週刊少年サンデー
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概要
1959年(昭和34年)3月17日に、同年4月5日号として創刊。「サンデー」という誌名は「この雑誌を読むとまるで日曜日のように楽しい気分に浸れるように」という初代編集長豊田きいちが考案した[1]。当初は毎週火曜日の発売だったが、2024年現在[いつ?]は、毎週水曜日に発行されている。マスコットキャラクターはナマズで、『ビッグコミック』系列誌のものとは異なり、本誌ではイナズママーク入りのヘルメットを被っている。「澱んだ池の底でも辛抱していればそのうち大きくなる」というハングリー精神を表している[2]。
企画立ち上げ時のスタッフの中核が学年誌の編集者ということから、創刊前には「小学館の新児童誌」と宣伝され、実際、創刊から10年近くの間、学年誌の延長線上にあり[注 1]、読み物や付録などが充実していた。1960年代半ばにはSFに力を入れ、当時気鋭の若手筒井康隆が小説の連載を行なっていたこともあった。
1960年代にシリアスな漫画で問題を起こすことが多かった一方、比較的ライトな内容のギャグ漫画やコメディ・タッチの漫画にヒット作が多かったことから、俗に「ギャグのサンデー」と呼ばれることになった。1980年代初頭には「ラブコメ」や「パロディ」も加わり、この様な軽快さは雑誌の大きな気風として現在も続いている。とは言い、1980年代半ばにはギャグ漫画家(パロディ組)が飽和状態になり、サンデー出身作家の『月刊少年キャプテン』(徳間書店)など他誌への鞍替えが目立った時期もあった。
担当編集者を介したつながりや誌上企画などに端を発した、師弟関係以外の漫画家間の交流(サンデー内のみではなく、小学館関係の雑誌も含め)が比較的盛んで、中でも1980年代から1990年代初頭の島本和彦を中心としたグループ、1990年代半ばの藤田和日郎を中心としたグループが有名である。1985年に通巻1500号の記念企画としてレコード「WINGS OF FREEDOM」が制作された際には、当時の連載陣の一部が歌を披露している。
伝統的に、掲載作品については編集部が企画段階から関与し、その意向が作品の方向性に少なからぬ影響を及ぼす。また、長期連載となるには読者からの作品人気が必要で、雑誌付属のアンケート葉書などのリサーチの結果が編集方針や作品の内容・存続に影響を及ぼすことに、競合他誌と違いはない。しかし、創刊時からの競合誌『週刊少年マガジン』と比べれば編集部主導という姿勢がそこまで色濃いわけでもなく、かといって後発誌『週刊少年ジャンプ』『週刊少年チャンピオン』ほどに読者アンケート人気の結果データに極端に偏重したスタイルでもないため、これら競合誌と比較した場合、編集部との折り合いさえ付けば、あとは漫画家が自身の描きたい方向性を自由に打ち出せる傾向がある(そのせいか、他誌のように作品の方向性がテコ入れによって突然、大きく変質してしまうケースが比較的少ない)。
2024年現在の発行部数は、週刊少年漫画誌としては『週刊少年ジャンプ』(集英社)、『週刊少年マガジン』(講談社)に続いて業界3位に位置する[3]。
注釈
- ^ 同様の状況は同時期に創刊されたライバル誌『週刊少年マガジン』にもあり、マガジンの場合は企画立ち上げ時のスタッフに少女漫画誌の編集者が多く、少女漫画家を多く起用していた。
- ^ 高橋の『うる星やつら』最終回(1987年8号)の後から、あだちの『ラフ』開始(同年17号)の前まで。
- ^ 例として、『神のみぞ知るセカイ』においては10巻~22巻まで連続して関連グッズ・DVDを同梱した初回限定版が発売されている。
- ^ 作品にもよるが、主にアニメイト・ゲーマーズ・コミックとらのあなで実施されるケースが多い。漫画全般に置いてこうした店舗での新刊特典自体は珍しくないが、週刊少年誌の単行本としては多い部類に入る。
- ^ 例としては『銭ゲバ』や『男組』、『機動警察パトレイバー』、『魔王 JUVENILE REMIX』、『ちいさいひと 青葉児童相談所物語』など。
- ^ 当初の題名『ジャップ』について、作者が日本に対する蔑称である点に懸念を抱いたが、編集者が問題ないと判断して題名としたものの、クレームが多発して改題されるに至った。この一件が原因で『バランサー』は打ち切りになり、新谷は増刊号も含めサンデーから一時撤退した。増刊号に連載された『紅たん碧たん』の単行本は小学館では1巻のみの発行となり、1994年に完全版が白泉社から発行されている。その後はサンデーとの関係が修復し、単発の読切作品や『少年サンデー1983』の復刻・インタビューの掲載も行っている。
- ^ 「FLY ME TO THE MOON」はサブタイトル。新章を連載した2021年18号から同21号は、タイトルとサブタイトルが入れ替わった[46]。
出典
- ^ 大野茂 (2009). サンデーとマガジン. 光文社. ISBN 4334035035
- ^ 芳崎せいむ『金魚屋古書店』第1巻、P.193
- ^ “JMPAマガジンデータ”. 2011年7月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年12月18日閲覧。
- ^ 『サンデーとマガジン 創刊と死闘の15年』(大野茂、2009年、光文社新書、ISBN 4-334-03503-5)
- ^ みず谷なおき『Hello! あんくる』追悼版に収録されている関係者のコメント
- ^ a b 週刊少年サンデー特集、新編集長・市原武法インタビュー - コミックナタリー https://natalie.mu/comic/pp/sunday02
- ^ 週刊少年サンデー特集 編集長・市原武法インタビュー - コミックナタリー 特集・インタビュー https://natalie.mu/comic/pp/sunday03
- ^ 『週刊少年サンデー』夏まで月1ペースで2度臨時合併号発行へ 作家への新型コロナ対策
- ^ 週刊少年サンデー、作家への新型コロナ対策のため2度の臨時合併号を発行
- ^ ““つながる表紙”のジャンプで「ONE PIECE」最終章突入、「食戟のサンジ」最終話も”. コミックナタリー (ナターシャ). (2022年7月25日) 2022年7月27日閲覧。
- ^ “新井隆広の読み切りが次号サンデーに、ONE PIECE×コナンの巨大パネルも登場”. コミックナタリー (ナターシャ). (2022年7月27日) 2022年7月27日閲覧。
- ^ 「名探偵コナン」サンデー表紙が懐かしのデザインに、30周年記念で作家陣からお祝いも、コミックナタリー、2024年1月10日。
- ^ 祝!『名探偵コナン』連載30周年! 〜「少年サンデー」はじめ、盛りだくさんなお祝い企画が続々スタート!〜、PRTIMES(株式会社小学館)、2024年1月10日。
- ^ 高橋留美子×椎名高志、相思相愛リスペクト対談「半妖の夜叉姫」コミカライズ1巻&「MAO」11巻発売記念 (2/2) - コミックナタリー 特集・インタビュー https://natalie.mu/comic/pp/yashahime_mao/page/2
- ^ JMPA読者構成データ
- ^ a b “Jコミで扉を開けた男“漫画屋”赤松健――その現在、過去、未来(前編)”. ITmedia eBook USER. 2022年1月7日閲覧。
- ^ 『漫画家の自画像』左右社、2021年11月30日、139頁。
- ^ “週刊少年サンデー 1970年 表示号数43”. メディア芸術データベース. 2024年2月7日閲覧。
- ^ “週刊少年サンデー 1970年 表示号数44”. メディア芸術データベース. 2024年2月7日閲覧。
- ^ “週刊少年サンデー 1972年 表示号数3”. メディア芸術データベース. 2024年2月7日閲覧。
- ^ “週刊少年サンデー 1972年 表示号数5”. メディア芸術データベース. 2024年2月7日閲覧。
- ^ “週刊少年サンデー 1976年 表示号数46”. メディア芸術データベース. 2024年2月7日閲覧。
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- ^ “週刊少年サンデー 1984年 表示号数29”. メディア芸術データベース. 2024年2月7日閲覧。
- ^ “週刊少年サンデー 1984年 表示号数30”. メディア芸術データベース. 2024年2月7日閲覧。
- ^ “週刊少年サンデー 1987年 表示号数27”. メディア芸術データベース. 2024年2月7日閲覧。
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- ^ “週刊少年サンデー 1991年 表示号数32”. メディア芸術データベース. 2024年2月7日閲覧。
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- ^ “週刊少年サンデー 2000年 表示号数16”. メディア芸術データベース. 2024年2月7日閲覧。
- ^ “週刊少年サンデー 2000年 表示号数17”. メディア芸術データベース. 2024年2月7日閲覧。
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- ^ “週刊少年サンデー 2009年 表示号数35”. メディア芸術データベース. 2024年2月7日閲覧。
- ^ “週刊少年サンデー 2009年 表示号数36”. メディア芸術データベース. 2024年2月7日閲覧。
- ^ “週刊少年サンデー 2012年 表示号数33”. メディア芸術データベース. 2024年2月7日閲覧。
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- ^ “週刊少年サンデー 2015年 表示号数34”. メディア芸術データベース. 2024年2月7日閲覧。
- ^ “週刊少年サンデー 2015年 表示号数35”. メディア芸術データベース. 2024年2月7日閲覧。
- ^ “トニカクカワイイ:新章「FLY ME TO THE MOON」開幕 司の知られざる“壮絶な過去”描く”. MANTANWEB. 2021年4月12日閲覧。
- ^ 『朝日年鑑 1964年版』563頁。NDLJP:3006395/286
- ^ 「ジャーナリズムと女性(4) まんが雑誌」『月刊婦人展望』1972年4月号、13頁。NDLJP:2274163/8
- ^ a b c d e f 社団法人日本雑誌協会JMPAマガジンデータによる該当期間中に発売された雑誌1号当たりの平均印刷部数。
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