今給黎教子とは? わかりやすく解説

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今給黎教子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/31 13:35 UTC 版)

今給黎 教子(いまきいれ きょうこ、1965年1月21日[1] - )は、日本海洋冒険家鹿児島県出身。

経歴

鹿児島県日置郡吹上町に生まれた[1]。10歳のとき、小学校教師をしていた父が死去する[要出典]

鹿児島市立紫原中学校時代、R・L・グレアム航海記『ダブ号の冒険』を読み、ヨットに関心を持つ[1]1980年鹿児島県立錦江湾高校に入学し、ヨット部に所属[1]1981年から1987年にかけて、国民体育大会のヨット競技に7年連続出場、高校総体で3位に入賞[1]。高校卒業後、鹿児島市役所に就職し、ヨット部に所属[1]1987年、市役所を退職。

1988年、ヨット「海連垂乳根」で日本人女性として初めて、太平洋単独往復に成功した[1]1991年オーストラリアから日本までの太平洋縦断レースで準優勝した[要出典]。同年10月12日、日本人初の東回りでの単独無寄港世界一周に挑戦するため、ヨット「海連[注釈 1]」で鹿児島を出航[2]、翌1992年7月5日に帰還して成功した[2][注釈 2]。堀江謙一に次ぐ日本人2人目、かつ女性では初めての達成だった[2]。なお、鹿児島に帰港する直前、「合同記者会見以外のインタビュー、出演、撮影などを有料とする[注釈 3]」と発表し、地元報道機関の間に波紋を広げた[3]。対応は各社で分かれた[4]

1994年環太平洋レースCクラスに出場した[要出典]1997年、国際帆船レースに出場した[要出典]

2024年6月17日、単独無寄港世界一周航海に用いたヨットが第8回ふね遺産(日本船舶海洋工学会)に認定された[5]

著書

参考文献

  • 星島洋二『青春夢航海 : 今給黎教子とヨット「海連」世界一周』共同通信社1993年

脚注

注釈

  1. ^ スループ型、全長10.64m、水線長8.75m、最大幅3.50m、喫水1.80m、キール重1.88t、自重4.48t、マスト高14.00m、最大面積58.26m2。
  2. ^ 操舵装置の故障のため、1992年4月28日オーストラリア沖の洋上で、ホバリングしているヘリコプターから物資(修理部品、食料など)の補給を受けたことから、「無寄港」については疑義がある。ギネスブックは「無寄港」と認定していない(朝日新聞東京版(朝刊1992年7月18日 26面『今給黎さんの無寄港認めず : ギネスブック』)
  3. ^ インタビューは10時間100万円、航海中の写真は4枚1組10万円。

出典

  1. ^ a b c d e f g 海が好き 今給黎教子”. 鹿児島県. 2024年12月31日閲覧。
  2. ^ a b c 単独無寄港世界一周”. 鹿児島県. 2024年12月31日閲覧。
  3. ^ 朝日新聞・東京版(朝刊) 1992年8月4日 21面『「有料取材」に波紋広がる : 大スポンサーなく借金財政事情考えて」』
  4. ^ 朝日新聞・東京版(朝刊) 1992年8月4日 21面『仕方ない/金払ってまで : 取材姿勢分かれる』。
  5. ^ 第8回 ふね遺産認定結果のお知らせ”. www.jasnaoe.or.jp. 日本船舶海洋工学会. 2024年12月31日閲覧。

関連項目

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