「石島」が描かれた地図
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/10 14:38 UTC 版)
「石島 (韓国)」の記事における「「石島」が描かれた地図」の解説
韓国落星台経済研究所の李栄薫は、「勅令第41号」以降に「石島」が描かれている地図として、1911年に米国カリフォルニア州に住んでいる朝鮮人が発行した李承晩『独立精神』の附図に「石島」が描かれていることを指摘している。この地図は、1899年の『大韓全図』を下敷きにしてつくられた地図と考えられるが、「アメリカの同胞たちの祖国朝鮮に対する懐かしさが込められた地図」であり、地名表記がすべてハングルであることが大きな特徴である。この地図には、独島(竹島)が描かれておらず、"トルド"(돌도=石島)が鬱陵本島の南側(本来は北東側か)に隣接するごく小さな島として描かれており、当時の朝鮮民族が「石島」が竹島(独島)とは考えていなかったことの歴然たる証拠であると李栄薫は解説している。
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