週刊少年サンデー 歴史

週刊少年サンデー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/23 15:09 UTC 版)

歴史

創刊 - 1960年代

1958年、学年誌編集部の次長だった豊田亀市が、テレビ時代の到来と1950年代半ばから続いていた週刊誌ブームを受けて、漫画を中心に据えた少年週刊誌の発行を社長の相賀徹夫に働き掛け、『週刊少年サンデー』の創刊が決まる。当初は1959年5月5日の発行を予定して諸準備に取り掛かっていたが、『ぼくら』『少年倶楽部』などの月刊少年誌を持つ講談社も週刊誌ブームを受けて『週刊少年マガジン』の創刊準備を始めたことから、徐々に創刊日が繰り上がり、結局ともに1959年3月17日に創刊した。創刊号のラインアップは手塚治虫『スリル博士』、横山隆一『宇宙少年トンダー』、寺田ヒロオ『スポーツマン金太郎』、 藤子不二雄海の王子』、益子かつみ『南蛮小天狗』で、創刊号の表紙に読売巨人軍長嶋茂雄を起用。巻末には児童心理学者波多野勤子が祝辞を寄せている。

両誌の価格はサンデーが30円、マガジンが40円で、豊田が「もしサンデーがマガジンと同じ値段だったとしたら、マガジンの付録の分お得感で負けてしまう」と判断した事から、両誌の契約している印刷所がともに大日本印刷だったこともあり、「マガジンが刷り始めるのを確認してからサンデーの値段を入れて刷る」という機密漏洩的後だしジャンケンのような裏技を使っている。創刊号の売上げはサンデーが30万部で、マガジンが20.5万部でサンデー側に軍配が上がり[4]、マガジンも5号から30円に値下げした。これ以降もお互い張り合って雑誌の総ページ数を増やしていった。1960年代半ばにはW3事件(『W3』をマガジンからサンデーに移籍)、1960年代末には『天才バカボン』のマガジンからサンデーへの移籍が起きるなど、その後もライバル間の争いは続いた。

1960年代のヒット作には、横山光輝伊賀の影丸』(1961年)、赤塚不二夫おそ松くん』(1962年)、小沢さとるサブマリン707』(1963年)、藤子不二雄オバケのQ太郎』(1964年)、藤子・F・不二雄パーマン』(1966年)、横山光輝『ジャイアントロボ』(1967年)、手塚治虫『どろろ』(1967年)、赤塚不二夫『もーれつア太郎』(1967年)、藤子・F・不二雄『21エモン』(1968年)、赤塚不二夫『天才バカボン』(1969年、マガジンより移籍)などがある。

1960年代半ばからマガジンが劇画路線・スポ根路線を開拓して、創刊当初の主要読者層(戦後のベビーブーム世代)を離さなかったのに対して、サンデーは少年向けの漫画にこだわった。毎週土曜日に編集部を子供達に開放し、漫画需要を探るという作戦を取り、当時立ち上げを企画していた『週刊少年ジャンプ』(集英社)編集部の協力要請に「一ツ橋に少年向けの漫画雑誌は二つもいらない」と協力を拒否する一方で、青年向けの漫画雑誌『ビッグコミック』(1968年、創刊当初「一流の漫画家しか起用しない」というのをウリのひとつにしていた)を創刊するなどして対応していた。集英社ではサンデーとの関係を考慮し、『週刊少年ジャンプ』には連載作品は存在せず「全作品が読み切り」という建前でスタートし、現在でも作品の最終ページでは「続く」ではなく「第○話・終わり」と表記している。

1960年代末になると、「右手に朝日ジャーナル、左手にマガジン」の学生運動の時代が訪れ、学生の他にアングラ・カルチャー層からの支持を得たマガジンが発行部数を伸ばし、一気に追い抜かれることになった。この時期、園田光慶の『あかつき戦闘隊』(1968年)の懸賞問題の影響で、隆盛を誇っていた戦記モノが激減した。

1970年代

『週刊少年マガジン』との争いの敗北を受けて、追随する形で青年向け雑誌(マガジンとは異なり、スタイリッシュな路線を目指した)への方向転換を図り、1970年21号から1年間、広告製作プロダクションサン・アドに表紙の製作を発注。「傑作アイデアシリーズ」と称した、昆虫をダイナミックにレイアウトした「怪虫シリーズ」を皮切りに、トイレの便器、マネキン、スキンヘッド、マッチ箱、オール手書きイラスト、編集部宛の投書など表紙としての定義さえも破壊した表紙が次々と登場した。この時期の主な連載に、佐々木守/水島新司男どアホウ甲子園』(1970年)、ジョージ秋山銭ゲバ』(1970年)、古谷三敏ダメおやじ』(1970年)、赤塚不二夫『レッツラゴン』(1971年)、梶原一騎/貝塚ひろし柔道讃歌』(1972年)、楳図かずお漂流教室』(1972年)、小山ゆうおれは直角』(1973年)などがある。それらが沈静化した1972年頃からは、『月光仮面』(1972年)、武内つなよし赤胴鈴之助』(1972年)などの旧作のアニメ化に伴った漫画連載を展開し、当時作品に馴染んでいた親層の取り込みを図る一方で、石ノ森章太郎人造人間キカイダー』(1972年)、石川賢ウルトラマンタロウ』(1973年)、石森章太郎『がんばれ!!ロボコン』(1974年)、永井豪/石川賢『ゲッターロボ』(1974年)などの特撮・SFアニメ作品のコミカライズを大挙掲載し、新規子供層を押えようとするなど、「親と子が安心して読める」誌面の展開を目指した。

しかし、サンデー、マガジンともすでに青年(あるいはそれ以上)向け雑誌に転じていたため、本来の読者層であるはずの少年の多くが『週刊少年ジャンプ』に流れることになり、1973年にはサンデー、マガジンともに発行部数で追い抜かれることになり、再び少年向けに方向転換(ただし、一部の劇画は残った)。

当時の小学館は路線転換の煽りで離れつつあった少年読者層の再度獲得を目指すべく、まず1974年6月に単行本レーベルの「少年サンデーコミックス」(「漂流教室」などが第一弾として刊行)、8月に同じく児童向け単行本レーベルの「てんとう虫コミックス」(学年別学習雑誌に連載されていた「ドラえもん」が第一弾だが、サンデー連載の「ゲッターロボ」も刊行された)をそれぞれ創刊する。続いて、サンデーから特撮・SFアニメ作品の部分を引き継いだ『てれびくん』(1976年)、てんとう虫コミックスを母体に児童向けへ特化した『コロコロコミック』(1977年)、学年誌とサンデーの中間の『マンガくん』(1976年)(1979年に『少年ビッグコミック』に改称)、新人作家育成のための『週刊少年サンデー増刊号』(1978年)など次々と新雑誌を創刊。

この時期は『週刊少年チャンピオン』の大躍進の影響もあり、発行部数が低迷、第4位になっていた。1977年には編集長が交代し、ビッグコミック系誌から持ち込まれ、現在もサンデーを象徴するイメージキャラクターのヘルメットを被ったナマズが初登場。また1976年から5年間1年ごとに誌名ロゴを変更する体制をとった。

1970年代中期から後期にかけては、藤子不二雄Aプロゴルファー猿』(1974年)、水島新司『一球さん』(1975年)、小山ゆう『がんばれ元気』(1976年)、楳図かずお『まことちゃん』(1976年)、村上もとか赤いペガサス』(1977年)、あや秀夫ヒット・エンド・ラン』(1978年)、石ノ森章太郎『サイボーグ009』(1979年)などがヒットしているが、雁屋哲/池上遼一『男組』(1974年)、さいとう・たかをサバイバル』(1976年)、林律雄/大島やすいちおやこ刑事』(1977年)など、好調だった『ビッグコミック』系の青年漫画誌へ通じる劇画系作品のインパクトが強く、硬派でかつ重い雑誌と取られがちだった。しかし、1980年前後には、『がんばれ元気』や『まことちゃん』の好調継続や『週刊少年チャンピオン』の部数激減の影響もあり、発行部数が『週刊少年ジャンプ』に次ぐ第2位になった。

1980年代

1980年代に入ると、劇画村塾出身の高橋留美子うる星やつら』(1978年)、『少年ビッグコミック』で『みゆき』をヒットさせていたあだち充タッチ』(1981年)のヒットでラブコメブーム(学園もの、青春もの)を巻き起こし、部数を大きく伸ばして、1983年には最高発行部数の228万部を記録するなど黄金期を迎えた(ちなみに、この記録は現在でも破られていない)。そのため、当時発行部数で首位に立っていた『週刊少年ジャンプ』編集部は猛追を恐れ、「友情・努力・勝利」を「友情・勝利・愛」に変えようとした程であった(ただし、これはその直後の『北斗の拳』の大ヒットと、これに伴う発行部数の急激な上昇によって回避された)。高橋とあだちはその後もサンデーに連載を続け、一時期[注 2]を除くと、2018年3・4合併号まで「サンデーに両者あるいは一方の作品が連載されている」状態が続いた。この時期には、六田登ダッシュ勝平』(1979年)、雁屋哲/池上遼一『男大空』(1980年)、梶原一騎/原田久仁信プロレススーパースター列伝』(1980年)、原秀則さよなら三角』、村上もとか六三四の剣』(1981年)、細野不二彦Gu-Guガンモ』(1982年)、みやたけしはしれ走』(1982年)、石渡治火の玉ボーイ』、(1983年)、原秀則『ジャストミート』(1984年)、吉田聡ちょっとヨロシク!』(1985年)、村上もとか風を抜け!』(1986年)、矢島正雄/尾瀬あきらリュウ』(1986年)、竜崎遼児闘翔ボーイ』(1986年)などが連載。

また、この時期から増刊組が台頭し、島本和彦炎の転校生』(1983年)、ゆうきまさみ究極超人あ〜る』(1985年)といった、特撮・アニメパロディ系の作品が話題になり、いずれもヒットしている。なお、本誌から連載の依頼があっても増刊で描くのが好きだからと断るみず谷なおき[5]のような漫画家もいた。

1985年に誌名ロゴを固定化し、その頃から、RCサクセションを筆頭にBARBEE BOYS爆風スランプなどのロックバンド、あるいはウィラードやガスタンクなどのパンク・ハードコア系のバンドの盛り上がり(第1次バンドブーム)にインスピレーションを受けた石渡治『B・B』(1985年)、上條淳士To-y』(1985年)などの、音楽的かつ青年誌的な漫画が増えた。

しかし、1985年中盤に新谷かおるふたり鷹』(1981年)が、1986年末に『タッチ』が、1987年初頭に『うる星やつら』が終了したのを皮切りに、それまでのサンデーを支えていた作品の多くが完結し、1980年代前半の勢いが止まる。その後、高橋留美子『らんま1/2』(1987年)、ゆうきまさみ『機動警察パトレイバー』(1988年)、青山剛昌まじっく快斗』(1987年~、不定期連載)、青山剛昌YAIBA』(1988年)などがヒットし、里見桂スマイル for 美衣』(1987年)、森秀樹青空しょって』(1987年)、松田隆智/藤原芳秀拳児』(1988年)、なかいま強うっちゃれ五所瓦』(1988年)、克・亜樹星くずパラダイス』(1989年)などが連載するものの、続くヒット作はなかなか出ず、部数が大きく落ち込み、1987年頃にはマガジンに発行部数を抜かれている。

1988年から1991年にかけて連載数を増加させ、他社からのギャグ漫画家などの引き抜きや、石ノ森章太郎楳図かずおら大御所の再登用、漫画家インタビューコラム「オレのまんが道」の連載、既存の枠にとらわれない増刊『サンデーspecial』の発行、プロ・アマチュアを問わずに連載用の第1話を公募して誌面に掲載、読者の人気が高かったものを連載化する「コミックグランプリ」の実施、たま(1990年14号)やX(1990年35号)など、ロックバンドのカラーグラビア掲載などの実験的な試みを数多く行った。この時期は雑誌および編集部に混乱が続いていて、小山ゆう『少年』(1989年)の不自然な打ち切り、柳沢きみお『ウエルカム』(1990年)の打ち切り、単行本が最終巻刊行直後に絶版になる(石ノ森『仮面ライダーBlack』、楳図『まことちゃん(平成版)』)など、中堅・ベテラン・大御所を問わず悲惨な目に遭うことになった。

この時期、少年ビッグコミックの対象読者層が創刊当初に予測していた層より上になっていた事を受けて、青年誌『ヤングサンデー』(1987年)としてリニューアル創刊された。

1990年代

1988年から1991年にかけての大混乱の中、若手漫画家の手により、それまでのサンデーの色に無かった新しい漫画が増え始め、『帯をギュッとね!』(河合克敏、1989年)、『スプリガン』(原作:たかしげ宙・漫画:皆川亮二、1989年)、『健太やります!』(満田拓也、1989年、増刊号から移籍)、『虹色とうがらし』(あだち充、1990年)、『うしおととら』(藤田和日郎、1990年)、『今日から俺は!!』(西森博之、1990年、増刊号から移籍)、『行け!!南国アイスホッケー部』(久米田康治、1991年)、『GS美神 極楽大作戦!!』(椎名高志、1991年)などがヒット。

これらに加えて、『俺たちのフィールド』(村枝賢一、1992年)、『H2』(あだち充、1992年)、『ジーザス』(原作:七月鏡一・漫画:藤原芳秀、1992年)、『"LOVe"』(石渡治、1993年)、『名探偵コナン』(青山剛昌、1994年〜)、『ガンバ!Fly high』(原作:森末慎二・漫画:菊田洋之、1994年)、『MAJOR』(満田拓也、1994年)、『じゃじゃ馬グルーミン★UP!』(ゆうきまさみ、1994年)、『DAN DOH!!』(原作:坂田信弘・漫画:万乗大智、1995年)、『烈火の炎』(安西信行、1995年)、『め組の大吾』(曽田正人、1995年)、『神聖モテモテ王国』(ながいけん、1996年)、『なぎさMe公認』(北崎拓、1996年)、『モンキーターン』(河合克敏、1996年)、『犬夜叉』(高橋留美子、1996年)、『ゲイン』(なかいま強、1997年)、『ファンシー雑技団』(黒葉潤一、1997年)、『タキシード銀』(松浦聡彦、1997年)、『ARMS』(皆川亮二、(原案協力:七月鏡一)、1997年)、『からくりサーカス』(藤田和日郎、1997年)、『デビデビ』(三好雄己、1997年)、『風の伝承者』(原作:若桑一人・作画:山本智、1998年)、『かってに改蔵』(久米田康治、1998年)、『SALAD DAYS』(猪熊しのぶ、1998年)、『ダイナマ伊藤!』(杉本ペロ、1999年)、『天使な小生意気』(西森博之、1999年)、『ファンタジスタ』(草場道輝、1999年)などがヒットし、伸び悩んでいた部数も1994年頃から2000年頃まで上昇を続け、サンデーは再び黄金期を迎えた。雑誌的には一種の安定期に入ったが、その一方で1990年代半ばから後半にかけて若手漫画家が台頭せず、暗い影を落とした(1995年に週刊少年サンデー増刊号を『週刊少年サンデー超』とリニューアルするなどして若手漫画家の台頭を待っていた)。

1992年16号から誌名ロゴが現在のものに落ち着き。1993年51号で、サンデーは創刊2000号を迎え、その記念として嘉門達夫(サンデー創刊と同じ年の1959年生まれ)によるオリジナルソング「SUNDAY'S DREAM」が発表され、サンデーの懸賞プレゼント用に8cmCDが制作された(歌詞は嘉門の半生を歌った内容に駄洒落的に過去のサンデーの連載作品名を盛り込んだもの)。

この時期、『コロコロコミック』と『サンデー』の中間層をターゲットにした『コミックGOTTA』(1999年)、メディアミックス誌『月刊サンデーGX』(2000年)が創刊された。

2000年代

この前後から長期連載や人気作が次々と終了し、部数が低迷。1990年代以上に積極的なメディア展開を行うようになり、『リベロ革命!!』(田中モトユキ、2000年)、『トガリ』(夏目義徳、2000年)、『金色のガッシュ!!』(雷句誠、2001年)、『うえきの法則』(福地翼、2001年)、『KATSU!』(あだち充、2001年)、『焼きたて!!ジャぱん』(橋口たかし、2002年)、『史上最強の弟子ケンイチ』(松江名俊、2002年)、『美鳥の日々』(井上和郎、2002年)、『D-LIVE』(皆川亮二、2002年)、『ワイルドライフ』(藤崎聖人、2003年)、『MÄR』(安西信行、2003年)、『結界師』(田辺イエロウ、2003年)、『クロザクロ』(夏目義徳、2004年)、『ハヤテのごとく!』(畑健二郎、2004年)、『最強!都立あおい坂高校野球部』(田中モトユキ、2005年)、『ブリザードアクセル』(鈴木央、2005年)『クロスゲーム』(あだち充、2005年)、『絶対可憐チルドレン』(椎名高志、2005年)、『GOLDEN★AGE』(寒川一之、2006年)、『ダレン・シャン』(原作:ダレン・シャン・漫画:新井隆広、2006年)、『ギャンブルッ!』(鹿賀ミツル、2007年)、『お茶にごす。』(西森博之、2007年)、『魔王 JUVENILE REMIX』(原作:伊坂幸太郎・漫画:大須賀めぐみ、2007年)、『金剛番長』(鈴木央、2007年)、『最上の命医』(橋口たかし、2008年)、『月光条例』(藤田和日郎、2008年)、『オニデレ』(クリスタルな洋介、2008年)、『神のみぞ知るセカイ』(若木民喜、2008年)、『MIXIM☆11』(安西信行、2008年)、『KING GOLF』(佐々木健、2008年)、『DEFENSE DEVIL』(作画:梁慶一・原作:尹仁完、2009年)などが連載されその中の作品からはヒット作品も誕生するが、その他の連載は伸び悩み、部数の低迷に歯止めが効かず、また、この時期から多くの漫画家がサンデーを離れていくことになり、さらに、2008年雷句誠がサンデー編集部での原稿紛失を巡って小学館に対し損害賠償請求の民事訴訟を提起するなど、1980年代後半の混乱と同様に安定しない時期となった。

2000年に創刊された『サンデーGX』の合同企画コーナーが設置され、一部の作家の入れ替えや引き入れが同じ小学館で刊行されている『少女コミック』・『ちゃお』と同時になされることが多くなった。

2008年3月から2009年3月にかけて『週刊少年マガジン』と「サンデー×マガジン 創刊50周年企画」を行ない、共同雑誌の他、数多くのコラボレーション商品を発売。2009年第14号(3月18日号)では、「創刊表紙トリビュート号」と題して創刊号の表紙デザインを再現(創刊号表紙の長嶋茂雄を松坂大輔に、手塚治虫の『スリル博士』のイラストを橋口たかしの『最上の命医』に置換)した。

50周年イベント終了後の2009年3月末からは、週刊少年誌としては初のウェブコミック配信サイトクラブサンデー』を開設。さらに、月刊少年サンデーである『ゲッサン』の創刊、『週刊少年サンデー超』(現在は『週刊少年サンデーS』)の月刊化などをし、今まで連載経験のない新人作家を、積極的に連載させるなど、これまで以上に新人育成に力を入れるようになる。

また、それ以降連載作品を『クラブサンデー』や『週刊少年サンデー超』に移動させたり、『週刊少年サンデー超』の連載作品を本誌に移動させたりする事例が増え、連載陣の入れ替えが激しくなった。

2010年代前半

この前後から、『アラタカンガタリ〜革神語〜』(渡瀬悠宇、2008年)、『マギ』(大高忍、2009年)、『銀の匙 Silver Spoon』(荒川弘、2011年)など、他誌・他社の人気漫画家の新作を連載する事例が増え、いずれもヒットし、さらに、『コロコロコミック』関連作品との連動も図られるようになっており、『ペンギンの問題』の出張掲載や『機動戦士ガンダムAGE』の前後編読み切り掲載などが行われているほか、小学館の主力コンテンツである『ポケットモンスター』や『デュエル・マスターズ』を原作とする作品が連載されたり、メディアミックスとして『戦国コレクション』や『ささみさん@がんばらない』、『キャプテン・アース』のコミカライズ作品を連載したりしている。

上記3作品以外では、『境界のRINNE』(高橋留美子、2009年)、『國崎出雲の事情』(ひらかわあや、2010年)、『最後は?ストレート!!』(寒川一之、2010年)、『今際の国のアリス』(麻生羽呂、2010年、サンデーSから移籍)、『常住戦陣!!ムシブギョー』(福田宏、2011年)、『BE BLUES!〜青になれ〜』(田中モトユキ、2011年)、『BUYUDEN』(満田拓也、2011年)、『アナグルモール』(福地翼、2011年)、『電波教師』(東毅、2011年)、『BIRDMEN』(田辺イエロウ、2016年)、『湯神くんには友達がいない』(佐倉準、2013年)、『競女!!!!!!!!』(空詠大智、2013年)、『だがしかし』(コトヤマ、2014年)、『サイケまたしても』(福地翼、2014年)、『トキワ来たれり!!』(松江名俊、2015年)、『天使とアクト!!』(ひらかわあや、2015年)、『MAJOR 2nd』(満田拓也、2015年〜)、『アド アストラ ペル アスペラ』(畑健二郎、2015年〜、休載中)などがヒットする。

また、雑誌に付録として、クリアファイルやシール・栞・ソーシャルゲームの限定シリアルコードなどを付録に付けることが増え、単行本関連では人気作品において限定版・特別版の同時発売が多く行われるようになっている[注 3]。他にも、SSS(サンデーサポーターズショップ)・一部アニメショップ[注 4]でイラストペーパーやなどを初回特典として同梱・配布するケースが増加した。

さらに、ウェブコミック関連では『クラブサンデー』に加えて、WEB漫画作家を多数起用した『裏サンデー』(後に『マンガワン』として独立)を2012年4月に開設し、『モブサイコ100』(ONE、2012年)や『ケンガンアシュラ』(原作:サンドロビッチ・ヤバ子・作画:だろめおん、2012年)などをヒットさせた。

その他にも、著名人である野島伸司五味一男が原作の漫画の連載、2013年33号のみ17年ぶりに200円で販売、初の単独イベント『サンデーフェス』を開催したりなど様々な展開をするが、他の漫画雑誌と同様に出版不況などの影響で、発行部数は減少し続けた。

2010年代後半

2015年7月、『ゲッサン』創刊編集長の市原武法が編集長として就任。新人作家の育成を絶対的な使命とする大改革を行うと宣言し、大きな話題となった[6]。宣言通り、多くの連載作品の打ち切り、新たな作品の連載、新人作家向けの漫画勉強会、編集部の意識改革、サンデーの雑誌作りに協力する中高校生限定のサンデーサポータークラブ(SSC)の設立、『週刊少年サンデーS』のリニューアル、『クラブサンデー』を終了し、新たなウェブコミック配信サイト『サンデーうぇぶり』の開設など様々な展開をし、新人作家の作品として、『天野めぐみはスキだらけ!』(ねこぐち、2016年)、『魔王城でおやすみ』(熊之股鍵次、2016年〜)、『古見さんは、コミュ症です。』(オダトモヒト、2016年〜)、『保安官エヴァンスの嘘 〜DEAD OR LOVE〜』(栗山ミヅキ、2017年)、『妖怪ギガ』(佐藤さつき、2017年)、『switch』(波切敦、2018年)、『ノケモノたちの夜』(星野真、2019年)などがヒット。サンデーうぇぶりでは、『死神坊ちゃんと黒メイド』(イノウエ、2017年)などがヒットした。

これらに加え、ベテラン・中堅作家による『双亡亭壊すべし』(藤田和日郎、2016年)、『あおざくら 防衛大学校物語』(二階堂ヒカル、2016年〜)、『舞妓さんちのまかないさん』(小山愛子、2017年〜)、『第九の波濤』(草場道輝、2017年)、『十勝ひとりぼっち農園』(横山裕二、2018年〜)、『蒼穹のアリアドネ』(八木教広、2018年)、『トニカクカワイイ』(畑健二郎、2018年〜)、『君は008』(松江名俊、2018年〜)、『ポンコツちゃん検証中』(福地翼、2019年)、『MAO』(高橋留美子、2019年〜)、『よふかしのうた』(コトヤマ、2019年)などがヒットし、サンデーの業績を500パーセント近く上昇させた[7]。しかし、他の少年誌と比べるとヒットが小規模であり、アニメ化などのメディア展開が行われる作品も少なく、雑誌の発行部数も減少し続けている。

また、連載作家に会えるなど、SSC会員限定のイベント『サンデー文化祭』を開催したり、2016年頃からサンデーSと共に『名探偵コナン』関連の全員サービスを定期的に行ったり、スピンオフ作品として『名探偵コナン ゼロの日常』(原作:青山剛昌・作画:新井隆広、2018年、不定期連載)、『名探偵コナン 警察学校編 Wild Police Story』(原作:青山剛昌・作画:新井隆広、2019年、不定期連載)を連載するなど、今まで以上に『名探偵コナン』の色が強く出るようになり、内容によっては、売り切れることも増え始めた。

2020年代

2020年夏、新型コロナウイルスの影響で、作家への新型コロナ対策として、2020年27・28臨時合併号、31・32臨時合併号を発行すると発表した[8][9]

葬送のフリーレン』(原作:山田鐘人・作画:アベツカサ、2020年〜)がヒット。マンガ大賞2021大賞、第25回手塚治虫文化賞新生賞などを受賞するなど一躍話題作になった。ほかには、『龍と苺』(柳本光晴、2020年〜)、『かけあうつきひ』(福井セイ、2021年)などが連載を始めた。

2022年7月、『週刊少年ジャンプ』と『週刊少年サンデー』 の共同企画として[10]、『ONE PIECE』の尾田栄一郎と『名探偵コナン』の青山剛昌のスペシャル対談が行われ、これを記念としたコラボレーション企画として、同年発売の『週刊少年ジャンプ』34号の表紙に『名探偵コナン』の登場人物である安室透の、同じく同年発売の『週刊少年サンデー』35号の表紙に『ONE PIECE』の登場人物であるロロノア・ゾロのイラストが掲載されている[11]

2024年7号の表紙は『名探偵コナン』の連載30周年企画として、『名探偵コナン』が初めて表紙を飾った1994年6号の表紙デザインを再現したものになった[12][13]


注釈

  1. ^ 同様の状況は同時期に創刊されたライバル誌『週刊少年マガジン』にもあり、マガジンの場合は企画立ち上げ時のスタッフに少女漫画誌の編集者が多く、少女漫画家を多く起用していた。
  2. ^ 高橋の『うる星やつら』最終回(1987年8号)の後から、あだちの『ラフ』開始(同年17号)の前まで。
  3. ^ 例として、『神のみぞ知るセカイ』においては10巻~22巻まで連続して関連グッズ・DVDを同梱した初回限定版が発売されている。
  4. ^ 作品にもよるが、主にアニメイトゲーマーズコミックとらのあなで実施されるケースが多い。漫画全般に置いてこうした店舗での新刊特典自体は珍しくないが、週刊少年誌の単行本としては多い部類に入る。
  5. ^ 例としては『銭ゲバ』や『男組』、『機動警察パトレイバー』、『魔王 JUVENILE REMIX』、『ちいさいひと 青葉児童相談所物語』など。
  6. ^ 当初の題名『ジャップ』について、作者が日本に対する蔑称である点に懸念を抱いたが、編集者が問題ないと判断して題名としたものの、クレームが多発して改題されるに至った。この一件が原因で『バランサー』は打ち切りになり、新谷は増刊号も含めサンデーから一時撤退した。増刊号に連載された『紅たん碧たん』の単行本は小学館では1巻のみの発行となり、1994年に完全版が白泉社から発行されている。その後はサンデーとの関係が修復し、単発の読切作品や『少年サンデー1983』の復刻・インタビューの掲載も行っている。
  7. ^ 「FLY ME TO THE MOON」はサブタイトル。新章を連載した2021年18号から同21号は、タイトルとサブタイトルが入れ替わった[46]

出典

  1. ^ 大野茂 (2009). サンデーとマガジン. 光文社. ISBN 4334035035 
  2. ^ 芳崎せいむ金魚屋古書店』第1巻、P.193
  3. ^ JMPAマガジンデータ”. 2011年7月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年12月18日閲覧。
  4. ^ 『サンデーとマガジン 創刊と死闘の15年』(大野茂、2009年、光文社新書、ISBN 4-334-03503-5
  5. ^ みず谷なおき『Hello! あんくる』追悼版に収録されている関係者のコメント
  6. ^ a b 週刊少年サンデー特集、新編集長・市原武法インタビュー - コミックナタリー https://natalie.mu/comic/pp/sunday02
  7. ^ 週刊少年サンデー特集 編集長・市原武法インタビュー - コミックナタリー 特集・インタビュー https://natalie.mu/comic/pp/sunday03
  8. ^ 『週刊少年サンデー』夏まで月1ペースで2度臨時合併号発行へ 作家への新型コロナ対策
  9. ^ 週刊少年サンデー、作家への新型コロナ対策のため2度の臨時合併号を発行
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週刊少年サンデー 1974年34号、42号 - 1975年16号 石森章太郎ロボコンの思考パターンが「目的を重視するあまり、手段を選ばない」というものになっており、テレビシリーズより暴走しやすい描写がなされている。例 『ひみつ戦隊ゴレンジャーごっこ』より。ゴレンジャー加入を断られた際、「一人、欠員が出ればよい」と考え、モモレンジャーにセクハラを働いている。作品そのものも、全ての登場キャラクターが利己的で、激しいお色気ギャグ漫画であった。ギャグ漫画ということもあり、全体的にかなりラフなタッチで描かれていたが、当時の少年誌では半ば「お約束」であった女性のヌードシーンが同作品にもあり、その役目を大山家のお姉ちゃんが担当していた。通常のコマでは4頭身で雑に描かれていた彼女は、ヌードシーンの際には8頭身でかなりいいプロポーションで描かれていた。当然ながらテレビシリーズでは皆無なシーンである。作者自らによるヒーロー作品のセルフパロディ的にヒーローのようなロボメカが登場、ロビンを独占する。ロボメカはデザイン及び設定を大幅に変えて、テレビシリーズに登場する。幼稚園 1974年10月号 - 1977年5月号 石森章太郎

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