに岳は肩車のような技で私を宙に浮かせ、投げ飛ばしてみせるまでに成長していた。 この前後から、岳の親離れの兆候は様々な場面で表れるようになった。小6の最後の運動会を岳に黙って見に行った両親に対して怒り、夏休みに私や野田さんらと共に川下りに行った十勝川では、私よりも同級生のトッタン・ミッタン兄弟と行動を共にし、保育園児の頃からの習慣だった自宅の風呂場での散髪も断るようになった。そして、数か月に一度のペースで雑多に散らかった自室の古い雑誌や低学年のころのおもちゃを突如として大量に処分するのだった。私はこの片づけを”子供の脱皮”のようなものと考えていた。 岳の小学生最後の冬は、私にとって辛い出来事が続いた。シベリア横断旅行のリーダーだった星見利夫さんが壮絶な闘病の末に癌で亡くなり、私は小さな骨になってしまった父親を前に涙をぼろぼろとこぼす小6の娘さんの姿に耐えられず、ついに星見さんの骨を拾って骨壺に納めてやれなかった。高校時代の友人で東京オリンピックのボクシング代表にまでなった吉野の失踪と殺害の噂、そして義母の脳血栓。重苦しい日々の中で、私は小6で自分の父が病死したとき、父の骨を見たのだろうかと思い出そうとしたが、葬儀の前後のことは思い出せても、肝心なことは何も記憶していなかった。岳を中学校の制服の採寸に洋品店に連れていった日、着慣れない詰襟を羽織る岳を眺めながら、父も私が中学校の制服を着るのを見届けたかっただろうか、という考えがふと頭をよぎるのだった。 小学生最後の春休み、岳はトッタン・ミッタンら6人の友人と亀山湖で一週間の魚釣り合宿を計画した。私には絶対について来るなと言い、野田さんの手をすら借りずに、彼らは全て自分たちでその合宿をやり遂げてみせた。中学校入学直前、野田さん達を自宅に招いての餃子パーティーがあり、桜の花が舞う中で岳の入学式の日を迎えた。少年岳と私のひとつの優しい時代が終わり、これからの彼が自分の世界を歩んでいくことを私は感じていた。
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