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はがくれ 【葉隠】
武士道論書。一一巻。佐賀鍋島藩士山本常朝口述、同藩士田代陳基(つらもと)筆録。1716年頃成立。鍋島藩を中心とした逸事・逸聞を一貫した尚武思想で説く。「武士道と云は、死ぬ事と見付たり」の一節が有名。葉隠聞書。葉隠論語。鍋島論語。
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葉隠(はがくれ)
「葉隠武士」「葉隠精神」等の名称はよく聞かされているが葉隠という語源は定かでない。私は西行の『山家集』の中にある次の歌がその語流でないかと思っている。葉隠れは木の葉がくれの雑談であり今でいう縁陰閑話だという学者の説もあるが、私はこれ程のものがさしたる信念もなしに名づけられるものではないと思う。
「葉隠れに散りとどまれる花のみぞ、しのびし人に逢う心地する」(西行)
これは「武士道とは死ぬことと見つけたり」という葉隠精神とは逆行するように思う人があるかもしれないが「葉隠れに散りとどまれる花」忠誠の真の武士道があり「しのびし人」に耐え忍ぶ本当の葉隠精神があるように思う。
葉隠とは死に急ぎの哲学のように思われているが、葉隠の「死」とはただ自己の生命を断つことでなしに己を捨てて義を立てる精神に徹することであり何としても生き抜いて義を尽くすことがその本義である。葉隠の冒頭に「山の奥よりも土の下よりも、生々世々、御家を守護する心こそ鍋島侍の覚悟であり我等の真髄である」と書いてあるように、御家を守り君に忠を尽すことがその第一義である。
国を思い、君を案ずるならば軽々しく死に急いではならないし、七生までも生まれ変わってその目的を果たす覚悟がなければならない。
葉隠でいう「武士道は朝な夕な死に習い」ということはいかなる些事に関しても死力を尽して当れという心構えの程を教えたものである。葉隠精神が今の世に大きく謳歌されるゆえんのものもまたここにその素因があるのではあるまいか。最近の世相は国もなければ道もない。自分を守るためにはすべての物を犠牲にしてもかまわないという保身の術であり、延命の哲学に墜している。
かかる混迷の世代においてこそ「正義の旗手」をもって任ずる剣道家はすべからく葉隠の精神を体し「世直し運動」の先兵として活躍しなければならない。それが剣道人の使命であり責任である。
「葉隠れに散りとどまれる花のみぞ、しのびし人に逢う心地する」(西行)
これは「武士道とは死ぬことと見つけたり」という葉隠精神とは逆行するように思う人があるかもしれないが「葉隠れに散りとどまれる花」忠誠の真の武士道があり「しのびし人」に耐え忍ぶ本当の葉隠精神があるように思う。
葉隠とは死に急ぎの哲学のように思われているが、葉隠の「死」とはただ自己の生命を断つことでなしに己を捨てて義を立てる精神に徹することであり何としても生き抜いて義を尽くすことがその本義である。葉隠の冒頭に「山の奥よりも土の下よりも、生々世々、御家を守護する心こそ鍋島侍の覚悟であり我等の真髄である」と書いてあるように、御家を守り君に忠を尽すことがその第一義である。
国を思い、君を案ずるならば軽々しく死に急いではならないし、七生までも生まれ変わってその目的を果たす覚悟がなければならない。
葉隠でいう「武士道は朝な夕な死に習い」ということはいかなる些事に関しても死力を尽して当れという心構えの程を教えたものである。葉隠精神が今の世に大きく謳歌されるゆえんのものもまたここにその素因があるのではあるまいか。最近の世相は国もなければ道もない。自分を守るためにはすべての物を犠牲にしてもかまわないという保身の術であり、延命の哲学に墜している。
かかる混迷の世代においてこそ「正義の旗手」をもって任ずる剣道家はすべからく葉隠の精神を体し「世直し運動」の先兵として活躍しなければならない。それが剣道人の使命であり責任である。
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葉隠
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/02/05 11:10 UTC 版)
「葉隠」(はがくれ)は、江戸時代中期(1716年ごろ)に出された肥前国鍋島藩藩士、山本常朝の武士としての心得について見解を「武士道」という用語で説明した言葉を田代陣基が筆録した記録である。全11巻。葉可久礼とも書く。
[続きの解説]
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