『経済学批判』と『資本論』
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「カール・マルクス」の記事における「『経済学批判』と『資本論』」の解説
マルクスの最初の本格的な経済学書である『経済学批判』は、1850年9月頃から大英博物館で勉強しながら少しずつ執筆を進め、1857年から1858年にかけて一気に書きあげたものである。1859年1月にこの原稿を完成させたマルクスはラッサールの仲介でドゥンカー書店からこれを出版した。『経済学批判』は本格的な経済学研究書の最初の1巻として書かれた物であり、その本格的な研究書というのが1866年11月にハンブルクのオットー・マイスネル書店から出版した『資本論』第1巻だった。そのため経済学批判の主要なテーゼは全て資本論の第1巻に内包されている。よってこの二つはまとめて解説する。マルクスは『資本論』の中で次の主旨のことを主張した。 「人間が生きていくためには生産する必要があり、それは昔から行われてきた。ある場所で生産された物が別の場所で生産された物と交換される。それが成り立つのは生産物双方の使用価値(用途)が異なり、またその価値(生産にかかっている人間の労働量)が同じだからだ。だが資本主義社会では生産物は商品にされ、特に貨幣によって仲介されることが多い。たとえ商品化されようと貨幣によって仲介されようと使用価値の異なる生産物が交換されている以上、人間の労働の交換が行われているという本質は変わらないが、その意識は希薄になってしまう。商品と化した生産物は物として見る人がほとんどであり、商品の取引は物と物の取引と見られるからである。人間の創造物である神が人間の外に追いやられて人間を支配したように、人間の創造物である商品や貨幣が人間の外に追いやられて人間を支配したのである。商品や貨幣が神となれば、それを生産した者ではなく、所有する者が神の力で支配するようになる」 「ブルジョワ市民社会の発展は労働者を生み出した。この労働者というのは労働力(自分の頭脳や肉体)の他には売れる物を何も所有していない人々のことである。労働者は自らの労働力を商品化し、資本家にそれを売って生活している。資本家は利益を上げるために購入した労働力という商品を、価値以上に使用して剰余価値を生み出させ、それを搾取しようとする(賃金額に相当する生産物以上の物を生産することを労働者に要求し、それを無償で手に入れようとする)。資本家が剰余価値を全部消費するなら単純再生産が行われるし、剰余価値の一部が資本に転換されれば、拡大再生産が行われる。拡大再生産が進むと機械化・オートメーション化により労働者人口が過剰になってくる。産業予備軍(失業者)が増え、産業予備軍は現役労働者に取って代わるべく現役労働者より悪い条件でも働こうとしだすので、現役労働者をも危機に陥れる。こうして労働者階級は働けば働くほど窮乏が進んでいく。」 「商品は、不変資本(機械や原料など生産手段に投下される資本)、可変資本(労働力購入のために投下される資本)、剰余価値からなる。不変資本は新しい価値を生まないが、可変資本は自らの価値以上の剰余価値を生むことができる。この剰余価値が資本家の利潤を生みだす。ところが拡大再生産が進んで機械化・オートメーション化してくると不変資本がどんどん巨大化し、可変資本がどんどん下がる状態になるから、資本家にとっても剰余価値が減って利潤率が下がるという事態に直面する。投下資本を大きくすれば利潤の絶対量を上げ続けることはできる。だが利潤率の低下は生産力の更なる発展には妨げとなるため、資本主義生産様式の歴史的限界がここに生じる」。 そして「労働者の貧困と隷従と退廃が強まれば強まるほど彼らの反逆も増大する。ブルジョワはプロレタリア階級という自らの墓掘り人を作り続けている。収奪者が収奪される運命の時は近づいている。共産主義への移行は歴史的必然である」と結論する。
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