自由で開かれたインド太平洋戦略 自由で開かれたインド太平洋戦略の概要

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自由で開かれたインド太平洋戦略

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/06 06:42 UTC 版)

インド太平洋

2018年ごろから、軍事色を消すと共に対中国戦略として受け止められることを防ぎ、より幅広い国の理解を得るため「戦略」の文字が削られ、「自由で開かれたインド太平洋」となった[2]

この構想は、アメリカ合衆国にも採用され、2019年に国務省がこのコンセプトを公式の文書で発表した[3]。現在ではバイデン政権でも受け継がれた他ヨーロッパ諸国にまで浸透し始めている[2]

概要

日本の構想は、中華人民共和国の経済的台頭を意識して、インド洋太平洋を繋ぎ、アフリカアジアを繋ぐことで国際社会の安定と繁栄の実現を目指す[4]。構想実現の3本柱として、

  1. 法の支配航行の自由自由貿易等の普及・定着
  2. 経済的繁栄の追求(東南アジア西南アジア中東南部アフリカの連結、EPA/FTAや投資協定を含む経済連携)
  3. 平和と安定の確保(海上法執行能力の構築、人道支援・災害救援等)

が挙げられている[4][5]

日本の外交戦略としての「インド太平洋」構想は、安倍によって提唱され、推進されてきた[6]。この構想は第1次安倍政権価値観外交における「自由と繁栄の弧」の概念に始点を持つ[6]。「自由と繁栄の弧」とは、北欧諸国、バルト三国中欧東欧中央アジアコーカサス中東インド亜大陸東南アジア北東アジアにつながる弧状の地域を、自由民主主義、基本的人権法の支配市場経済といった価値を基礎とする地域を目指すものであった[6]

安倍は2007年(平成19年)8月22日インド国会で行った「二つの海の交わり」という演説(後述)で、日印戦略的グローバルパートナーシップが、この構想の要をなすと述べた[6]

2016年(平成28年)8月のアフリカ開発会議で安倍は「自由で開かれたインド太平洋戦略」を提唱した(後述)。

背景

日本の特徴

日本は、四面環海の海洋国家かつ世界有数の経済大国であるが、鉱物資源に乏しく、また食料自給率も低いため、海外依存度が極端に高い物資が存在している。

資本主義自由主義陣営の一角として、ソビエト連邦(後のロシア連邦)や朝鮮半島大韓民国朝鮮民主主義人民共和国)、中華人民共和国(及び中華民国)と近接しつつ、多数の在日米軍基地・施設を有することから、その工業力・経済力も相まって戦略的価値も高い。

インドの戦略的価値の高まり

インドは、1947年(昭和22年)8月、大英帝国から独立(インド・パキスタン分離独立)し、さらに1950年(昭和25年)に共和制に移行したが英連邦(Commonwealth of Nations)に残留した[注釈 1]。インドは広大な面積と、世界第2位(当時)の人口を有する。1991年(平成3年)に就任したナラシンハ・ラーオ(ナラシマ・ラオ)首相の下で、社会主義的政策から自由主義的政策に大きく転換した。特に2000年代以降はBRICsの一角として、その将来の発展に大きく期待が寄せられるようになった。

2007年(平成19年)8月22日、第90代内閣総理大臣(当時)だった安倍晋三インド共和国を訪問し、同国国会で「二つの海の交わり」と題し、次のような演説を行った[7]。題名の「二つの海」はインド洋太平洋を指す。

太平洋とインド洋は、今や自由の海、繁栄の海として、一つのダイナミックな結合をもたらしています。従来の地理的境界を突き破る「拡大アジア」が、明瞭な形を現しつつあります。これを広々と開き、どこまでも透明な海として豊かに育てていく力と、そして責任が、私たち両国にはあるのです。
このパートナーシップ[注釈 2]は、自由民主主義基本的人権の尊重といった基本的価値と、戦略的利益とを共有する結合です。

日本外交は今、ユーラシア大陸の外延に沿って「自由と繁栄の弧」と呼べる一円ができるよう、随所でいろいろな構想を進めています。日本とインドの戦略的グローバル・パートナーシップとは、まさしくそのような営みにおいて、要(かなめ)をなすものです。

日本とインドが結びつくことによって、「拡大アジア」は米国豪州を巻き込み、太平洋全域にまで及ぶ広大なネットワークへと成長するでしょう。開かれて透明な、ヒトとモノ、資本と知恵が自在に行き来するネットワークです。

ここに自由を、繁栄を追い求めていくことこそは、我々両民主主義国家が担うべき大切な役割だとは言えないでしょうか。

また共に海洋国家であるインドと日本は、シーレーンの安全に死活的利益を託す国です。ここでシーレーンとは、世界経済にとって最も重要な、海上輸送路のことであるのは言うまでもありません。

志を同じくする諸国と力を合わせつつ、これの保全という、私たちに課せられた重責を、これからは共に担っていこうではありませんか。

今後安全保障分野で日本とインドが一緒に何をなすべきか、両国の外交・防衛当局者は共に寄り合って考えるべきでしょう。私はそのことを、マンモハン・シン首相に提案したいと思っています。

中華人民共和国の台頭と台湾

中華人民共和国

1978年(昭和43年)の改革開放政策は、1989年(平成元年)の天安門事件(民主化運動の弾圧)により停滞したが、鄧小平江沢民政権下でさらなる経済発展を遂げ、BRICsの一角に数えられるに至った。2010年(平成22年)に国内総生産(GDP)で日本を抜き、以来世界第2位となった[8]。一方軍事拡大も推進し、その軍事予算は増大の一歩をたどっている。2012年(平成24年)9月に就航した空母『遼寧』は、太平洋への進出も行い、同国の海空域における活動を拡大・活発化を象徴している。

日本とは尖閣諸島問題で対立し、また南シナ海でも、各国と領土・権益問題で対立している。2013年(平成25年)以降、広域経済圏構想である「一帯一路」を掲げ、海路及び陸路での経済的影響力を進展しようと試みている。

安倍は2017年6月にインフラへのアクセスが開放されていること、透明かつ公正な調達方式、返済可能な債務と財政の健全性が保たれることなどの条件を付けて中国の一帯一路構想に対して支持を表明し[9]、一帯一路構想は環太平洋の自由で公正な経済圏に融合していくとし、「自由で開かれたインド太平洋」構想と「一帯一路」構想との連携について述べた[10]

台湾

国共内戦の結果、敗北した中国国民党中華民国政府)は、本拠地を台湾に移した。1949年(昭和24年)の古寧頭戦役で国民党側が勝利し、中華人民共和国は台湾島の奪取と「全中国の統一」の機会を逸した。その後、中華民国では経済発展李登輝による民主化推進により、「台湾」「台湾人」としてのアイデンティティが決定的に根付いた[11]

元来、中華人民共和国(中国大陸を実効支配)と中華民国(台湾島周辺のみを実効支配)はともに中国大陸に広大な領土を有することを主張していた(一つの中国原則)。そのため、中華人民共和国にとっても、台湾は核心的利益のひとつである(台湾有事)。実際、1996年(平成8年)に中華民国で初の直接選挙による総統選挙が行われた際には、中華人民共和国側がミサイル演習を行っている(第三次台湾海峡危機)。

2016年(平成28年)に総統に就任した蔡英文は、九二共識を明確に否定し、また米大統領との電話会談の公表など米国との関係強化をアピールし、中台関係は緊張しつつある。なお米国は台湾関係法により、台湾防衛のための軍事介入の余地を残している。

概念

2018年(平成30年)1月22日、第196回国会河野太郎外務大臣(当時)は、外交演説において、重点分野の一つである「自由で開かれたインド太平洋戦略」の推進に、以下の3つの考えが中心にあると述べた[12]

法の支配に基づく自由で開かれた海洋秩序は、国際社会の安定と繁栄の礎です。特に、アジア太平洋からインド洋を経て中東・アフリカに至るインド太平洋地域は、世界人口の半数以上を擁する世界の活力の中核です。インド太平洋地域の自由で開かれた海洋秩序を「国際公共財」として維持・強化することは、この地域のいずれの国にも分け隔てなく安定と繁栄をもたらすはずです。 私自身も、多くの機会に、関係国の外相に直接この戦略を説明し、賛同を得ました。この戦略を具体的に推進するため、第一に、航行の自由、法の支配等の普及・定着、第二に、国際スタンダードにのっとった質の高いインフラ整備などによる連結性の向上等を通じた経済的繁栄の追求、第三に、海上法執行能力の構築支援等による平和と安定の確保、この三つを柱として進めていきます。

注釈

  1. ^ 英連邦(Commonwealth of Nations)は、君主制・共和制を問わない連帯であるため、イギリスの君主を戴くオーストラリア連邦等も加盟している。
  2. ^ 日印戦略的グローバル・パートナーシップを指す
  3. ^ アルジェリア人質事件の影響で中止された。
  4. ^ 海洋アジアとは、大陸アジアに対応する概念である(白石隆『海洋アジアvs.大陸アジア:日本の国家戦略を考える』ミネルヴァ書房[要ページ番号]

出典

  1. ^ a b 2017年外交青書:特集「自由で開かれたインド太平洋戦略」”. 外務省 (2017年). 2021年2月4日閲覧。
  2. ^ a b 日本放送協会. “自由で開かれたインド太平洋 誕生秘話”. NHK政治マガジン. 2023年9月9日閲覧。
  3. ^ A FREE AND OPEN INDO-PACIFIC”. アメリカ合衆国国務省. 2023年9月9日閲覧。
  4. ^ a b 岡本 2019 p.1
  5. ^ 河合 2019 p.106
  6. ^ a b c d e f g h 神谷 2019[要ページ番号]
  7. ^ 「二つの海の交わり」
  8. ^ 中国GDP、世界2位確実に 日本、42年ぶり転落」『日本経済新聞』、2011年1月20日。2021年2月4日閲覧。
  9. ^ 河合 2019 p.105
  10. ^ 河合 2019 p.107
  11. ^ 野嶋剛「台湾を変えた男 李登輝よ、さらば」『ニューズウィーク日本版』第35巻第31号、CCCメディアハウス、2020年8月18日、44-45頁。 
  12. ^ 第196回国会外交演説
  13. ^ a b 令和2年版 防衛白書 p.214 図表II-3-1-1
  14. ^ 「国家安全保障戦略」
  15. ^ Shinzo Abe, "Asia's Democratic Security Diamond," Project Syndicate, December 27, 2012.
  16. ^ 「開かれた、海の恵み」
  17. ^ 第6回アフリカ開発会議(TICAD VI)”. 日本外務省 (2016年8月28日). 2021年2月4日閲覧。
  18. ^ TICAD VI基調演説
  19. ^ インド太平洋地域の大使に局長経験者 政府が重点配置」『日本経済新聞』、2020年11月17日。2021年2月4日閲覧。


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