でわ‐の‐くに〔では‐〕【出羽国】
読み方:でわのくに
⇒出羽
出羽国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/21 09:14 UTC 版)
出羽国(でわのくに)は、かつて存在した令制国の一つ。東山道に属する。現在の山形県と秋田県。上国。
注釈
出典
- ^ 造渟足柵置柵戸老人等相謂之曰數年鼠向東行此造柵之兆乎『日本書紀』
- ^ 治磐舟柵以備蝦夷遂選越與信濃之民始置柵戸『日本書紀』
- ^ 「続日本記」『角川日本地名大辞典(旧地名編)』出羽郡(古代~中世)
- ^ 『角川日本地名大辞典(旧地名編)』出羽国府(古代)
- ^ 『続日本紀』当該年月条。しかし同書の霊亀2年9月23日(716年10月12日)条にも陸奥国置賜最上二郡を出羽国に隷せしむとある。霊亀2年を誤りとするか、決定時と実施時に分ける説(新野直吉『古代東北の開拓』87-88頁、91-92頁。林陸朗『完訳注釈続日本紀』第一分冊注釈40頁)が有力だが、和銅5年のほうを誤りとする説もある(高橋崇『律令国家東北史の研究』18-19頁)。
- ^ 『延喜式』。上国は、国司の定員は守・介・掾(じょう)・目(さかん)の四等官が各1人、史生(ししょう)3人の計7人である。いずれも中央から派遣された。任務としては、国内の行・財政、司法・検察・軍事・宗教などで、特別な任務としては、蝦夷をもてなし懐柔し、蝦夷集団の支配・服属関係を維持し拡大する饗給、蝦夷集団の動静を常に探る斥候、時に応じて軍事力で蝦夷集団を制圧する征討が付け加わった。
- ^ 高山寺本『倭名類聚抄』
- ^ 「貞観地震からの復興」『日本人は大災害をどう乗り越えてきたのか』p102、文化庁編、2017年6月25日、朝日新聞出版社、全国書誌番号:22919396
- ^ 『角川日本地名大辞典(旧地名編)』井出郷(古代)
- ^ 誉田 2003、 p.40
- ^ 誉田 2003、p.42
- ^ 宝賀寿男『古代氏族系譜集成/中巻』穂積氏系図
出羽国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/14 02:17 UTC 版)
秋田城遺跡から出土した木簡群に、神人部子稲□(足か)、神人部中万呂、神人部福万呂などの名が見える。
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出羽国
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丸岡城 - 最上からの分離独立を図る大宝寺氏(武藤氏)の居城。景勝の代に庄内侵攻で直轄化。
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出羽国
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