『剣と寒紅』裁判
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1998年(平成10年)3月20日、福島次郎が文藝春秋社から実名小説『三島由紀夫――剣と寒紅』を発売した。週刊誌などのジャーナリズムは、三島と福島の同性愛の関係を描いたセンセーショナルなものとして、殊更に人の好奇心を煽るように喧伝した。作中には、三島から福島に送られた15通の書簡の全文も掲載され、それも話題を呼んで注目された。 ただし、この本は著者自身が巻末の跋に、「この小説を書くに当って」と明記しているように、決してノンフィクションであるとはどこにも銘打っておらず、出版社も「文学」、「自伝小説」を強調する宣伝をしていた。これに関して板坂剛は、内容がすべて事実であると言い切る自信が出版社になかったからだと述べ、フィクションと見られる箇所などを指摘しながら、三島研究者にとって真に参考になるのは、三島の書簡のところだけという見解を示している。 1998年(平成10年)3月24日、小説中に掲載された三島の書簡について、「手紙を無断で掲載・公表、複製するのは著作権侵害である」として、三島由紀夫の相続人である三島の長女・冨田紀子と長男・平岡威一郎の2人は、著者・福島次郎と出版元である文藝春秋社に出版差し止めを求める仮処分を東京地方裁判所に申請し、民事裁判を起こした。 1998年(平成10年)3月30日の一審と、1999年(平成11年)10月18日の二審ともに、東京地裁は、文藝春秋社側の主張である「手紙の内容は実用的な通信文であり著作物にあたらない」との言い分を退け、「書簡は事務的な内容の他、三島の自己の作品に対する感慨、抱負や折々の人生観などが、文芸作品とは異なる飾らない言葉で述べられている」とし、書簡を著作物であるという判決を下し、原告が勝訴した。被告側は500万円の損害賠償などを命じられ、控訴した。 2000年(平成12年)5月23日、東京高等裁判所は、被告側の主張は、事実誤認や単なる法令違反で上告理由にあたらないとし、福島次郎と文藝春秋側の控訴を棄却した。判決文の「著作権侵害による損害賠償は、文学的価値ではなく財産的価値の侵害による賠償であって、三島由紀夫と控訴人福島の知名度や文学者としての名声を比較すれば、本件各手紙が本件書籍において、財産的に重要なものであること、すなわち、本件書籍購入の意欲をそそり、本件書籍の商業的成功をもたらすという点で重要なものであることは明らかである」により、書簡も著作物にあたる場合があるとの高裁判決が確定した。 なお、裁判は著作権上の判断であり、争点は福島の著書の内容に関しての真偽についてではなかった。というのは、あらかじめこの著書にはアリバイ的に巻末の中で「小説」と銘うっていたからである。当初より異例の初版10万部の発行を行なっており、判決にもかかわらず大半は流通し9万部が販売され、回収もすぐには行われず、地方の書店では2か月くらい堂々と売られていた。板坂剛はこれについて、「遺族に無断で書簡を公表してはならないことぐらいプロの出版人なら知らないはずはない。にもかかわらず天下の文春がそれをやったということは、最初から裁判沙汰は予定の宣伝戦略であり、その効果を考えれば平岡家に対して支払う謝罪金など安いものだと内心では計算ずくだったのだろう」と述べている。
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