金ぴか時代: 1865年-1900年とは? わかりやすく解説

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金ぴか時代: 1865年-1900年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/17 06:51 UTC 版)

アメリカ合衆国の経済史」の記事における「金ぴか時代: 1865年-1900年」の解説

詳細は「金ぴか時代」および「大不況 (1873年-1896年)#アメリカ」を参照 南北戦争中の1864年国法銀行制度生まれ役員から非居住者締め出したが、しかし外国株主の参入制限しなかった。州法銀行には税金課して国法銀行への転換促したが、1880年以降規制緩和州法銀行増加した外銀規制厳しかったニューヨーク州以外の州に多く支店設置してコルレス網を組んだ1875年香港上海銀行サンフランシスコ支店設立された。外為取引銀塊購入特化しチャイナタウン居住する千万人もの中国人母国送金する仲介をした。1876年設立されサンフランシスコ決済取引所組合は、15会員のうち6会員外資系であった。そこへ翌1877年ラザード参加したシカゴではモントリオール銀行決済取引所参加してイリノイ州最大銀行成長していった。 南北戦争後急速な経済成長現代アメリカ合衆国産業経済基盤造った1868年最初イギリス系投資信託会社設立された。1874年6月ロスチャイルドはジョゼフ・セリグマンと5%利付米国債4500ドル引受けた続いて発行され米国債2500ドルではジューニアス・モルガンらをシ団に加えロスチャイルド55%を引受けたN・M・ロスチャイルド&サンズ1873年から1877年までのロンドン市場において、少なくとも2億6700ポンド米国債発行に関わった。 1880年代までにアメリカ世界でも最も強力な経済大国としてイギリス追いついた。新し発見発明爆発起こり第二次産業革命呼ばれる大きな変化繋がった鉄道格段に営業キロ延ばし、重い貨車機関車造り、低料金でより多く商品や人を運んだ冷凍運搬貨車使われるようになった電話蓄音機タイプライターおよび電灯発明された。20世紀になるまでに、自動車が馬に曳かせる荷車に置き換わり始めた1851年設立されシンガー社は1867年にはイギリス工場建設しヨーロッパ市場にした。さらに1880年代までに世界中支店網広げて多国籍企業のはしりとなった。他にも機関車ボールドウィン社、タイプライターレミントン社、電灯ウェスティングハウス社など19世紀中に海外事業展開する会社次々と現れた。 これらの成功並行して国の工業インフラ発展した石炭ペンシルベニア州から南のケンタッキー州までのアパラチア山脈豊富に発見された。石油ペンシルベニア州西部発見された。大規模な鉄鉱山が中西部の北、スペリオル湖地方開業された。生産するためのこれら2つ重要な原料得られる場所では製鉄所繁栄したと銀の大規模鉱山開業され、鉛鉱山セメント工場その後追った産業外国資本によって近代化した1880年代イギリスでは投資信託会社流行したが、1888年スコットランドダンディー設立されたものは他社成功モデルとなった(the Dundee Investment Company, and the Dundee Mortgage and Trust Investment Company)。概して業界ではスコットランドの方がイギリスよりも利益をあげた。同じくダンディーのロバート・フレミング(Robert Fleming)は大西洋頻繁に渡航した1890年ロンドン設立されたものは(United States Trust and Guarantee Corporation, Ltd.)、英米創立者法人ふくめ5460)にウィリアム・ロックフェラー(William Rockefeller Sr.)がおり、設立当初重役がすべてイギリス人で、その投資先であるアメリカ側の「助言委員会」にはジェームズ・スティルマン参画した。 アメリカの経済性はプライス・ウォーターハウスなどの会計事務所調べ上げたナイアガラフォールズ発電計画調査担当したエドワード・アダムズ(Edward Dean Adams)がロスチャイルドエンジニア派遣要請したので、ロスチャイルド時間をかけて人材派遣したアダムズ1893年から1914年までアメリカでドイツ銀行の代表を務めた採算担保する係累網羅された。証券投資利益実現するため大量生産方式発展したフレデリック・テイラー19世紀遅く科学的管理法編み出し様々な労働者動き注意深く調べてその仕事をするための新しくより効率的なやり方提案した1910年以後大量生産それまで水力に代わって工場電化によって加速された。サミュエル・インサルはテイラーの手法を体現しながらシカゴ電化合理化推進した19世紀後半金ぴか時代大物実業家時代でもあった。多くアメリカ人巨大な資産帝国造り上げた実業家理想化するようになった。その成功は、ジョン・ロックフェラー石油に対してそうしたように、しばしば新しサービス製品対す長期的潜在力追求したことによっていた。彼等激し競争者であり、資産的な成功権力求めることでは直向きだった。ハーバート・スペンサー社会進化論時代の潮流となり、南北戦争後長期間続いた共和党政権は、経済に対して自由放任貫いたので、カルテルトラスト強力な利益追求の手となったロックフェラーフォード以外にも他の巨人として、鉄道資産築いたジェイ・グールド金融業J・P・モルガン鉄鋼業アンドリュー・カーネギーがいた。大物実業家何人かは当時の事業標準に対して正直だった。しかし、他の者は力、賄賂および策略使ってその富と権力獲得した。それが良きにつけ悪しきにつけ、事業利益政府少なからぬ影響及ぼしたモルガンはその私的および事業の生活を大きなスケール展開したモルガンとその仲間ギャンブル行いヨット乗り贅沢なパーティ開き宮殿のような家を建てたモルガンはまた聖公会教会指導者でもあり、世界で最大級美術品コレクターだった。対照的にロックフェラーフォードのような人々ピューリタン性格表した彼等小さな町価値生活様式保持した教会に通う者として他者責任感持った個人美徳成功もたらす信じた労働倹約信条だった。後のその相続者達はアメリカで最大慈善基金創設したヨーロッパの上知的階級一般に商業軽蔑して見たのに対し大半アメリカ人はより流動的な階級構造のある社会生活しており、熱心に資産形成という概念抱いた彼等事業リスク興奮を楽しむと共に事業の成功もたらす高い生活水準その結果としてくる権力称賛という報酬楽しんだ。 ただしアメリカンドリームには外銀つきまとったゴールドシュミット・ファミリーエリー運河会社およびアトランティック鉄道Atlantic and Great Western Railroad)と関係があったし、クラインワート(現ソジェン)はゴールドマン・サックス親しかった外銀ドレスナー銀行モルガンと関係を深めた1870年代からドイツ銀行は、ケーブル鉄道海運といったインフラ事業大規模な投資行っていた。1895-6年にはモルガン共同連邦政府債券市場化させるシンジケート参画した。BNPパリバ前身諸行アメリカの鉄道債券発行参画していた。 アメリカ合衆国政府は、自由放任とは言いながら、外に対して産業界保護するために繰り返し関税率引き上げ行った。これはアメリカGNPイギリス追い越して世界一となった後も、一時期例外として第二次世界大戦が終わるまで続けられた。 アメリカ労働運動1869年最初意義有る労働組合であるナイツ・オブ・レイバーで始まったナイツ1880年代に潰れ、サミュエル・ゴンパーズの下にアメリカ労働総同盟 (AFL) として束ねられ強力な国際的組合置き換えられた。AFL社会主義拒否し雇用主達とより高い賃金より良い労働条件について交渉した組合成長1900年まで鈍かったが、その後第一次世界大戦中ピーク迎えた。 この時代西部フロンティア1862年ホームステッド法成立1869年大陸横断鉄道開通もあって急速に西に移っていった。ホームステッド法一定の条件満たした者に160エーカー(約 65 ヘクタール)の未開墾の土地無償払い下げる制度だった。それまでアメリカ合衆国政府獲得した領土公有地として民間売却することで財政補ってきたが、労働運動草分け存在であるジョージ・ヘンリー・エヴァンズ、北部新聞編集者ホレス・グリーリー等が1840年代から無償化の提案続けていた。ここへ来て財政的に安定したことや反対していた南部州脱退したこともあって無償化に踏み切った東部からの移住者南北戦争敗北あぶれた南部住民西部入り一時無法化した地域もあった(西部開拓時代)。ホームステッド法1976年打ち切られアラスカ州のみ1986年まで)この間払い下げられ土地は160件、その面積は2億7000エーカー(108万平キロメートル)で、アメリカ国土10%達した1890年には国勢調査局長が、フロンティア・ライン呼べるものがなくなったことを国勢調査報告書記載しフロンティアの消滅宣言された。歴史家フレデリック・ターナーは、フロンティア合衆国民主主義・国民性を関連づけて論述したフロンティア学説)。 伝統的な農業近代化する改革者達は1867年農民共済組合運動始めた連邦政府による土地払い下げによって各州農業大学創設し農夫近代的技術実演して見せ農業相談員ネットワークができた。1890年代小麦綿花農夫達はポピュリスト運動支持したが、銀の自由鋳造インフレーション要求失敗したその代わり1896年選挙では金本位制と息長い工業化計画を国に認めさせることになった

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