死生観とは? わかりやすく解説

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しせい‐かん〔‐クワン〕【死生観】

読み方:しせいかん

生きることと死ぬことについて、判断や行為の基盤となる考え方生と死対す見方


死生観

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/27 04:29 UTC 版)

死生観(しせいかん)とは、に対する見方をいう。


注釈

  1. ^ 類似に『日本書紀』第9の一書「時伊奘諾尊 乃投其杖曰 自此以還 雷不敢來 是謂岐神 此本號曰來名戸之祖神焉」がある。
  2. ^ 西は日没の方角であり、象徴的に死の方角とする例は世界中で見られる。
  3. ^ どちらかというと驚き、畏怖のニュアンス。-「あな恐ろし」
  4. ^ 古くは濁音の表記は厳密に区別されなかった。例として「輝く」はかやくとも書いたことが挙げられる。
  5. ^ 元々の中国語の意味は死者の霊といった意味であるが、日本語で恐怖の面が出ているのは興味深い。
  6. ^ 偽作とも云われるがここでは人々の信仰なのであまり問題にしない。
  7. ^ 日本語のすべての仮名を用い、かつ詩的意味を持たせるようにしてつくられた歌。
  8. ^ 侘び・寂びについては別の起源説もある。

出典




死生観

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 04:28 UTC 版)

三島由紀夫」の記事における「死生観」の解説

昭和戦時下少年・青年時代送り徴兵対象年齢にあった三島は、常に「死」というものを念頭に生きていた世代であり、そうした終末感的な状況下での創作活動の中で、自身を〈薄命天才とも。日本の美的伝統の最後若者とも。デカダン中のデカダン頽唐期の最後の皇帝とも。それから、美の特攻隊とも〉夢想していた。しかし、その状況一変し戦時中価値転倒した戦後社会においても、三島にとって「死」の観念様々なコンプレックス美意識との間で大きな命題でありつづけ、それが小説中にも多彩に揺曳しており、「死」は「行動」という言葉とともに三島文学において最も多く用いられている語彙一つとなっている。 そうした「死」の観念から生涯離れられなかった三島は、「死」を純粋と絶対行為として、最終的に戦後社会との訣別意味するような回帰的な「死」への行動至っているが、『金閣寺直前30歳時に書かれ随筆小説家の休暇』では、〈行動家の世界は、いつも最後一点附加することで完成される環を、しじゆう眼前描いてゐる〉と、芸術家世界対比し私は想像するのに、ただ一点添加することによつて瞬時にその世界完成する死のはうが、ずつと完成感は強烈ではあるまいか?〉と語っているなど、すでに晩年行動家に至る死生観が、小説家としての絶頂期から内包されていることが指摘されている。 その『小説家の休暇』の中でも触れている『葉隠』(山本常朝著)を戦時中から愛読していた三島は、そこから様々な生きるヒント活力源、哲学的なものを得られたとして、〈毎日死を心に当てることは、毎日生を心に当てることと、いはば同じだといふこと〉、〈われわれはけふ死ぬと思つて仕事をするときに、その仕事急にいきいきとした光を放ち出すのを認めざるをえない〉という死生観を『葉隠入門』の中で述べている。 そういった今日明日死ぬかもしれないという思い生きる人生観・死生観は、他の評論でも散見され人間とは何か理想夢のために生きていくものではあるものの、〈より良き未来世界〉などというものを目途にして自分をその進歩進化プロセス過程)とするような〈未来に夢を賭ける〉考え三島否定し、〈未来などといふことを考へるからいけない。だから未来といふ言葉辞書から抹殺しなさいといふのが私の考へなのです〉と主張しながら、まずは〈明日がないのだと思ふ気構え肝心だとしている。 また、人間は「未来」に向って成熟していくものではなくて、〈“日々生き日々に死ぬ”以外に成熟方法知らない〉のだとし、〈死といふ事を毎日毎日起り得る状況として捉へる〉ところから、〈自分行動日々クリエーション〉の根拠モラル発見され、それが〈人間行動強さ源泉〉にもなると三島主張している。 未来を信じないといふことは今日に生きることですが、刹那主義今日に生きるのではないのであつて、今日の私、現在の私、今日の貴方、現在の貴方といふものには、背後過去の無限の蓄積がある。そして、長い文化と歴史伝統自分のところで止まつてゐるのであるから、自分滅びる時は全て滅びる。つまり、自分支へてきた文化伝統歴史もみんな滅びるけれども、しかし老いてゆくのではないのです。(中略)われわれは自分が遠い遠い祖先から受け継いできた文化集積最後成果であり、これこそ自分であるといふ気持で以つて、全身自分歴史伝統が籠つてゐるといふ気持を持たなければ今日の仕事に完全な成熟といふものを信じられないのではなからうか。或ひは、自分一個現実性信じられないのではなからうか。自分過程ではないのだ。道具ではないのだ。 — 三島由紀夫日本の歴史文化と伝統に立つて」 そして三島は、人間はいつ死ぬかも知れない果無い生命〉ではあるが、〈明日死ぬと思へば今日何かできる〉、〈明日がないのだと思ふからこそ今日何かができるといふ〉のが、〈人間全力表現〉であり、そうした考え方や行動は「禅」の精神通じると三島語っている。 本日ただ今の、これは禅にも通じますが、現在の一瞬間全力表現尽すことのできる民族が、その国民精神結果的には、本当に立派な未来を築いてゆくのだと思ひます。しかし、その未来は何も自分一瞬には関係ないのである。これは、日本国民全体それぞれの自分文化と伝統歴史自信を持つて今日築きゆくところに、生命賭けてゆくところにあるのです。特攻隊遺書ありますやうに、私が“後世信ずる”といふのは“未来を信ずる”といふことではないと思ふのです。ですから、“未来を信じない”といふことは、“後世信じない”といふこととは違ふのであります。私は未来信じないけれども後世信ずる。 — 三島由紀夫日本の歴史文化と伝統に立つて」 三島作品評論には、戦時下同年代の若い兵士の死を、他人事のようには考えられなかった複雑な思い随所現われ、死の一週間前に行なわれ古林尚との対談においても、そうしたことが言及されているが、そこで三島は、戦後は〈余生〉という意識が〈いまだにあります〉と述べながら、戦時中入営通知召集令状)が来た際に毛筆書いた遺書気持から〈逃れられない〉と語っている。また、天皇陛下バンザイというその遺書主旨は、いまでもぼくの内部生きている〉とし、自身本質10代時の日本浪曼派的な心性ロマンティーク〉だと悟るにつけ、そこに〈ハイムケール〉(帰郷)していき、その〈ハイムケールする自己忠実〉である以外にないとしている。 死の4年前の41歳時のNHKインタビューでは、20歳迎えた終戦風景について、〈世界崩壊するはずであるのに〉、まわりの木々の緑が夏の日浴びて輝いているのが〈不思議でならなかった〉と振り返り終戦詔勅聴いたときは〈空白感しか〉なかったと答え、その8月15日の〈激し日光〉は〈私の心の中にずっと続いてくだろう〉と述べている。そして、三島自身の死生観を以下のように語り戦時中の、死が〈遠くない将来に来るんだというふうに考えていた〉当時のその心理状態は〈今の心理状態比べて幸福だったんです〉とも発言している。 人間生命というのは不思議なもので、自分のためだけに生きて自分のためだけに死ぬというほど人間強くないんです。というのは、人間はなにか理想なり、なにかのためということ考えているので、生きるのも自分のためだけに生きることにはすぐに飽きてしまう。すると死ぬのも何かのためということが必ず出てくる。それが昔いわれた大義というものです。そして大義のために死ぬということ人間の最も華々しい、あるいは英雄的な、あるいは立派な死に方だと考えられた。しかし、今は大義がない。これは民主主義政治形態というものは大義なんてものがいらない政治形態ですから当然なんですが、それでも心の中自分超える価値認められなければ生きていることすら無意味になるというような心理状態がないわけではない。 — 三島由紀夫NHKテレビインタビュー宗教の時間』、1966年

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死生観

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/29 14:32 UTC 版)

パウロ」の記事における「死生観」の解説

パウロ復活教え強調した。(当時ユダヤ教ではサドカイ派などや、キリスト教会内部でも、イエス教え反して復活否定する動きがあったためか。)もし死人復活がないならキリストもよみがえらなかった事になり、それをよみがえらせたと言っている私達は神にそむく偽証という事になる為、全ての人の中で最もあわれむべき存在になるとまで語った

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死生観

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/29 23:59 UTC 版)

ユダヤ教」の記事における「死生観」の解説

シェオールハデスなどと呼ばれる死後の世界存在するとされるハデス中にはアブラハムふところ」と呼ばれる憩いの場と、裁きの場があるとされるまた,三つの天という概念があり,第一の天が空,第二の天が星の空間宇宙),第三の天が神の住まいとされる最後の審判時にすべての魂が復活し律法(特に後述安息日規定が重要であるとされる)を守っていたもの救われる,またはアブラハムの子孫はみな救われる,などの解釈存在する。 またカバラ神学では、魂は個体記憶集合体であり、唯一神すべての生命内在し、ただ唯一神永遠の魂(命の木)である。個体善悪分かち銘々の記憶は神へ帰っている。神はただ記憶収集し善悪を分かたない。神では、善の記憶が再創造素材になり、悪の記憶がなくなる。 カバラでは以下のような寓話がある:毎年贖罪の日ではすべての生命死んで生き返り、悪もなくなる。(あるいは、毎年角笛吹きの祭から贖罪の日までの間にすべての生命死んで記憶が神へ帰った贖罪の日から光の祭りまでの間に神は再創造し、善の記憶すべての生命帰った。)死亡はただ贖罪の日と同じである。

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死生観

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/27 01:31 UTC 版)

十二国」の記事における「死生観」の解説

市井に伝わる伝承によると、里木に帯を結んで祈ると催生玄君が名簿作って西王母提出する。それを天帝に諮り、親に相応しい者を選び西王母女神卵果作り命じ、送生玄君が子供の元をこねて卵果にし、送子玄君が里木運んで卵果が実る、と言われている。子供の魂は夜になると体から抜け出して五山行って天帝に親の所行報告し天帝はそれを元に親の寿命決める、と言われている。 死者多くの国では、この世界人々が卵から生まれるため、丸い素焼き納められる。仏教伝わっている芳、雁、漣、奏で火葬だが、それ以外の国では土葬である。死者は普通、子、孫、兄弟、親など、家族引き取る。たとえ遠く離れていても、知らせ受けて駆けつけ死者受け取って連れ帰り自分土地片隅葬って祀る。塚を作り墓標代わりに白く塗った植え裕福な者は祠を置き、物品備え供養し季節季節には紙で作った衣類供える。冢堂はおおむね、ひどく殺風景な建物で祠廟らしい構えはなく、冢堂の建物だけがぽつんとあり、その建物風雨を防ぐための壁がかろうじてあるだけで、扉さえない所に死者祀る祭壇がある。閑地葬られるのはこの里で客死したものなので、その祭壇には満足な供養もない。閑地墓地は本来、家族迎えを待つ間に仮に埋葬されるべき場所である。しかし、家族がよほどの遠方にいるのでなければ、殯を延長して少しでも埋葬を待つ。結局のところ、迎えに来る者を持たない寂しい者が、客死として閑地埋葬される旅の途中で斃れた者だけでなく、引き取る家族持たない者家族があっても迎えに来る余裕がない、あるいは迎えに来るほどの敬愛得られない者、または一家一時に死んでまったり浮民であって迎えてくれる家族はあれども葬るべき土地持たない者客死扱いとなる。閑地埋葬されたまま迎えの来ない死者は、七年ごと掘り上げられ、冢堂で墓士にごと骨を砕かれる砕いた骨は府第宗廟納められる。 死者の魂の行方諸説あり、蓬莱言って仙人になる、蓬山中にある蒿里山飛んで天の決済を受け悪行善行に応じて神々の世界(玉京)で官位を得る、人間生まれ変わる、等がある。

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死生観

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/03 01:17 UTC 版)

ナナイ」の記事における「死生観」の解説

身体が魂の外殻に過ぎないので、人が死ぬと魂が生き残るひとりひとりが魂と精神両方持っているとされ、死ぬとそれらが分かたれる考えていた。人の精神悪意持って生きる親戚に害を及ぼし始めるようになる時間が経つにつれ、これらのアンバン飼いならされ礼拝可能になるが、そうでなければ悪霊追い出す特別な儀式必要になる

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死生観

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/16 07:33 UTC 版)

ワールドメイト」の記事における「死生観」の解説

人間死んで肉体の衣を脱ぎ49日が過ぎると、生前行動想念によって積まれ功徳と業の相殺決算により、適合した霊界旅立つとする。大別すると、天国界中有霊界地獄界三つ分けられる天国界第一天国、第二天国、第三天国というふうに別れ、さらに、ランク細分化されている。また、ほかにも、死後人間の魂が行世界は、兜率天、霊国界最奥人天界等があり、人間個性が様々であるのと同様、霊界神界あり方も様々であるとする。

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死生観

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/08 01:57 UTC 版)

加藤建夫」の記事における「死生観」の解説

日中戦争時代洛陽攻撃川原中尉失った時に髭をそり落とし霊前手向けて以来加藤右手として活躍し強く信頼されていた安間大尉の未帰還以外は、部下失って淡々とした表情であったが、心の懊悩は深いものがあった。 加藤は常に自ら率先して危地飛び込み「死を見ること帰する如し」を実践した部下には「ただ、の覚悟出来たというだけでは足らぬと思う。生きている限り心身をみがき何かの役に立たねばならないのだ。そして、死を跳躍台として悠久ゆうきゅう)に生きるのだ」と語っている。

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死生観

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 10:08 UTC 版)

ウィンストン・チャーチル」の記事における「死生観」の解説

チャーチルは「涙もろく、小鳥死んだだけでも泣く人」だったが、一方で真の同情持っていないことが多かった」という意見もある。

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