『経王殿御返事』との関連
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/12 09:20 UTC 版)
「佐渡始顕本尊」の記事における「『経王殿御返事』との関連」の解説
当書は文永10年8月15日、四条氏に宛てて出された書状とされるが、真筆は現存せず、録外御書に初めて収録された。文中、曼荼羅本尊に言及する言葉があるが、中でも「十羅刹女の中にも皐諦女の守護ふかゝるべきなり。」という言葉に注目される。日蓮図顕の曼荼羅本尊の中には、十羅刹女の個別名が列記されているものがあるが、十羅刹を列記する例は大幅の大曼荼羅本尊にしか見られない。文永10年8月15日の『経王殿御返事』に、十羅刹の中の「皐諦(こうだい)」の名前を肯えて挙げられているのは、この時期、十羅刹の名前を列記した大曼荼羅本尊があったことの傍証であり、それは文永10年7月8日の佐渡始顕本尊であると思われる[要出典]。 『妙宗先哲本尊鑑』佐渡始顕本尊の模本 佐渡一谷妙照寺境内にある佐渡始顕本尊 田中智学書写の佐渡始顕本尊(『本門本尊論』山川智応著219頁) 文永11年6月 天目授与本尊
※この「『経王殿御返事』との関連」の解説は、「佐渡始顕本尊」の解説の一部です。
「『経王殿御返事』との関連」を含む「佐渡始顕本尊」の記事については、「佐渡始顕本尊」の概要を参照ください。
- 『経王殿御返事』との関連のページへのリンク