「石川鑑定」とは? わかりやすく解説

「石川鑑定」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/11 12:02 UTC 版)

永山則夫連続射殺事件」の記事における「「石川鑑定」」の解説

静岡事件」の審理と同じころ、永山新たな流れ裁判の中で「自分対す正し精神鑑定」を望むようになっていた。これを受け、第42回公判1973年10月12日)で冒頭陳述終えた弁護側は「1回目精神鑑定では永山非協力的だった。永山当時違い、現在は裁判対す否定的・無関心的な態度はなく、真実に基づいた正し精神鑑定を自ら望んでいる。被告人永山精神状態正しく把握した上で裁判を行うべきだ」として、改め永山精神鑑定申請した東京地裁刑事第5部海老原震一裁判長)は第43回公判1973年11月28日)で精神鑑定採用決定し八王子医療刑務所石川義技官鑑定命じた同月以降審理は約1年5か月間にわたって一時中断し、石川半年間にわたって永山から聞き取り行い青森訪れて永山の母らからも話を聞いたほか、永山自身取り調べの時とは一転して石川に対しては自らの生い立ち事件まで語った一方裁判長務めていた海老原1974年4月1日付で横浜地裁小田原支部転出したため、同日以降西川潔判事(前:司法研修所教官)が3人目裁判長となった1974年8月31日東京地裁刑事第5部西川潔裁判長)に「石川鑑定書」が提出された。石川完成させた鑑定結果(「石川鑑定」)は当時日本ではほとんど知られていなかったPTSD心的外傷後ストレス障害)の理論用い永山出生以来劣悪な環境遺伝的条件思春期危機的心性沖仲仕などの重労働放浪による栄養睡眠傷害ストレス社会からの孤立状況などが複雑に交錯し犯行時の精神状態影響与えた永山犯行前から既に高度の精神的な偏り神経症兆候などを発現し犯行時には精神病に近い精神状態だった。」「『静岡事件』の当時永山4つ重大事件犯したことで罪の意識負担に耐えられず、『刑事追われている』という緊張感強まったため、『早く捕まえてくれ』と言わんばかり病的な状態に陥った」と結論付けたのだった。これは弁護人からすれば有利な証拠となったが、永山石川鑑定結果強く反発し、「こんな鑑定信用ならない」と拒絶した。しかしその後永山膨大な裁判資料中でも石川鑑定鑑定書だけを拘置所身の回り品として死刑執行まで持ち続けており、鑑定書には自ら細かな訂正追加文字書き入れていた。石川はこの鑑定の際に録音した永山肉声テープを後にNHK公開し、それをもとに2012年に「ETV特集 永山則夫 100時間告白封印され精神鑑定真実~」がNHK教育テレビジョン放映され番組ディレクター堀川惠子により『永山則夫 封印され鑑定記録』(岩波書店)として書籍化もされた。

※この「「石川鑑定」」の解説は、「永山則夫連続射殺事件」の解説の一部です。
「「石川鑑定」」を含む「永山則夫連続射殺事件」の記事については、「永山則夫連続射殺事件」の概要を参照ください。

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