『経済表』の諸版
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ケネーは1758年12月に『経済表』の初版を出版したが、印刷部数が少ないため、初版の原本は現在伝わっていない。その後『経済表』はケネーの生前に数度出版されたが、版によって原表が修正されたり改訂されたりしたため、ケネーの真意について、さまざまな解釈を生むこととなった。それらの諸版を整理すると次のようになる。 初版ーー1758年12月に印刷されたが、原本は残っていない。1890年にその草稿が発見された。草稿により、この版には「国民年収入の変化についての注意」が付いていたことが知られる。 第2版ーー1759年春に印刷されたが残っていない。1890年にその校正刷りが発見された。 この版では、初版の「注意」が「シュリー氏王国経済の抜粋」と名を変えた。 第3版ーー1759年末に印刷された。残っていたものが研究者ギュスターヴ・シェルによって発見された。 1760年版ーーミラボー侯爵が『人間の友』第6篇を出版した際に「経済表とその説明」を付した。『経済表』の内容はこれによって同時代人に、広く知られるようになった。 1763年版ーーケネーとミラボー共著『農業哲学』の第7章に掲載された。この表は「略表」または「小表」と呼ばれる。この略表には「経済的統治の一般原則」が付いている。 1766年版ーー『農業・商業・財政雑誌』に論文「経済表の分析」とともに掲載された。これは「範式」と呼ばれる最終的な表である。マルクスが研究対象としたのはこの範式であり、経済学者アウグスト・オンケンはそれでは研究として不十分と批判した。
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