「石コロ事件」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/09 09:30 UTC 版)
1982年10月28日、西武対中日の日本シリーズ第5戦(西武球場)。0-0の3回表、中日の攻撃で、2死ながら二塁走者に田尾安志を置き、右打席に平野謙が立ったが、彼の打球は西武の一塁手・田淵幸一の右を抜きながらも、その打球が一塁塁審の村田の足を直撃した。その打球が西武の二塁手・山崎裕之の目の前に転がり、三塁ベースを回っていた田尾がアクシデントに気づいてあわてて三塁に戻ったが、田尾はタッチアウト、中日は先制のチャンスをつぶした(ただし、平野の記録は安打)。 その試合は3-1で西武の勝利、シリーズの通算成績も中日の2勝3敗となった(結局西武は第6戦に勝ち、西武ライオンズとして初の日本一に輝いた)。 試合終了後、報道陣から「あのプレーに関してはどういう心境か」と問われ「石コロ!」と吐き捨てた(公認野球規則によると、野手を通過したボールに審判が当たった時は「ボールインプレー」、すなわち石コロに当たったのと同じ扱いとなる(公認野球規則6.08(d)))。 なお、同シリーズ第6戦においても、1回裏に中日・平野が二塁盗塁した際に西武の二塁手・山崎裕之が落球しているのが見えず、二塁塁審の村田はアウトのコールをした。この時は抗議により判定が覆っている。 村田はこの事件によって、その後1985年までは日本シリーズの審判から外された。
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