その他の翻訳
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「en:Sati (Buddhism)#Alternate translations」も参照 John D. Dunneは、satiやsmṛtiをmindfulnessと翻訳することは紛らわしいと強く主張している。何人かの仏教学者は、“retention”をより好ましい翻訳として確立しようと試みている[出典無効]。Bhikkhu Bodhiも、satiの意味はmemory(記憶、記憶力)であると指摘する。 satiやsmṛtiには次のような英訳がある[要出典]。 Attention (Jack Kornfield) - 注意、考慮、配慮、手当、世話 Awareness - 気づいていること、自覚、意識。アウェアネス。 Concentrated attention (マハーシ・サヤドー) Inspection (Herbert V. Günther) - 検査、査察、視察 Mindful attention Mindfulness - 注意していること、忘れないこと、心掛け、注意深さ Recollecting mindfulness (Alexander Berzin) Recollection (Erik Pema Kunsang, プッタタート) - 思い出すこと、記憶、記憶力 Reflective awareness (プッタタート) Remindfulness (James H. Austin) Retention - 記憶、記憶力、保有、保存、持続、継続 Self-recollection (Jack Kornfield)
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聖書の日本語翻訳は、様々な組織と個人によって行われてきた。特定のキリスト教会で用いられるものもあれば、異教や新宗教の背景があるなどの理由により、主要な教会で用いられない翻訳もある。また、古典文学として捉えたり、学術的視点を強調したりした翻訳もある。たとえば、いのちのことば社の『新聖書辞典』では、個人訳増加の背景として「神学的理由」「多様化していく社会に対応するため」「キリスト教会以外の人々の古典としての聖書に対する興味の増大」「ことばの急激な変化」という4点が挙げられている。日本語訳聖書の数は非常に多く、部分訳、雑誌掲載分なども考慮に入れれば、全てを把握するのはきわめて困難である。ゆえに、以下の紹介にしても網羅的なものとはなりえない。なお、日本では聖書の各文書の注解書も多数刊行されており、それらに収録される訳文は注解者が独自に訳出するのが普通である。門脇 & 大柴 1983のようにそれらも聖書の翻訳としてリストアップする例はあるが、膨大になりすぎるため、ここでは取り上げない。 個人訳のうち、太平洋戦争前の全訳は新約聖書のみだが、永井直治訳『新契約聖書』(挺身舎、1928年)がある。これはステファヌス版のテクストゥス・レセプトゥス第3版を底本としており、既存の英訳、漢訳、和訳のいずれも参照しないでギリシャ語底本から直訳したことを特色とする。この永井の訳は日本人による初の全訳であり、内村鑑三からも「日本人として聖書の日本化の最初の試みをした」と高く評価されていた。他方、直訳であることを重視するあまり、訳文があまりにも硬直的で日本語として表現上の問題が多々あることを指摘する者たちもいる。ただし、ネストレ版の聖書校訂を退け、伝統的なテクストゥス・レセプトゥスを支持する一部の教会では、文語訳の代わりにこの永井訳が使用されていたという。 戦前には上沢謙二訳『子供聖書』上下巻(実業之日本社、1933年)もあった。これは、キリスト教童話作家の上沢謙二の子供向け聖書の試みの一つで、共観福音書のみを対象とした『子供聖書 うれしいおしらせ マタイ マルコ ルカ』(1929年)に続くものであった。1933年版の『子供聖書』は上巻に福音書、下巻に新約の残り全てが平易な言葉遣いで収録されている。 戦後になると、1952年にキリスト新聞社が日本聖書協会の口語訳より先に刊行した『新約聖書口語訳』がある。これは賀川豊彦の影響を受けた渡瀬主一郎と武藤富男の翻訳であった。田川建三はその語学的正確性には否定的だが、訳文の読みやすさは日本聖書協会の口語訳よりも評価している。 岩波文庫には無教会主義の翻訳が収められた(それらは岩波文庫に収められたために岩波文庫訳聖書と呼ばれることもある)。旧約聖書の担当は関根正雄(11分冊、1956年 - 1973年)、新約聖書の担当は塚本虎二(2分冊、1963年・1977年)であったが、いずれも一部の翻訳にとどまった。ただし、関根訳については『新訳 旧約聖書』(全4巻、教文館、1993年 - 1995年)として後に旧約全体が刊行された。木田献一はこの訳について、一個人で旧約全体の翻訳をなしとげた「空前絶後とも言うべき偉業」と讃えている。ただし、この翻訳は岩波文庫版に比べると注が大幅に簡略化されている。この点について田川は、翻訳そのものが傑出していることを認めつつも、版元の姿勢に疑問を呈している。他方、塚本訳についても、本人の没後、各所で発表されていた訳文(一部に遺稿が含まれる)が集められて『塚本虎二訳新約聖書』(新教出版社、2011年)が刊行された。これを手がけた塚本虎二訳新約聖書刊行会が「読む者に新たな感動と発見をもたらす福音の力が漲っている」と賞賛しているのは勿論だが、かつて『新聖書大辞典』でも「親しみやすい生き生きとした洗練された日本文」と評価されていた。塚本の翻訳では、通常の福音書の配列とはマタイ、マルコの順が逆になっており、マルコ、マタイ、ルカ、ヨハネとなっている。これは二資料仮説に基づく成立順を考慮したもので、この方がマルコ福音書の良さを見出しやすいなど利点があるとした。また、直訳した本文と敷衍した加筆部分とで文字のサイズを変えていることにも特色があり、訳文の中での区別を付けやすいように配慮されている(#マタイ福音書の比較参照)。ただし、文字サイズに顕著な差がないため、両者を見分けづらいという苦情もある。 岩波書店からは文庫版と別に、佐藤研、荒井献らの新約聖書学者、関根清三、月本昭男らの旧約聖書学者が各文書を分担翻訳した新旧約聖書が出版されている。各文書は個人訳であり、訳者は明記されているが、全体としての名義はそれぞれ新約聖書翻訳委員会、旧約聖書翻訳委員会となっている(岩波委員会訳聖書あるいは単に岩波訳聖書と呼ばれている)。新約聖書は5分冊(1995年 - 1996年)、旧約聖書は15分冊(1997年 - 2004年)で、新約の合冊版は2004年に、旧約の合冊版(全4巻)は2004年から2005年に刊行された。岩波委員会訳が自ら標榜している特色は、歴史的・批判的観点を取り入れた原典への忠実さや、特定の教派に偏らない不偏性などにある。自らも参加した大貫隆は、岩波委員会訳を学術的に重要なものとして挙げ、聖書の自主研究をする者や初めての読者に適した翻訳として薦めている。また、外部でも学術的な註の多さなどを評価する声がある。しかし、この翻訳についても批判は見られ、例えば土岐健治は使徒言行録の訳を取り上げ、その誤訳箇所を指摘している。田川も、訳者による力量差が大きいことや、分冊版と合冊版で10年と経たずに訳文が違ってしまっている箇所が多いことなどを批判している。なお、川村輝典は小林稔が担当したヘブライ人への手紙の訳を優れた訳と評価しつつも一点疑問を呈していたが、これについては後に小林自身が勇み足であったことを認めている。小林はまた、担当したヨハネ福音書で、従来「あった」等と訳されることが多かった箇所を「いた」と訳した点(#ヨハネ福音書の比較参照)に批判が集まったことを挙げ、自身の翻訳意図を説明している。なお、新約聖書翻訳委員会に名を連ねていた荒井や大貫は、外典に含まれる『ナグ・ハマディ文書』52文書中34文書の翻訳も岩波書店から刊行している(全4巻、1997年 - 1998年)。 中央公論社の「世界の名著」にも『聖書』は収録された(世界の名著12、1968年)。旧約部分は中沢洽樹、新約部分は前田護郎が担当したが、いずれも特定の文書のみの抄訳である。このうち、前田訳については、生前に完成させていた全訳を本人の没後、新井明、月本昭男が校正などを手がける形で刊行された(『新約聖書』中央公論社、1983年)。簡潔な訳文といくぶん保守的傾向の傍注を備えており、田川建三のように前田訳を「あまり良い訳ではない」とする意見がある一方で、一般向けの親しみやすさを高く評価する声がある。また、加藤常昭は新共同訳を使っているとしつつも、個人訳の中では前田訳を愛用しているという。中沢訳の完全版は刊行されていないが、世界の名著に収められた部分訳だけでも評価されている。 共同訳聖書の注付きやバルバロ訳を刊行した講談社からは「敷衍訳」をうたった『聖書の世界』(全6巻。別巻全4巻、1970年 - 1974年)が刊行された。これは関根正雄らの日本聖書学研究所による訳で、自身も参加した田川建三は、佐竹明担当のパウロ書簡のような有用な箇所はあったとしつつも、全体としての意義は否定的に述べている。外部からも、敷衍の度合いが小さい佐竹訳などを評価する一方、八木誠一によるヨハネ福音書の訳などを敷衍の量が多すぎて訳というよりも注解になっているとする指摘が出ている。このシリーズは別巻で外典および使徒教父文書についても扱っている。いずれも後に講談社文芸文庫に再録されたが、外典については同じ日本聖書学研究所の編訳による『聖書外典偽典』(全7巻・補遺2巻、1975年 - 1982年、教文館)の方がほぼ全訳であり、有用性の面で上回る。日本聖書学研究所は死海文書中の重要な文書の訳も刊行している(『死海文書』山本書店、1966年)。 新教出版社は創立40周年記念出版として柳生直行訳を刊行している(『新約聖書』、1985年)。柳生自身は意訳も交えつつ、前出の丸谷の口語訳への批判を踏まえ、それに応えるような日本語として「読める」聖書の翻訳を目指したと述べていた(訳例は#マタイ福音書の比較参照)。加藤常昭は、塚本訳とともにこの柳生訳について「けっこう面白い」と評している。 田川建三は2007年から『新約聖書 訳と註』(作品社、2007年 - 2017年)の刊行を始めた(7巻8冊)。田川は、既存の翻訳(主として口語訳と新共同訳)と異なる訳し方をした点について丁寧に説明し、その他の論点も含めた膨大な訳注を付けており、その注の多さは日本語訳聖書の中でも特筆される。辻学はパウロ書簡の分析に際し、自身の見解と異なる場合も含め、田川訳の訳し方や注が参考になったと述べている。他方、上村静は田川訳の注に対して、その詳細さだけでなく、冗舌さについても指摘しており、その文体は好悪が分かれる。 聖職者による個人訳としては、牧師尾山令仁による『聖書 現代訳』(1983年。2004年までに改訂10版)がある。尾山は『現代人の聖書 新約』(1978年)として、まず新約聖書だけの翻訳を刊行し、続いて旧約・新約の全訳である現代訳聖書を刊行した。新約だけや旧約だけの個人による全訳は他にもあるが、新約・旧約全体を個人で訳出した尾山訳は異例の部類に属し、日本人では初であった。尾山はユージン・ナイダの翻訳理論(動的等価)を踏まえつつ、ノンクリスチャンにとっても読みやすいように平易な訳文を心がけたとしている。尾山は原語に忠実ということに拘るよりも、聖書の明瞭性を読むだけで理解できるようにすべきという観点で翻訳をしたという(その敷衍の例は#マタイ福音書の比較を参照のこと)。これについては「自由な敷衍版といった性格が強い」とも言われている。聖書キリスト教会では礼拝にこの聖書を用いている。また、超教派の集まりであるINTERNATIONAL VIP CLUBでも尾山訳を使用している。なお、現代訳聖書からは、「神」という訳語を「創造主」に置き換えた『創造主訳聖書』(2013年)も派生している。 聖書の無料頒布をしている日本国際ギデオン協会は、従来の聖書の頒布に加えて『ニューバイブル』(2006年)として牧師泉田昭の個人訳を配布するようになった。土戸清はその訳文について、特に非キリスト教徒に配布される翻訳としての適切性を疑問視している。なお、『ニューバイブル』には和文のみの版と英和対照版があるが、英文についてはどの訳を使用したのか、冊子中に明記されていない。 カトリックの聖職者本田哲郎は翻訳者として新共同訳聖書とフランシスコ会訳聖書双方に携わったが、釜ヶ崎の日雇労働者たちとの交流から、従来の翻訳は「小さくされた人々」には通じないものであったと悟り、『小さくされた人々のための福音』(四福音書と使徒言行録、分冊で、後に合冊。新世社、1997年 - 2001年)を刊行、続いてパウロ書簡の翻訳も刊行している(訳例は#マタイ福音書の比較参照)。 上記のほか、21世紀に刊行された聖書のうち、新約聖書の全訳を含むものとしては、牧師山岸登の『エマオ出版訳 新約聖書』(エマオ出版、2008年)、池田博『新約聖書 新和訳』(幻冬舎ルネッサンス、2007年)がある。
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1987年、ヘブライ語とギリシャ語原典から翻訳された新しい聖書がエチオピア聖書協会から出版されて、2005年に改訂も行われた。この聖書はプロテスタントが使う66書の翻訳で、エチオピア正教会は歓迎していない。 2000年に、エチオピア正教会とエチオピア聖書協会は『ミレニウム聖書』を発行した。これは旧約は『七十人訳聖書』、旧約・新約をゲエズ語聖書に添っている。そのため、正教会信徒は大歓迎でも、プロテスタント信徒はそうでもない。旧約は46書、新訳は35書、合計81書である。
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