世界ボクシング評議会 世界ボクシング評議会の概要

世界ボクシング評議会

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/18 03:46 UTC 版)

世界ボクシング評議会
World Boxing Council
略称 WBC
設立 1963年
設立者 ルイス・スポタ英語版(初代会長)
種類 ボクシング組織
本部 メキシコ
メキシコシティ
会長 マウリシオ・スライマン
ウェブサイト https://www.wbcboxing.com/
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WBCのチャンピオンベルト

概要

元々は世界ボクシング協会(WBA)、ヨーロッパボクシング連合(EBU)、英国ボクシング管理委員会(BBBofC)、ラテンアメリカプロボクシング連合(LAPBU)、東洋ボクシング連盟(OBF)が対等の立場で討議する機関として1963年2月14日に設立[1][2]。その後、分立志向を強め、1966年8月27日にWBAとは別に、独自のルールと世界ランキングを発表して、完全に分裂した[3][4][5]。主要4団体中、加盟国が最も多いプロボクシング世界王者認定団体。4ラウンドごとにポイント採点を公表する。フリーノックダウン制(※何度ダウンしても10カウント以内に立ち上がってファイティングポーズを示し、レフェリーが危険が無いと判断すれば試合続行)を他団体に先駆けて採用している(2023年現在はWBA以外で採用)。他団体がランキング15位までしか作成していないのに対し40位まで名簿作成している。

歴史

設立

WBAからの脱退

世界タイトル戦15ラウンド制を明文化

  • 1966年8月27日のWBC総会で、世界タイトル戦のラウンド数を、それまでは10ラウンド制、12ラウンド制、15ラウンド制のいずれでも可能であったところ、15ラウンド制だけに限定した。(世界ボクシング協会(WBA)よりも先に明文化した。)[3]

世界タイトル戦12ラウンド制を開始

  • 1983年から世界タイトル戦のラウンド数を、それまでの15から12に短縮した(世界王座認定団体の中で最初に実施した)。

反アパルトヘイトによる、南アフリカ共和国関係者の除外

破産騒動

  • 2003年グラシアノ・ロッシジャーニドイツ)から不当にライトヘビー級の世界王座を剥奪したとして、3100万ドル(約34億円)の損害賠償を命じられる。その後も支払い命令の無効を求めたが認められず、ロッシジャーニとの和解交渉も不調に終わる。日本の民事再生法に相当する連邦倒産法第11章の適用申請(後に取り下げ)。
  • 2004年6月14日連邦倒産法第7章(会社清算)の適用を申請。組織の存続を念頭に置かない破産の手続きに入る。この際、ホセ・スライマン会長がWBCのウェブサイト上で声明を発表(後に破産手続き中止)。
  • 2004年8月、和解が成立。この騒動は当時WBA以上と評判であるWBC権威の低下をもたらし、WBOなどが主要団体の一つになるきっかけになった。

ムエタイ部門の設立

  • ホセ・スライマン会長、副会長ゴーウィット・パッグディープーム(タイ)とタイ・スポーツ局長サンティパープ・テーチャワーニットの間で“WBC MUAY THAI”の発足が報告され、2005年2月24日にムエタイの標準ルールに基づく運営をするなどの内容の覚書が作成され署名された。
  • 2005年9月9日 - 香港で行われたムエタイの興業で、中国人散打選手、タイガー・チャン(張慶軍/中国)がマレック・“ザ・ジェット”・ボグスウィッツ(イギリス)を破りWBCの認定する最初のムエタイ王者(WBCムエタイインターナショナルヘビー級)になる。

女子王者認定

WBCダイヤモンド王座創設

2009年8月に、「WBCダイヤモンド王座」(WBC Diamond Championship)の創設を発表。初のダイヤモンド王者となったマニー・パッキャオには、通常の世界王座のベルトをベースに、18カラットの金、861個のダイヤモンド、221個のエメラルド、6個のルビー、180個のスワロフスキー・クリスタル・ガラスなどの宝石が埋め込まれた特製のチャンピオンベルトが贈呈された。また、ベルトを覆う革にはフェラーリ社製のものが使われる。創設の際に行われた投票では、理事会の全員が賛成したという。翌9月には、メキシコシティのCorona Auditoriumで行われた記者会見で、WBC会長が実際に贈呈されるベルトを披露した[7]

WBCシルバー王座創設

2010年3月、ホセ・スライマン会長が暫定王座に替わるタイトルとして、11月にメキシコで開催予定のWBC総会で「WBCシルバー王座」(WBC Silver Championship)の創設を発表することを公表。なお、王者には、通常の世界王座のベルトをベースに、バックル部が金色ではなく銀色のシルバーベルトが贈呈される。また、暫定王者とは異なり、シルバー王者のWBCランクは維持される。

WBCフランチャイズ王座創設

2019年6月、「WBCフランチャイズ王座」(WBC Franchise Championship)の創設を発表。

世襲されたWBC会長の座

2014年1月16日、1975年以来38年間WBC会長を務めていたホセ・スライマンがカリフォルニア大学ロサンゼルス校内にあるロナルド・レーガンUCLAメディカルセンターで82歳で死去し[8][9]、前任者の四男でWBC事務局長のマウリシオ・スライマンは自身のWBC会長就任を否定したが[10]、同年2月11日にメキシコシティで行われた会長選挙で満票(26票)を集め、新会長に選出された[11]。奇しくもホセ・スライマンと同じ44歳でのWBC会長選出を果たしたマウリシオ・スライマンだが、結果的にはWBC会長の座がスライマン父子で世襲された形となった。

世界タイトルマッチ2000試合達成

2018年3月17日にWBC世界スーパーライト級王座決定戦がWBCが認定した世界タイトルマッチの2000試合目として行われ[12][13]ホセ・カルロス・ラミレスが12回3-0(120-108、117-111、115-113)の判定勝ちを収めマディソン・スクエア・ガーデン・シアターで行われたアミール・イマムとの一戦を制した[14][15]

JBCとの関係

1963年2月の設立と同時に、日本ボクシングコミッション(JBC)は、東洋ボクシング連盟(OBF)を通じてWBCに加盟しており[16][1][2]、良好な関係を保っていた。しかし1966年8月27日のWBC総会で、独自のルールと、初のWBC世界ランキングを発表して、WBAから完全に分裂したことから[3][4][5]、1966年9月27日にJBCは、WBC世界ランキングを認めないと発表した[17][18]。よって今後はWBC単独認定の世界戦を認めないとした。(実際に関光徳花形進ファイティング原田が海外でWBC単独認定王座に挑戦した際、たとえ王座を奪取してもJBCでは王者と認めないという達しが出ていた。)
しかし、ジョニー・ファメション vs.原田戦が、挑戦者の原田がダウンを連続して奪い、優勢に見えた試合だったにもかかわらず、判定負けとされた(※しかも、最初は引き分け宣告をリング上で行いながら、リングを降りるとすぐに、チャンピオンの判定勝ち防衛に変更するという不可解なもの。)こと、原田の(欧米人以外では初の)3階級制覇のかかった試合であったことから、当時の世論が沸騰、JBCはWBCを認めて原田の国内での再戦を認めろ、との意見が強まり、世論と業界の事情に押される形で、JBCもファメションvs.原田の再戦の日本での開催を認めざるをえなくなった。(当初JBCはWBC単独認定王者を認めない立場から当時のWBA王者の西城正三へのターゲット変更を模索したが、西城は日本テレビ専属・原田はフジテレビ専属のため交渉がまとまらなかった。)
結果、JBCは、なしくずし的にWBC世界ランキングを認めることになった。
この非認定期間を挟んで、1963年2月14日から1966年9月26日までの間と、ファメション対原田の第2戦が開催された1970年1月6日以降から2013年3月31日までの間を合わせて、日本はWBAとWBCと世界王座認定団体を2団体承認するという形が通算46年間以上続いた。
分立団体としてJBCに承認されて初めてWBC王座を獲得したのは、1970年4月5日にWBC世界ジュニアライト級王座に就いた沼田義明である。

2011年には東北地方太平洋沖地震による震災被害からの日本復興支援として、マイク・タイソンオスカー・デ・ラ・ホーヤ、マニー・パッキャオなど過去から当時に至るまでの世界王者十数名からサイン入りグローブやトランクスを集め、これに地震による電力不安の影響で東京から神戸へ会場が変更された4月8日開催のトリプル世界戦に出場の6選手から提供されたグッズを併せてJBCに託した。それらは日本の主なボクシング会場に展示の後、JBCが慈善オークションにかけることとなり[19]、同トリプル世界戦の調印式冒頭では、会長の息子で立会人を務める副会長のマウリシオ・スライマンが、この興行は日本を勇気づけるだろうと挨拶した後[20]、日本語で「WBCは世界のボクシング界の人々とともに、日本と一緒に戦います。ガンバレ、ニッポン」と激励メッセージを送った[21]。同年6月のJBC事務局長更迭に伴う混乱のため、この慈善オークションは大幅に遅れ[22]、2012年1月24日から3月11日までの7週間、Yahoo!オークションにて開催された[23][24][* 1]


  1. ^ その後、他団体の日本人世界王者も含め、このオークションへの出品者は当初の段階で40名に増加した[25]。各週における最高額落札者には日本プロボクシング協会の協力を得て、東日本新人王決勝戦最強後楽園決勝戦、ボクシングの日に開催されるカードという3興行のペアチケットが贈られる特典付きとなった[26]。また、実施後に新たな出品者を得て、期間を別に定めて追加開催された[27]
  1. ^ a b c “ "世界ボクシング会議" WBAの総会で結成を発表”. 読売新聞. AP 朝刊: p. 6. (1963年2月16日). "
    "【メキシコ十四日発 = AP】十四日当地で開かれた世界ボクシング連盟(WBA)第一回総会は、同夜世界ボクシング会議の結成を発表した。総会のスポークスマンのメキシコ・ボクシング・コミッションのスポタ会長によると、新会議に加入するのはWBAのほか東洋ボクシング連盟(OBF)、イギリス・ボクシング協議会、欧州ボクシング連合(EBU)および新設のラテンアメリカ・プロ・ボクサー連合"
     
  2. ^ a b c “リターン・マッチの禁止 違反すれば除名 モンタノWBA副会長談”. 朝日新聞 朝刊: p. 13. (1963年2月23日). "
    "世界ボクシング協会(WBA)副会長ユスティニアノ・モンタノ氏(フィリピン、東洋ボクシング連盟会長)はさる十四日からメキシコ市で開かれたWBA臨時総会に出席、二十二日帰国の途上、東京・後楽園で記者会見をし次のように語った。
    一、世界ボクシング界の統一についてはヨーロッパ連盟、イギリス管理局、ラテン・アメリカ諸国の関係者も賛成し、今後各国ともWBAの統一規則の採用を申合せた。
    二、WBA運営のため欧州、イギリス、東洋、北米、中南米の五地域から代表者を選出して評議委員会を設け、世界ボクシング界の最高議決機関とする。
    (※ 後略)"
     
  3. ^ a b c d (スペイン語) “Trabajos del Consejo Mundial de Box (* 2)”. エル・インフォルマドル英語版. UPI (メキシコハリスコ州グアダラハラ). (1966年8月28日号、8-B頁). http://www.hndm.unam.mx/consulta/publicacion/visualizar/558a38597d1ed64f16e49e7b?intPagina=30&tipo=pagina&anio=1966&mes=08&dia=28  - HNDM (Hemeroteca Nacional Digital de México)から。
  4. ^ a b c (スペイン語) “Trabajos del Consejo Mundial de Boxeo (* 1)”. エル・インフォルマドル英語版. UPI (メキシコハリスコ州グアダラハラ). (1966年8月28日号、1-B頁). http://www.hndm.unam.mx/consulta/publicacion/visualizar/558a38597d1ed64f16e49e7b?intPagina=23&tipo=pagina&anio=1966&mes=08&dia=28  - HNDM (Hemeroteca Nacional Digital de México)から。
  5. ^ a b c (英語) “WBC August Ratings”. ジャパンタイムズ. AP. (1966年8月29日号、6頁) 
  6. ^ 久保田守 (1988年5月15日). “世界”. 日本ボクシング年鑑 1988年版. ベースボール・マガジン社. p. 29 
  7. ^ 「世界のトップ・ニュース」『ボクシング・ビート』2009年10月号、株式会社フィットネススポーツ、平成21年10月15日発行、42頁。
  8. ^ Hall of Famer Jose Sulaiman dies ESPN.com(英語) 2014年1月16日
  9. ^ 訃報 WBCスライマン会長逝く Boxing News(ボクシングニュース) 2014年1月17日
  10. ^ マウリシオ氏、WBC会長就任を否定 Boxing News(ボクシングニュース) 2014年1月19日
  11. ^ WBC新会長にマウリシオ氏 Boxing News(ボクシングニュース) 2014年2月12日
  12. ^ Ramirez-Imam collide in Arum-King reunion Fightnews.com 2018年3月15日
  13. ^ 大物プロモーターのアラム&キングが舌戦!? Boxing News(ボクシングニュース) 2018年3月16日
  14. ^ Ramirez defeats Imam to claim WBC 140lb belt Fightnews.com 2018年3月17日
  15. ^ ラミレスがイマムに判定勝ち WBC・S・ライト級新王者 Boxing News(ボクシングニュース) 2018年3月18日
  16. ^ “世界のボクシング WBA一本に 東洋連盟の会長が提案”. 朝日新聞. AFP 朝刊: p. 13. (1963年2月9日). "
    "【マニラ八日発 = AFP】東洋ボクシング連盟会長であり世界ボクシング協会(WBA)副会長であるユスティニアノ・モンタノ氏(フィリピン)は八日当地で、世界各国でまちまちのボクシング管理団体はWBAに統合されるべきだと提案した。この提案は近くメキシコ市で開かれるWBA首脳部会議に先立って出されたもので、同氏の計画では、欧州ボクシング連盟やイギリスのボクシング管理局およびアメリカのニューヨークとマサチューセッツ両州もWBAに加わるべきだというもの。同氏はさらに世界各国とも同一ルールと同一階級制の採用に統一されねばならないとつけ加えた。(※ 後略)"
     
  17. ^ “日本はWBAを支持 菊池事務局長語る”. 日本経済新聞(日経新聞) 朝刊: p. 13. (1966年9月28日) 
  18. ^ 「J.B.C コミッショナー公報、☆ 公報第一五二号抜萃(昭和41年9月30日)」『ボクシング(平沢雪村主宰)、1966年11月号』、拳闘社“
    "(※ 22頁、上から1段目、右から17行目より)◇ 報告事項 ①WBAはWBCとの関係を絶縁することになつた。(※ 後略)
    (※ 同頁、上から2段目、右から20行目より)⑥WBA、WBCとも日本ならびに日本ボクシング界に対する期待と信用は絶大であつた。彼らが異口同音に「われわれは真鍋コミッショナーにどんな協力でもする」と言つてくれたのは真実味が溢れており、強ち社交辞令だけではないと思われた。(※ 後略)
    (※ 同頁、上から4段目、右から29行目より。◇懇談事項の)④日本のボクシングは今後WBA・WBCの対立があつても、WBAのランキングを採用し、WBAの選手権規定に従つてゆく。”
     
  19. ^ “8日WBCトリプル世界戦 ボクシング”. 朝日新聞. (2011年4月7日). オリジナルの2011年4月10日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20110410131402/http://www.asahi.com/sports/spo/OSK201104070012.html 2011年11月23日閲覧。 
  20. ^ ジョー小泉 (2011年4月6日). “M. Sulaiman moves audience” (英語). Fightnews.com. 2012年1月25日閲覧。
  21. ^ “副会長も日本語で「ガンバレ、ニッポン」”. 日刊スポーツ. (2011年4月6日). https://www.nikkansports.com/battle/news/f-bt-tp0-20110406-757776.html 2011年4月6日閲覧。 
  22. ^ “タイソンら寄贈、善意のグラブを倉庫に放置”. 読売新聞. (2011年11月23日). http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20111123-OYT1T00230.htm 2011年11月23日閲覧。 
  23. ^ 東日本大震災チャリティーオークション実施”. 日本ボクシングコミッション (2012年1月24日). 2012年1月25日閲覧。
  24. ^ 総落札金額のご報告と御礼”. 日本ボクシングコミッション (2012年3月12日). 2012年3月24日閲覧。
  25. ^ 出品物ご提供者”. 日本ボクシングコミッション (2012年1月30日). 2012年3月24日閲覧。
  26. ^ 本日よりオークション開始!”. ボクシングモバイル(東日本ボクシング協会) (2012年1月24日). 2012年1月25日閲覧。
  27. ^ 東日本大震災チャリティーオークション追加実施”. 日本ボクシングコミッション (2012年3月12日). 2012年3月24日閲覧。
  28. ^ よくある質問 日本ボクシングコミッション
  29. ^ Championship and Elimination Rules - Rule 1.31”. WBC. 2012年3月24日閲覧。
  30. ^ 袴田巌さんにWBC名誉ベルト 6日のダブル世界戦で 日刊スポーツ2014年4月4日
  31. ^ WBCが“フランチャイズ王者”新設 カネロが第1号 チャーロ兄正規王者へ昇格 Boxing News(ボクシングニュース) 2019年6月28日
  32. ^ ロマチェンコがWBC“フランチャイズ”王者第2号 20歳ヘイニーがライト級正規王者昇格 Boxing News(ボクシングニュース) 2019年10月25日
  33. ^ ロペスが世代交代宣言! 判定でライト級4団体統一 有利予想のロマチェンコはまさかの敗北 Boxing News(ボクシングニュース)2020年10月18日
  34. ^ WBCがエストラーダをS・フライ級フランチャイズ王者に認定 ロマゴン、シーサケット、クアドラスと“トーナメント” Boxing News(ボクシングニュース) 2021年3月27日
  35. ^ 山口、WBCユースタイトルに挑戦 ボクシングモバイル 2012年7月6日


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