八木誠一
八木誠一
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/07 00:45 UTC 版)
ケーゼマンに学んだ八木誠一は、「神の国」にじかに接して生きたイエスその人の実存理解は、「キリスト」に遭遇して生きた原始キリスト教団の人びとのうちに彼らの「復活信仰」を通じて間接的に伝えられたと説く。この点では、八木はケーゼマンよりむしろ実存主義の影響を受けたヘルベルト・ブラウンやJ. M. ロビンソンの立場に近いといえる。ただし八木は、人間実存の根底となる部分について、ケーゼマンの指摘した「事実性」に信仰の内実を委ねることは、むしろ歴史の一部を過度に絶対化する懸念がもたれるとして、そこにみられる歴史主義への傾きを批判している。八木によれば、人間実存の根底は、人間に対して歴史を越えながら人間実存をそのうちに生起せしめる「統合への規定」としてはたらくのであって、これは本来、党派的ないし宗派的なものではなくて普遍的なものである。したがって、キリスト者のみならず、たとえば仏教者もまた知っていたはずであるとして、宗教の本質をそこにみようとする。八木は、イエスという人物を「統合への規定」「人間の根源的な規定の存在と働き」に即して生きたひとりの人間の例としてとらえるのである 。
※この「八木誠一」の解説は、「ナザレのイエス」の解説の一部です。
「八木誠一」を含む「ナザレのイエス」の記事については、「ナザレのイエス」の概要を参照ください。
固有名詞の分類
- 八木誠一のページへのリンク