和泉雅子
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著書
単著
- 『白いささやき : マコのおしゃべり読本』勁文社、1976年10月。全国書誌番号:77009657
- 『和泉雅子の南極 : 白いメッセージ'83~'84』和泉雅子(自費出版)、1984年6月。[注 20]
- 『私だけの北極点 : 北緯88度40分』講談社、1985年8月8日。ISBN 4062022141。[注 21]
- 『めざせ 北極点 : マコは、がんばった : 北緯88度40分』講談社〈青い鳥文庫〉、1988年8月10日。ISBN 4061472488。 - 児童書。
- 『笑ってよ、北極点』文藝春秋、1989年8月25日。ISBN 4163435700。
- 『マコさん北極を行く : ネイチァリングスペシャル』全国朝日放送(テレビ朝日)、1990年12月11日。ISBN 488131162X。
- 『ハロー オーロラ! : 和泉雅子写真集』文藝春秋、1994年7月15日。ISBN 4166103504。[注 22]
共著
- 『輝いて生きたい : 魅力ある女性になるための14話』 PHP研究所、1985年11月25日。ISBN 4569520057。[注 23][注 24]
- 『まさこおばさんありがとう』(田上千枝/共作、長野ヒデ子/え) PHP研究所、1986年1月31日。ISBN 4569283284。[注 25] - 児童書。
- 『著名人の思い出ポロリ : 25人のいい話』 文溪堂、1995年3月31日。ISBN 4894230542。[注 26]
注釈
- ^ 「“何もない”魅力、突き当りのない景色にびっくり」し、「いっぺんで極地が好きになりました」と語っている[9]。
- ^ 自著に「そこに一歩足を踏み入れた途端、私は極地のすばらしさ、豊かさ、たくましさに打たれてしまいました」、そして「今まで小さくコセコセ暮らしていた自分の情けなさを、いやというほど思い知らされました」と記している[12]。
- ^ 極地ジャーナリスト。1978年、日本人初の北極点到達に成功した日本大学遠征隊に参加した[16]。
- ^ 和泉に五月女次男を紹介したのは、故・植村直己の妻・公子である[16]。
- ^ エルズミア島最北端の小島である[20]。
- ^ 北緯83度15分、西経74度52分の地点である[21]。ここは、1978年、植村直己が犬ぞり単独行で北極点を目指して出発したコロンビア岬の近くである。
- ^ このときの気温はマイナス38℃であった[21]。
- ^ 大谷映芳(テレビ朝日ディレクター、早稲田大学山岳部OB、K2登頂者)、伊藤周左エ門(登山家、冒険家)、アムシ・アマゴリアック(イヌイット)、ピジャミニ・アブラハム(同)、オココ・カラック(同)である[23]。
- ^ ヤマハ発動機製である[24][15]。これは、和泉が、日本人なので日本製にしたいと考え、ヤマハ発動機に協力を依頼したところ、社長(当時)の江口秀人が快諾し、5台のスノーモービルを提供してくれたものである[24][15]。
- ^ 5月6日の物資補給時に、「隊を軽量化する」とのベースキャンプの判断[26]により伊藤周左エ門とピジャミニ・アブラハムが帰還し、和泉を含めて4人となった[27]。5月19日の物資補給時に、五月女次男(極地ジャーナリスト)が加わり、和泉を含めて5人となった[28]。
- ^ 4年後の北極点挑戦までに完済した[13]。
- ^ このときの気温はマイナス42℃であった[37]。
- ^ 大谷映芳(テレビ朝日ディレクター、早稲田大学山岳部OB、K2登頂者)、山主文彦(日本大学山岳部OB)、オココ・カラック(イヌイット)、ジョー・アマゴーリック(同)である[38]。
- ^ ヤマハ発動機製の「エクセルIII」である[39]。
- ^ 北極点到達時のメンバー以外の隊員は、笹原慎司(日本大学山岳部OB)[41]、五月女次男(極地ジャーナリスト)[42]、フィリップ・マニック(イヌイット)[41]、ハミー・カラック(同、オココ・カラックの息子)[43]である。出発から北極点到達までを通して同行したのは、大谷映芳とオココ・カラックの2人である。
- ^ 伊藤は、5月5日、6回目の補給フライトで隊に加わった[44]。これは、前回の遠征途上で「隊を軽量化する」ため離脱を余儀なくされた伊藤の無念さを思いやり、和泉がどうしても伊藤に北極点に立ってもらいたかったからである[45]。
- ^ 北極点到達時の隊員は、大谷映芳、伊藤周左エ門(登山家、冒険家)[注 16]、オココ・カラック、ジョー・アマゴーリックである[46]。
- ^ 和泉の北極点到達は、人工衛星をベースとした「アルゴスシステム」によって確認された[47][48]。
- ^ 世界初は、1986年、国際犬ぞり隊に参加したアン・バンクロフト(Ann Bancroft)である[4][49]。
- ^ 大きさは37cm、34ページの写真集である。発行部数は60,000部[50]。
- ^ タイトルの『私だけの北極点』の“私”に「マコ」とルビが振られている。
- ^ 別タイトルは『Hello Aurora!』。アボット・コステロ/デザイン、関口聖司/AD。
- ^ その他の著者は、大林宣彦、落合恵子、熊井明子、さだまさし、澤野久雄、下重暁子、菅原眞理子、高橋幸子、西村玲子、野中ともよ、林静一、古山高麗雄、増田れい子である。
- ^ 和泉雅子/著『私の折り返し点 : 北極点へのチャレンジ』が収録されている(全10ページ)。
- ^ この書籍は、第18回「手紙作文コンクール」(主催 : 郵政省、財団法人日本郵便友の会協会)の小学校高学年の部において、郵政大臣賞を受賞した田上千枝の手紙作文を絵本にしたものである。和泉雅子が“返信”を書いている(全4ページ)。
- ^ 和泉雅子/著『無欲の勝利』が収録されている。
- ^ 和泉雅子による『発刊によせる』という文が収録されている(全1ページ)。
- ^ 『化けて大きくなったMIEと和泉雅子』と題する文が収録されている。
- ^ 和泉雅子との対談が収録されている。
- ^ 生命の大樹・いのちの塔実行委員会、京都幼児フォーラム、禅文化研究所、臨済宗連合各派布教師会。
- ^ 和泉雅子/著『すばらしい教え』と題する文が収録されている(全5ページ)。
- ^ 30cm、135ページ。
- ^ 石原裕次郎、北原三枝、宍戸錠、芦田伸介、吉永小百合、和泉雅子など、日活黄金時代のスターの実像と歴史に迫る長編ドキュメント。(「MARC」データベースから引用)
- ^ 『チャキチャキの江戸っ子女優、和泉雅子』と題する節が収録されている(全31ページ)。
- ^ 和泉雅子の写真が収録されている(全1ページ)。
- ^ 和泉雅子の写真が収録されている。
- ^ 『贅沢な、古きよき時代』と題する、和泉雅子へのインタビューが収録されている(全1ページ)。
- ^ 宍戸錠、高橋英樹、松原智恵子、和泉雅子らのインタビュー・エッセイや日活40作品の解説、鈴木清順自身の言葉などを収録。清順美学の入門書。鈴木清順レトロスペクティヴSTYLE TO KILL記念本。(「MARC」データベースから引用)
- ^ もっと人生を「毎日が自分流」に楽しんでみませんか? 「いきいき人生」を日々実践している人たち40名の日々の充実ぶりを紹介する。また、芳村真理、和泉雅子などの著名人は、「豊かに生きるヒント」を語る。(「MARC」データベースから引用)
- ^ 和泉雅子が掲載された月刊『明星』の表紙が収録されている。1964年11月号(三田明と共に)、1966年11月号(西郷輝彦と共に)、1967年11月号(三田明と共に)、1968年5月(西郷輝彦、渡辺茂樹と共に)、1968年9月号(布施明、沢田研二、山本リンダ、由美かおる、江美早苗、渡辺茂樹、ジュディ・オング、萩原健一、加山雄三と共に)。
- ^ 「ドラえファンインタビュー」という企画コーナーでインタビューに応じている。
- ^ 日本映画を代表する撮影監督・高村倉太郎を特集。映画・テレビ作品の写真を多数掲載。生い立ちから映画撮影まで語ったインタビュー、関連俳優たちのエッセイ、本人のエッセイなどを収録。フィルモグラフィなど資料も充実。(「MARC」データベースから引用) 和泉雅子による、『先輩』と題するエッセイが収録されている。
- ^ 14人の子役体験者との対談集。和泉雅子との対談が収録されている(全21ページ)。目次に、「学校を休みたい一心で女優になったの。不純な動機なのよ」と和泉の言葉が記されている。
- ^ 『和泉雅子と伊藤周左エ門の北極行』という章が収録されている。なお、伊藤周左エ門は、登山家、冒険家、山樽山荘主人であり、和泉の北極行に協力し、和泉とともに北極点に到達した。
- ^ 「ばっすいのつづり」と読む。
- ^ 18cm、128ページ。非売品である。
- ^ 和泉雅子/著『心の定年』が収録されている。
- ^ 和泉雅子ら84人の女優の写真が収録されている。
- ^ 2010年6月から2011年8月までの舟木一夫の活動に密着。劇場公演やコンサートの模様、楽屋裏などの写真が掲載。舟木一夫と和泉雅子の対談が収録されている。
- ^ 『スクリーンの妖精 : 1960年代』と題する章で和泉雅子の肖像写真が掲載されている(全1ページ)。
- ^ 和泉雅子の言葉が紹介されている。
出典
- ^ a b c d e f g h 別冊宝島2551『日本の女優 100人』p.71.
- ^ a b “和泉雅子”. 日本タレント名鑑. VIPタイムズ社. 2017年3月27日閲覧。
- ^ a b 自著『笑ってよ、北極点』 1989, p. 251.
- ^ a b c d 朝日新聞・東京版(朝刊) 1989年5月11日、1面『和泉雅子さん北極点に立つ : 800キロ62日目 ついにてっぺん』(レゾリュート(カナダ)10日=田仲記者)。
- ^ a b 朝日新聞・東京版(朝刊) 1989年5月11日、31面『極北の空に躍る 白夜の成功無線 : めいの激励に返信 : サクラノカオリニヨロシク』(レゾリュート(カナダ)10日=田仲記者)。
- ^ a b 『女学生の友』 1966年8月号(小学館)188-193ページ
- ^ 和泉雅子インタビュー 銀座地下街ラジオくんー第四配信・レトロ銀座特集
- ^ 『近代映画』の当時の記事による[要文献特定詳細情報]。
- ^ a b c “12-13 風彩 ~和泉雅子さん - 熊本県”(PDF). 第1回熊本県生涯学習フェスティバルでの講演。 2020年5月1日閲覧。
- ^ 自著『私だけの北極点』 1985, p. 16.
- ^ a b c “和泉雅子 - 講師紹介”. エスエンタープライズ。 2020年5月1日閲覧。
- ^ 自著『私だけの北極点』 1985, p. 16-17.
- ^ a b c d e “和泉雅子 プロフィール - 講演依頼.com”. ペルソン。 2020年5月1日閲覧。
- ^ 自著『私だけの北極点』 1985, p. 17.
- ^ a b c d “スノーモビルの北極点への挑戦”. ヤマハ発動機。 2020年5月1日閲覧。
- ^ a b 自著『私だけの北極点』 1985, p. 31.
- ^ 自著『私だけの北極点』 1985, p. 31-32.
- ^ 自著『私だけの北極点』 1985, p. 46.
- ^ 自著『私だけの北極点』 1985, p. 48.
- ^ 自著『私だけの北極点』 1985, p. 8.
- ^ a b 自著『私だけの北極点』 1985, p. 70.
- ^ 自著『私だけの北極点』 1985, p. 68-70.
- ^ 自著『私だけの北極点』 1985, p. 69.
- ^ a b 自著『私だけの北極点』 1985, p. 25-26.
- ^ 自著『私だけの北極点』 1985, p. 75-76.
- ^ 自著『私だけの北極点』 1985, p. 199.
- ^ 自著『私だけの北極点』 1985, p. 214.
- ^ 自著『私だけの北極点』 1985, p. 244-246.
- ^ 自著『私だけの北極点』 1985, p. 256-260.
- ^ 朝日新聞・東京版(夕刊) 1985年5月24日、1面『奮闘62日 : 雅子さん無念』。
- ^ 朝日新聞・東京版(夕刊) 1985年5月24日、19面『頑張ったね マコ : 極点のドラマに終止符 : 同世代主婦ら拍手』。
- ^ 自著『私だけの北極点』 1985, p. 259.
- ^ 自著『私だけの北極点』 1985, p. 264.
- ^ 自著『私だけの北極点』 1985, p. 107.
- ^ 自著『私だけの北極点』 1985, p. 179.
- ^ 自著『笑ってよ、北極点』 1989, p. 11.
- ^ a b 自著『笑ってよ、北極点』 1989, p. 39.
- ^ 自著『笑ってよ、北極点』 1989, p. 42-43.
- ^ 自著『笑ってよ、北極点』 1989, p. 182.
- ^ 自著『笑ってよ、北極点』 1989, p. 41-44.
- ^ a b 自著『笑ってよ、北極点』 1989, p. 65.
- ^ 自著『笑ってよ、北極点』 1989, p. 160.
- ^ 自著『笑ってよ、北極点』 1989, p. 91.
- ^ 自著『笑ってよ、北極点』 1989, p. 233-236.
- ^ 自著『笑ってよ、北極点』 1989, p. 194.
- ^ 自著『笑ってよ、北極点』 1989, p. 246-251.
- ^ 自著『笑ってよ、北極点』 1989, p. 62-63.
- ^ 自著『笑ってよ、北極点』 1989, p. 250-251.
- ^ “Ann Bancroft : Around the O” (英語). University of Oregon. 2023年10月17日閲覧。
- ^ 自著『私だけの北極点』 1985, p. 22.
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