今給黎誠吾とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 今給黎誠吾の意味・解説 

今給黎誠吾

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/10 01:27 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
今給黎誠吾

今給黎 誠吾(いまきいれ せいご、1876年明治9年)5月30日[1] - 1953年昭和28年)2月16日[2])は、明治から昭和時代前期の政治家衆議院議員(1期)。枕崎市名誉市民[3]

経歴

鹿児島県川辺郡、のちの東南方村(枕崎町を経て現枕崎市[3][4])で今給黎久清の長男として生まれ、1878年(明治11年)家督を相続する[5]市立大阪商業学校に学ぶ[2]

農業を営む傍ら[5]、同県川辺郡東南方村長、鹿児島県会議員、同参事会員、枕崎町長を歴任する[2]。1910年(明治43年)第3代東南方村長に就任してから初代枕崎町長を1947年(昭和22年)に退任するまで、連続36年8カ月在任した[3][4]。その他、枕崎町農会長、同煙草耕作組合長、川辺郡教育会長、同青年会長、養鶏組合中央会理事、鹿児島県養鶏組合連合会長、枕崎町産業組合長を務めた[2]。紅茶の栽培を推進した[4]

1936年(昭和11年)2月の第19回衆議院議員総選挙では鹿児島県第1区から無所属で出馬して当選[2]。のち昭和会に属し、1期務めた[2]

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ 衆議院『第六十九回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1936年、32頁。
  2. ^ a b c d e f 衆議院、参議院 編 1962, 61頁.
  3. ^ a b c 『鹿児島県姓氏家系大辞典』333頁。
  4. ^ a b c 『郷土人系 上』158-159頁。
  5. ^ a b 人事興信所 1937, イ319頁.

参考文献




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「今給黎誠吾」の関連用語

今給黎誠吾のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



今給黎誠吾のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの今給黎誠吾 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS