蝦夷とは? わかりやすく解説

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えぞ【蝦夷】

読み方:えぞ

【一】古代北陸関東北部から北海道にかけて居住した人々大和政権から異民族視され、大化の改新後は朝廷征討によってしだいに北方追われ、しばしば抵抗した。えみし。

【二】蝦夷地(えぞち)


えみし【蝦夷】

読み方:えみし

「えぞ(蝦夷)」の古称


蝦夷

読み方:エゾezo), エゾシ(ezoshi), エミシemishi

古代に、北関東から東北北海道にかけて住み朝廷支配服属しなかった人々


蝦夷

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/19 01:00 UTC 版)

蝦夷(えみし、えびす、えぞ)は、大和朝廷から続く歴代の中央政権から見て、日本列島東国(現在の関東地方東北地方)や、北方(現在の北海道千島列島樺太)などに住む人々の呼称である[1]


注釈

  1. ^ 高橋崇は蝦夷の自称とは言わないが、中国側が呼んだものとしてこの説に傾く[15]
  2. ^ 工藤雅樹もこれを支持する[21]
  3. ^ 下線部「「」は田へんに「比」の一文字、「」は「」(にんべん)に「嚢」の一文字。
  4. ^ ただし中世の蝦夷に含まれる渡党という集団は、文化的には近世アイヌに酷似しているが、その実体については諸説あり、青苗文化人の後裔とも、和人が土着化したものとの説もある。渡党の出自が何であれ、かれらは道南で和人の支配体制に取り込まれ、次第に和人化していったとも言われる。
  5. ^ 北海道渡島半島の住民で、津軽海峡を往来する交易集団。
  6. ^ 北海道太平洋側(近世の東蝦夷)の住民で、千島方面の産物をもたらした交易集団と推定される。
  7. ^ 北海道日本海側(近世の西蝦夷)の住民で、樺太(唐太)とつながり、中国の産品をもたらした交易集団と推定される。

出典

  1. ^ a b 「エミシ」と「エゾ」”. 青森県立郷土館. 2021年4月5日閲覧。
  2. ^ 高橋 1974, p. 33.
  3. ^ 高橋 1986, pp. 25–26; 工藤 2001, p. 26.
  4. ^ 『日本書紀』神武天皇即位前紀。
  5. ^ 高橋 1974, p. 23; 高橋 1969, p. 49; 工藤 2001, p. 33.
  6. ^ 高橋 1974, p. 23; 高橋 1969, pp. 49–50.
  7. ^ 金田一 2004, pp. 64–65, 110–116, 126.
  8. ^ 高橋 1974, pp. 27–28; 高橋 1969, pp. 52–53.
  9. ^ 『山海経』第9海外東経(平凡社ライブラリー 132-133頁)。[要文献特定詳細情報]
  10. ^ 工藤 2001, pp. 46–47.
  11. ^ 高橋 1986, p. 16.
  12. ^ 高橋 1974, pp. 32–33.
  13. ^ 高橋 1974, pp. 32–33; 高橋 1969, p. 50.
  14. ^ 松浦武四郎『天塩日記』
  15. ^ 高橋 1986, pp. 20–21.
  16. ^ 正宗敦夫編『日本古典全集 伊呂波字類抄 第三』、昭和3年
  17. ^ 人見蕉雨『黒甜瑣語. 第3編』、人見寛吉、明治29年
  18. ^ a b c d 北海道の名前について”. 北海道立文書館. 2020年1月20日閲覧。
  19. ^ 中道等『奥隅奇譚』、郷土研究社、昭和4年、p.3
  20. ^ 金田一 2004, pp. 116, 127.
  21. ^ 工藤 2001, pp. 117–118.
  22. ^ 高橋 1969, p. 53.
  23. ^ 高橋 1986, pp. 22–24.
  24. ^ 高橋 1986, pp. 12–13(81例中14)
  25. ^ 『日本後紀』延暦16年2月己巳(13日)条。
  26. ^ 熊田 1986, pp. 162–165.
  27. ^ 蝦夷は、倭・高句麗戦争直後から日本へもたらされたおよび騎射の技を、和人よりも高度に習得し磨いた。
  28. ^ 滝沢規朗. “概説2 新潟県の弥生時代後期~古墳時代前期” (PDF). 新潟県. 2019年6月2日閲覧。
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  39. ^ 熊谷 1986, p. 90.
  40. ^ 熊谷 1986, pp. 87–90.
  41. ^ ただし渡嶋については、北海道南西部は、考古学的に古代の馬の骨は発見されておらず詳細は不明である。
  42. ^ 類聚三代格』巻19
  43. ^ 森嘉兵衛『県史シリーズ』 3巻、山川出版社、1972年、38-41頁。 内容:岩手県の歴史。
  44. ^ この頃、オホーツク人が南下し、道北・道東へ居住した。
  45. ^ a b 宇野俊一ほか 編『日本全史(ジャパン・クロニック)』講談社、1991年、141頁。ISBN 4-06-203994-X 
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  50. ^ Schmidt, Seguchi (2014年). “Jōmon culture and the peopling of the Japanese archipelago”. 2023年6月30日閲覧。 “These results suggest a level of inter-regional heterogeneity not expected among Jomon groups. This observation is further substantiated by the studies of Kanzawa-Kiriyama et al. (2013) and Adachi et al. (2013). Kanzawa-Kiriyama et al. (2013) analysed craniometrics and extracted aDNA from museum samples that came from the Sanganji shell mound site in Fukushima Prefecture dated to the Final Jomon Period. They tested for regional differences and found the Tokoku Jomon (northern Honshu) were more similar to Hokkaido Jomon than to geographically adjacent Kanto Jomon (central Honshu).
    Adachi et al. (2013) described the craniometrics and aDNA sequence from a Jomon individual from Nagano (Yugora cave site) dated to the middle of the initial Jomon Period (7920–7795 cal BP). This individual carried ancestry, which is widelydistributed among modern East Asians (Nohira et al. 2010; Umetsu et al. 2005) and resembled modern Northeast Asian comparison samples rather than geographical close Urawa Jomon sample.”
  51. ^ a b 小泉保『縄文語の発見』青土社、1998年。ISBN 4791756312 [要ページ番号]
  52. ^ 高橋克彦『東北・蝦夷の魂』現代書館、2013年。ISBN 9784768457009 [要ページ番号]
  53. ^ Boer, Elisabeth de; Yang, Melinda A.; Kawagoe, Aileen; Barnes, Gina L. (2020). “Japan considered from the hypothesis of farmer/language spread” (英語). Evolutionary Human Sciences 2. doi:10.1017/ehs.2020.7. ISSN 2513-843X. 
  54. ^ 古田史学の会 編『古代に真実を求めて』 第7集、明石書店〈古田史学論集〉、2004年。ISBN 4750318981 [要ページ番号]
  55. ^ 直正, 大石; 秀人, 辻; 公男, 熊谷; 進, 榎森; 嘉美, 守屋 (1998). 歴史のなかの東北―日本の東北・アジアの東北. 河出書房新社. ISBN 978-4309223254 
  56. ^ 保男, 北構 (1993). 古代蝦夷の研究. 雄山閣出版. ISBN 9784639010319 
  57. ^ 吾妻鏡貞応3年(1224年)2月29日条にある難破した高麗船の荷物の調査記録では、高麗の弓について「(本朝の弓と比べて)短く、夷弓(蝦夷の弓)に似ていて、皮製の弦である」と記されており、長弓を用いる和人に対し、短弓を使用していた。このような蝦夷の武器(短弓、毒矢)や戦術(騎射、軽装甲)はモンゴル系民族と類似している。なおアイヌも短弓と毒矢を使用する。しかし、北方系の騎馬民族には刺青の風習はなく、日本在来馬の起源も蒙古馬から対州馬を経て、拡散されたものであり、この説は空想の域を出ない。北米のネイティブ・アメリカンの例でもある様に、渡来した集団(この場合白人)からを手に入れ、文化に組みこまれたものと思われる。
  58. ^ “オホーツク人のDNA解読に成功ー北大研究グループー”. 北海道新聞. (2012年6月18日). http://www.okhotsk.org/news/oho-tukujin.html 
  59. ^ 福崎孝雄「エミシ」とは何か(現代密教第11・12合併号)


「蝦夷」の続きの解説一覧

蝦夷

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 02:19 UTC 版)

薄紅天女」の記事における「蝦夷」の解説

アテルイ 実在人物史実では天皇対す反逆者として排除されたため、詳しい人物像などは不明倭人侵略抵抗する蝦夷たちの長で、チキサニの異母兄阿高伯父アベウチフチと共に、チキサニや阿高の力を倭人との戦い利用しよう考えている。 ニイモレ 蝦夷だが倭人通じ人物かつては倭に敵対していたが、蝦夷の将来考えた末に倭へ寝返った。チキサニを深く愛していたが故に倭人の勝総を愛したチキサニを憎み巫女の力を受け継いだ阿高も「チキサニ」と同一視し強く憎んでいる。 アベウチフチ 「蝦夷の火の守り神とされる蝦夷の老巫女倭人侵略対抗すべく、チキサニや阿高の力を利用しよう目論み、チキサニの本来の力を歪めてしまう。 リサト 蝦夷の里に連れてこられた阿高世話する女性。まだ若いが未亡人で、幼い娘がいる。かつて母プトカがチキサニに仕えており、秘められたチキサニの真実を母から託された。ニイモレ叔父チキサニ/ましろ 阿高亡き母で、「蝦夷の炉端火の女神」とされる蝦夷の巫女100年以上前に海を越えて蝦夷に拾われ宝玉女神「チキサニ」の力を受け継ぎ、蝦夷たちからはチキサニ女神同一視されている。アテルイ異母妹で、巫女になる以前俗名不明。 蝦夷との戦いで瀕死の重傷負った勝総を助け、チキサニを巫女女神ではなく一人の娘として扱う勝総に惹かれるうになる。勝総には「ましろ」と言う倭名呼ばれる。後に勝総から家宝明玉託され生まれた息子明玉巫女の力を継がせて亡くなったちびクロ 乳離れしたばかりの蝦夷の仔犬オオカミの血が流れており、決し主人変えない忠実さを持つ。蝦夷の里で出会った阿高懐き阿高たちと共に旅することになる。

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「蝦夷」を含む「薄紅天女」の記事については、「薄紅天女」の概要を参照ください。


蝦夷(えみし / ドワーフ)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/04 06:30 UTC 版)

装甲悪鬼村正」の記事における「蝦夷(えみし / ドワーフ)」の解説

今でいう北海道本流とする一族で、褐色の肌に長い耳、金色銀色の髪を持つ。

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「蝦夷(えみし / ドワーフ)」を含む「装甲悪鬼村正」の記事については、「装甲悪鬼村正」の概要を参照ください。


蝦夷

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 07:43 UTC 版)

アイヌ」の記事における「蝦夷」の解説

詳細は「蝦夷」を参照 朝廷の「蝦夷征伐」など、古代からの歴史登場する「蝦夷」、あるいは「遠野物語」登場する山人(ヤマヒト)」をアイヌ捉える向きもあったが、アイヌ古代の蝦夷との関連については未だに定説はなく、日本史学においては一応区別して考えられている。北海道樺太遅くとも平安時代末に和人定着見られるまでは、多種多様な種族部族アイヌ分散集落での対立多く統一した民族ではなかった。また、文字無くどのような統治状態なのか全く分かっていない。 東北地方の蝦夷(えみし)は和人により古代から征討対象とされ(蝦夷征討)、平安時代民夷融和政策により、平安時代後期までには東北地方北端まで平定され和人同化した。 中世以降アイヌを蝦夷(えぞ)、北海道樺太蝦夷地称してきた。 また、黒竜江アムール川下流域樺太居住する他の諸民族から、樺太アイヌ骨嵬クギ)などと呼ばれていた。

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「蝦夷」を含む「アイヌ」の記事については、「アイヌ」の概要を参照ください。


蝦夷

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 08:29 UTC 版)

奈良時代」の記事における「蝦夷」の解説

詳細は「蝦夷」を参照 歴史上、蝦夷と呼ばれる人々どのような人々であったのかはいまだにさまざまな論があるが、何であれ中華思想基づいた律令国家にとっては、「自らの支配下外側にある人々という概念」でしかなかった。 しかし、奈良時代になると平城京造営軍団整備により財政悪化したことから、それまで支配下とは考えていなかった蝦夷からも徴税するため、大規模な侵略始めたことで戦い激化した7世紀半ば阿倍比羅夫らが現在の秋田津軽地方、さらにその北方至ったとされるが、8世紀初頭律令国家安定的に組み込まれていたのは、今の山形県庄内地方宮城県中部以南までであった当時は城や柵(城柵官衙呼ばれる施設)が作られ、その周囲柵戸呼ばれる民が関東北陸地方から移民させられ耕作当たっていた。郡山遺跡宮城県仙台市)は当時中心的な官衙であったとみられている。平城遷都前後から政府急速な拡大政策をとる。708年には越後国出羽郡をおき、712年には出羽国とした。また東海東山道諸国の民を城柵に移す。農耕防衛に当たらせた。これに対して蝦夷は709年および720年反乱を起こすと、720年時には陸奥按察使上毛野広人殺害される事態となった政府大軍発してこれを鎮圧新たに郡と柵、さらにこれらを統括する施設として多賀城建設した一方日本海側では733年出羽柵現在の秋田市移設された(後の秋田城)。 その後政府は蝦夷の首長郡司任命して部族集団間接的な支配行い、また個別服属してきた者は俘囚として諸国移民させられたりした。こうして東北地方南部徐々に律令制内部組み込まれていくが、東北地方北部以北依然として律令国家支配であった。しかし文化・経済交流続き擦文文化には出羽地方古墳影響受けた末期古墳築造され、また恵庭市では和同開珎出土している。 藤原仲麻呂政権は対蝦夷政策積極的に行った757年天平宝字元年)に仲麻呂の子朝狩陸奥守となり、新たに勢力外だった土地桃生城および雄勝城建設した。また762年多賀城改修し、蝦夷への饗給(きょうごう)を行うにふさわしい壮大な施設へと変えた774年宝亀5年)には桃生城が蝦夷に攻撃され放棄され780年宝亀11年)には伊治呰麻呂陸奥按察使紀広純殺害し多賀城焼き払うという事態に至り、これ以降三十八年戦争といわれる果てしない戦いへと突入する戦い奈良時代の間には決着がつかず、坂上田村麻呂登場によりようやく終息する。後に藤原緒嗣により「今天下の苦しむところは軍事造作なり」と指弾されることとなる対蝦夷戦争は、「天皇政治的権威強化大きな役割担っていた」のである

※この「蝦夷」の解説は、「奈良時代」の解説の一部です。
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蝦夷(えみし)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/05 15:52 UTC 版)

「蝦夷」の記事における「蝦夷(えみし)」の解説

古代の蝦夷(えみし)は、本州東部とそれ以北居住し政治的・文化的に、大和朝廷やその支配下入った地域への帰属同化拒否していた集団指した統一した政治勢力をなさず、積極的に朝廷接近する集団敵対した集団記録残っている。しかし、次第影響力増大させていく大和朝廷により、征服吸収されていった。 「えみし」は朝廷側から他称であり、蝦夷側の民族集団としての自覚有無触れた史料はない。蝦夷に統一アイデンティティー無かった解するか、朝廷側との交渉の中で民族意識形成されであろう想定するかは、研究者の間で意見分かれている。

※この「蝦夷(えみし)」の解説は、「蝦夷」の解説の一部です。
「蝦夷(えみし)」を含む「蝦夷」の記事については、「蝦夷」の概要を参照ください。


蝦夷

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 15:37 UTC 版)

歌枕の一覧」の記事における「蝦夷」の解説

蝦夷(えぞ): 東北地方。「つぼのいしぶみ」は坂上田村麻呂彫ったとされる石碑みちのくの いはで忍ぶは えぞしらぬ かきつくしてよ つぼのいしぶみ(『新古今和歌集』、源頼朝

※この「蝦夷」の解説は、「歌枕の一覧」の解説の一部です。
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蝦夷

出典:『Wiktionary』 (2015/10/25 08:58 UTC 版)

名詞

(えみし、えびす

  1. 古代日本関東から東北地方住んでいた一部族、えみし。

関連語

固有名詞

(えぞ)

  1. 北海道樺太千島旧称蝦夷地とも。

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