国鉄EF60形電気機関車 国鉄EF60形電気機関車の概要

国鉄EF60形電気機関車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/28 00:54 UTC 版)

EF60形直流電気機関車
EF60 19
(2008年3月 岩本駅 - 津久田駅間)
基本情報
運用者 日本国有鉄道
東日本旅客鉄道
製造年 1960年 - 1964年
製造数 143両
主要諸元
軸配置 Bo-Bo-Bo
軌間 1,067 mm
電気方式 直流 1,500 V
運転整備重量 96.0 t
台車 DT115系(両端)
TR116系(中間)
主電動機 直流直巻電動機
制御方式 抵抗制御・3段組合せ・弱め界磁
バーニア制御付き)
制御装置 電磁空気単位スイッチ式
制動装置 EL14AS形自動空気ブレーキ
製造時期によって相違あり。詳細は#主要諸元を参照のこと。
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概要

1958年(昭和33年)、国鉄初の新形直流電気機関車としてED60形ED61形が登場したが、この両形式で採用された1基390 kWのMT49形直流直巻電動機を使用してF形(動輪6軸)機関車にすると出力は390 kW×6=2,340 kWとなり、それまで東海道本線山陽本線高速貨物列車用として使用されていた出力2,530 kWのEH10形に比べてさほど劣らぬ出力をもちつつ小型軽量の機関車にすることが可能であることから開発されたのが本形式である。

構造

構造は新形電気機関車の特徴とするデッキなしの箱形車体である。ED60形とは異なり重連運用は想定していないため総括制御機能はなく、前面は非貫通形2枚窓とした。貨物列車への使用を前提とするため列車暖房用設備は非装備である[注 1]

製造当初の車体塗装は0番台がぶどう色2号(茶色)の一色[注 2]で、500番台が前面上部・下部および側面を青15号(濃青色)、前面窓周り・中央部と側面帯をクリーム1号とした塗装であったが、塗装規定の変更により1965年(昭和40年)から側面全体と前面上半部・下部を青15号、前面中央部をクリーム1号とした配色に全機が変更された。この塗装は新形直流電気機関車の標準色とされた[注 3]

形態区分

1960年(昭和35年)から1964年(昭和39年)にかけて、貨物用の0番台129両と寝台特急列車ブルートレイン)牽引用の500番台14両の計143両が製造されたが、製造時期により構造の差異がある。

先行試作車

EF60 1(1977年8月9日撮影)

1960年(昭和35年)に製造された先行試作車の1・2は、比較のため以下に示す点で仕様が異なる。

先行試作車相違点
相違点 EF60 1 EF60 2 備考
両端台車 DT115形 DT106A形 DT115形軸ばね方式=
DT106A形=吊りリンク・揺れまくら方式
DT116形を含めた軌道への影響比較[1]
中間台車 DT116形
主電動機 MT49形 MT49B形 細部の設定変更
製造メーカー 東洋電機製造
汽車会社
三菱電機
新三菱重工

吹田第二機関区に配置されて比較試験が行われ、軌道に対する横圧の小さい1が量産車のベースとなった。

のちのEF65形増備により余剰となり、1はEF61 201に改造されたが、特異な台車を採用した2は保守の問題で1982年(昭和57年)に廃車解体された。

1次量産車

先行試作機の使用結果を踏まえ、1960年(昭和35年)7月から9月にかけてEF60 3 - 14が製造された[2]姫路 - 岡山電化開業用を名目としている[2]

外観での相違は、WP35形ワイパーが窓上から支持する方式に変更された程度である。バーニア制御器は空転検出の制度向上および直列・直並列の渡りをスムーズにするために継電器を追加したCS13Aに変更された。駆動方式は試作車と同様のクイル式である。クイル式は、車輪と大歯車をつなぐ継手 (スパイダ、支持腕)部分が密閉されていないため、塵埃の混入で異常摩耗が進み小歯車とのかみ合いが悪化し、大きなトルクがかかると異常な振動騒音が発生することが明らかになった。本グループを含むクイル式駆動車両は、のちにすべてリンク式駆動装置に改修されたが、この駆動装置の問題により試作機を含めた14両は本形式他車と運用が分けられることになる。1965年にクイル式の集中配備を狙ってED61形が配備される中央本線甲府機関区に転属し甲府以遠で運用されたが、連続25‰勾配における空気ブレーキの常用でタイヤ弛緩が多発したため、翌年に発電ブレーキを持つEF64形に置き換えられて稲沢第二機関区に転属、名古屋多治見間で運用された。その後、岡山機関区に集中配置され、山陽本線東部のローカル貨物列車運用に限定使用された。

試作機を含む14両は、老朽化した瀬野八補助機関車EF59形の代替用としてEF61形200番台に改造されることになり、1977年(昭和52年)から1979年(昭和54年)にかけて8両が改造されたが、重連運用時の不具合によりそれ以上の改造は打ち切られ、残りの6両も1980年(昭和55年)ごろには運用から外れ、休車となって岡山機関区に留置された。

休車となった車両のうち5両は1982年(昭和57年)に廃車されたが、EF60 12のみ教習用車両として中央鉄道学園に移送され、1984年(昭和59年)に廃車されてからも、1987年(昭和62年)の閉鎖まで活用され、その後解体された。

2次量産車

EF60 16(1978年5月31日撮影)

1962年(昭和37年)5月から8月にかけてEF60 15 - 46が製造された[3]。東海道・山陽本線増発用を名目としている[3]

前述のとおり、1次量産車までで採用されていたクイル式駆動方式はトラブルが続出したため、吊り掛け駆動方式に設計変更した。主電動機は1時間定格出力425 kWのMT52形に変更し、それに合わせて台車もDT115A形・DT116A形(軸距を2,800 mmまで延長)に変更された。MT52はMT49と比べて定格回転数が低いことから、高速性能改善のために歯車比は4.44に変更された。定格出力が2,550 kWまで改善されたこともあり、歯車比を大きく変更し定格速度を上げることも検討されたが、既存グループと共通性をもたせることから見送られ、出力上昇分は引張力の向上に振り向けられた。

外観上の相違としては、前照灯まわりが台形のケーシングとなり、樽形ケーシングの1次グループとは意匠が僅かに異なることである[注 4]

このグループの特異車としては、EF60 42 - 46が挙げられる。本来であれば「東洋電機・汽車会社」のジョイントで発注されるところであったが、東洋電機に不祥事(東洋電機カラーテレビ事件)が発覚したため、国鉄は同社への発注を一時的に凍結し、「汽車会社・川崎電機」のジョイントで製作された。

3次量産車

EF60 53(1983年撮影)

1963年(昭和38年)7月から1964年(昭和39年)3月にかけてEF60 47 - 83が製造された[4]。東海道・山陽本線増発用、岡山 - 広島間の貨物列車電化用を名目としている[4]稲沢第二沼津機関区に配置され、両機関区のEF15形が各地に転属している[4]

運転台側窓固定部分のガラス支持が白Hゴムに変更されている[4]

4次量産車

EF60 84(1986年11月22日、竜華機関区公開時に撮影)

1964年(昭和39年)4月から7月にかけてEF60 84 - 99が製造された[5]。山陽本線旅客電化用、中央本線甲府 - 上諏訪間電化開業用、上越高崎東北本線貨物列車増発を名目としている[5]。沼津・米原・吹田第二機関区に配置され、該当機関区のEF15形が各地に転属している[5]

性能にはそれほど大きな違いはみられないが、外観はEF80形に似た意匠になるなど大きな違いがみられる[5]

  • 前照灯が2灯シールドビームに変更され、側面は通気口の上に明かり取り窓を配した構造となった。その後に製造されたEF65形も同一形状である。
  • 側窓も白Hゴム支持となっている。
  • 運転室機器類の一部変更。
  • 避雷針をLA15に変更。

5次量産車

EF60 123(2011年6月26日撮影)

1964年(昭和39年)7月から10月にかけてEF60 100 - 129が製造された[6]。上越・高崎・東北本線貨物列車増発用、山手線貨物列車増発用を名目としている[6]。沼津・浜松・稲沢第二・米原・吹田第二・高崎第二機関区に配置され、該当機関区のEF15形が各地に転属している[6]

避雷器の爆発時の飛散防止のためにカバーが取り付けられている[6]

500番台

EF60 501(2004年8月12日)

1963年(昭和38年)から1964年(昭和39年)に20系客車寝台特急牽引用EF58形の置換え用として製造されたグループでEF60 501 - 514が該当する。

  • 車体はEF60 501 - 511が3次量産車に、EF60 512 - 514が4次量産車に準ずる。
  • 外部塗色は20系客車と意匠を合わせ、地色は青色で前面窓まわりと側面の帯をクリーム色とした。ただし、EF60 512・513は手違いにより一般形と同じ塗色で落成した[7]
  • 正面中央に特急列車用のヘッドマーク取付ステーを追加。
  • 20系客車との連結対応として、運転台に客車との連絡用電話・架線異常時のカニ22形電源車パンタグラフ降下ならびに電動発電機 (MG) 停止のスイッチが追加され、スカートには当該機能引き通し用KE59形ジャンパ連結器を装備。
  • 1965年(昭和40年)より高速性能に優れたEF65形500番台P形の登場で寝台特急の運用を外れ、以後は一般形と共通運用された。1968年(昭和43年)の20系客車電磁指令ブレーキ化以降、本区分番台は定期寝台特急列車に投入されていない[注 5]
  • のちに寝台特急列車増発によってEF65形が不足した際は、本形式ではなくEF58形[注 6]が再投入された。
  • 1975年(昭和50年)ごろに塗色を特急色から0番台と同様の一般色に変更し、ジャンパ連結器が撤去されたため、一般形との相違が全くなくなった。
  • 1986年(昭和61年)3月のダイヤ改正で、紀勢本線12系客車牽引運用をEF58形から置き換えるため、500番台の一部が元空気ダメ管 (MRP) の引き通し改造、いわゆるP型化されて竜華機関区に転属した。改造の理由は、曲線が多い紀勢本線で空気バネ・自動ドアを装備する12系客車を普通列車で運用するため、圧搾空気の消費量が多くなり客車側のコンプレッサーだけで賄いきれなくなることが懸念されたためである(同区のEF58形も同じ理由でP型に改造された)。この運用も、1986年(昭和61年)11月のダイヤ改正で紀勢本線の客車列車自体が廃止されたため、わずか半年余りで終了した。

主要諸元

EF60形 主要諸元表
番台区分 1次車 2次・3次・4次・5次車
500番台
全長 16,000 mm 16,500 mm
全幅 2,800 mm
全高 3,814 mm 3,819 mm
運転整備質量 96.0 t[8]
最高運転速度 90 km/h[9] 100 km/h
電気方式 直流1,500 V(架空電車線方式[10]
軸配置 Bo-Bo-Bo (動軸 6)[11]
台車形式 DT115形(両端)
DT116形(中間)
DT115A形(両端)
DT116A形(中間)
主電動機 MT49B形×6基[11] MT52形×6基[11]
動力伝達方式
および歯数比
1段歯車減速クイル式
15:82=1:5.466[11]
1段歯車減速吊り掛け式
16:71=1:4.44[11]
1時間定格出力 2,340 kW[11] 2,550 kW[11]
1時間定格引張力 19,200 kgf[11] 23,400 kgf[11]
定格速度 44.7 km/h(全界磁)[11] 39 km/h(全界磁)[11]
制御方式 抵抗制御・3段組合せ・弱め界磁制御(バーニア制御付き)[11]
制御装置 電磁空気単位スイッチ式
重連総括制御 なし
ブレーキ方式 EL14AS自動空気ブレーキ
製造初年 1960 1962

改造

本形式からは山陽本線瀬野 - 八本松(通称瀬野八)間用補助機関車への改造が行われた。なお、いずれもEF59形置換え名義の改造である。

EF61形200番台への改造

1977年(昭和52年)に本形式の先行試作・1次量産のクイル式駆動グループ車を改造したグループである。当初はグループ全車を改造予定であったが、途中で計画が中止されたために8両のみの施工で終了した。

EF67形基本番台への改造

1982年(昭和57年)に本形式の4次および5次量産車グループから3両が改造された。


注釈

  1. ^ 500番台は旅客列車牽引用であるが、牽引される20系客車はサービス用電源車をもつため機関車に暖房源を備える必要はない。
  2. ^ 国鉄末期の1986年(昭和61年)8月には、沼津機関区創立100周年のイベントとして廃車予定であったEF60 95をぶどう色2号に復元している(当時は現役機の塗色変更が認められていなかった。)。
  3. ^ EF58形は旧形電気機関車であるが、寝台特急をはじめ青い客車列車の先頭に立つことが多く、例外的にこの塗装が採用された。
  4. ^ 後年、特に1980年代中期以降は本形式に限らず1灯式の前照灯を用いた一部の電気機関車および電車103系など)・気動車キハ10系キハ20系など)車両がシールドビーム2灯に換装された。このうち電気機関車や電車のものは、前照灯まわりの造形がブタの鼻のように見えるため、一部の鉄道ファンの間からは「ブタ鼻(ライト)」と呼ばれていた。
  5. ^ 電磁指令ブレーキのない本形式では110 km/h運転に対応できないため。
  6. ^ EF58形は旧型で出力も低いが、1時間連続定格速度が68 km/hとEF65形 (45 km/h) よりもさらに高速特性に優れていた。
  7. ^ 国鉄もこの決定はあくまでEF65形投入までの暫定的なものと考えており、予算面で所要両数の確保もギリギリかつ多少の無理は承知しており、運用の工夫で合理化を達成せねばならない「苦肉の策」であった。
  8. ^ 当時の20系客車のブレーキは一般形客車に使用されているAVブレーキを若干手直ししただけのASブレーキであったため、20系客車の15両編成化はEF58形牽引では速度維持が困難であった。後年「あかつき」などでEF58形牽引の20系15両編成が運行されたことがあったが、それは20系客車が応答性を向上させたAREBブレーキとなり、EF58形にも増圧用元空気溜め管が増設改造されたために可能となった。
  9. ^ 本区分は予備車が少なく、故障時の代走はEF61形もしくはEF58形が投入された。
  10. ^ 9日には、上越線高崎 - 越後湯沢間の往復でさよなら運転が行われ、分割民営化時に唯一JR東日本に承継されたEF60 19が後補機に当たった。
  11. ^ 17日に同運転所にて。

出典

  1. ^ 『EF60型直流電気機関車説明書』1960年、4頁。 
  2. ^ a b Rail Magazine』330、ネコ・パブリッシング、2011年、p.119
  3. ^ a b 『Rail Magazine』330、ネコ・パブリッシング、2011年、p.121
  4. ^ a b c d 『Rail Magazine』331、ネコ・パブリッシング、2011年、p.90
  5. ^ a b c d 『Rail Magazine』331、ネコ・パブリッシング、2011年、p.93
  6. ^ a b c d 『Rail Magazine』331、ネコ・パブリッシング、2011年、p.97
  7. ^ 鉄道ファン』2004年9月号、p.70
  8. ^ [1]鉄道辞典_補遺版 - 252/464枚目」
  9. ^ [2]鉄道辞典_補遺版 - 252/464枚目」
  10. ^ [3]鉄道辞典_補遺版 - 252/464枚目」
  11. ^ a b c d e f g h i j k l [4]鉄道辞典_補遺版 - 253/464枚目」
  12. ^ a b 『Rail Magazine』340、ネコ・パブリッシング、2011年、p.97
  13. ^ 鉄道ファン編集部 『鉄道ファン』2009年7月号 (付録)JR旅客会社の車両配置表 交友社 p.42
  14. ^ 鉄道ピクトリアル』No.967、電気車研究会、2019年12月号、p.102。
  15. ^ 鉄道ジャーナル』第21巻第1号、鉄道ジャーナル社、1987年1月、129頁。 
  16. ^ EF60 19,2エンド側前灯を1灯化か交友社鉄道ファン』railf.jp鉄道ニュース、2010年2月1日
  17. ^ "ELぐんまよこかわ号"をEF60 19がけん引交友社『鉄道ファン』railf.jp鉄道ニュース、2019年6月3日
  18. ^ EF60 19が秋田総合車両センターへ”. 鉄道ファン. 交友社 (2019年7月2日). 2019年9月25日閲覧。
  19. ^ 『鉄道ファン』2019年11月号、p.156
  20. ^ 笹田昌弘、イカロスMOOK『保存車大全コンプリート 3000両超の保存車両を完全網羅』イカロス出版、「全カテゴリー保存車リスト」 p.219
  21. ^ 沖田祐作、『機関車表 フルコンプリート版』DVDブック ネコ・パブリッシング p.2798
  22. ^ (所在場所について)白川淳、JTBキャンブックス『全国保存鉄道II 保存車全リスト3700両』 JTB(現・JTBパプリッシング) p.155
  23. ^ 笹田昌弘、イカロスMOOK『保存車大全コンプリート 3000両超の保存車両を完全網羅』 イカロス出版、「全カテゴリー保存車リスト:撤去情報」 p.249


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