タイタニック号沈没事故 その後

タイタニック号沈没事故

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/11 08:26 UTC 版)

その後

嘆きと怒り

目撃者の報告によると、タイタニックの生存者がニューヨークで下船した際に「多くの悲しい場面」が見受けられた。

沈没事故から3日後、4月18日の夕方にタイタニックの乗客乗員を収容したカルパチアが叢氷、雷雨時化などに見舞われる多難な航海を経て、ニューヨークの54番埠頭に到着した[175][176]。波止場には各船舶からの無線報告で沈没事故を知らされていた40,000人もの群衆が集まっていた。事故の全貌が一般にも知られるようになったのはこの後であった[176]

カルパチアがニューヨークに着く前から、遺体を回収するための努力が続けられていた。ホワイト・スター・ラインにチャーターされた4隻の船が328体の遺体を発見し、119体は水葬され、残る209体はカナダノバスコシア州ハリファックスの港に持ち帰られた[175]。150体はここに埋葬された[177]。ニューヨーク、ワシントン、サウサンプトン、リヴァプール、ベルファスト、リッチフィールドなど、さまざまな場所に記念碑が建てられた[178]。大西洋の両岸で死者を追悼し、生存者を支援するための資金を募るセレモニーが行われた[179]。タイタニックの犠牲者の遺体のほとんどは発見できず、73年後に海底の瓦礫の中から死の証拠とされるものが見つかっただけであった。靴が1足揃えて置いてあるのが海底で見つかり、遺体が分解されるまでそこにあったことが推測される[23]

世間の事故への反応はショックと憤りであり、それらは多くの事柄や人物に向けられた。なぜ乗客・乗員数に見合う数の救命ボートを載せていなかったのか、なぜ他の人々が多数亡くなったのにイズメイは自分の命を救ったのか、なぜタイタニックは氷原を最高速度で進んでいたのか、といったものである[180]。生還者も少なからず義憤を感じていた。カルパチアでニューヨークへ向かう道すがら、ローレンス・ビーズリーやその他の者たちは海上保安のための啓発活動をすると心に決めており、「タイムズ」宛てに海事安全法規の改正を訴える公開書簡を書いた[181]

タイタニックに縁のあった場所でも大変嘆きが深かった。サウサンプトンは699名のクルーの母港であり、多数の乗客の故郷でもあった[182]。愛する人々の死の知らせを聞いたクルーの親族などからなる女性たちは、泣いてサウサンプトンのホワイト・スター・ライン事業所の外に押しかけた[183][184]。ベルファストの教会は人で溢れ、造船所の職員たちが通りに出て泣いていたという。タイタニックはベルファストの工業発展の象徴であり、造船に携わった人たちは自分たちにも事故について何がしかの責任があるのではないかと感じていたため、嘆きだけではなく罪の意識もあった[185]

調査と法的措置

"Fisher"による"Time to get busy" 、1912年。事故に対する一般の人々の怒りを受け、政治家たちは船舶業界に新しい法規制を敷くことにした。

沈没の後、イギリスとアメリカ合衆国で公的調査が行われた。アメリカの調査は、ウィリアム・オールデン・スミス上院議員を議長として4月19日に始まった[186]。イギリスのロンドンでも1912年5月2日に初代マージー子爵ジョン・ビンガム英語版のもとで調査が始まった[187]。どちらの調査も大方同じような結論に至ったが、それは以下のようなものであった

  • 船が積まねばならない救命ボートの数についての規制は時代遅れで不適切だと見なされた[188]
  • スミス船長は氷山の警告に適切な注意を払っていなかったと考えられる[189]
  • 救命ボートへの適切な乗船と人員配置が行われていなかった。
  • 衝突は蒸気船が危険区域をあまりにも高速で航行したことが直接の原因であった[188]
  • カリフォルニアンのロード船長は、タイタニックを支援しなかったことで、調査において強く批判された[190]

英米どちらの調査においても、国際海運商事(親会社)やホワイト・スター・ライン(タイタニックの所有者)による過失は原因と認められなかった。アメリカの調査では、関係者は通常の慣行に従っており、事故は「不可抗力」としか言えないものであろうと述べた[191] 。イギリスの調査では、スミスは今までは危険と見なされていなかった長きにわたる慣行に従い、他の人々でも行うようなことをしていただけだと述べた[192]。この調査では、イギリスの船舶は過去10年で73人の命しか失わずに350万人もの乗客を輸送してきたことについて着目していた[193]。イギリスの調査では、タイタニック号で起こった「誤り」が将来も繰り返されたなら、「過失」として扱われることになるであろうという警告も行った[192]

この大事故により、海事法規について新しい安全対策を施行するよう大きな改正が行われた。もっと多くの救命ボートを確実に搭載すること、救命ボート訓練が適切に行われること、乗客のいる船の無線機には24時間スタッフをつけることなどである[194]。国際海氷パトロールが北大西洋の氷山の有無をモニターするために組織され、海事安全規則は海上における人命の安全のための国際条約によって国際的に統一された。双方ともに今日でも実施されている方策である[195]

文化的影響と沈没船の残骸

2004年6月に撮影された海底に沈んでいるタイタニック号の船首部分。腐食しているのが見て取れる。

タイタニックの沈没は文化現象となり、沈没直後から現在まで、芸術家、映画作家、作家、作曲家、音楽家、ダンサーによりこれを記念する作品が作られてきた[196]1985年9月1日には、ロバート・バラード率いるアメリカとフランスの合同遠征隊が、海底でタイタニックの残骸を発見した[197]

船の再発見により、タイタニックの物語に対する関心が爆発した[198]。残骸の撮影や遺物のサルベージなども論議を生んだ[195]。再発見された遺物の最初の大きな展示会は、ロンドンの国立海事博物館で、1994年から1995年にかけて行われた[199]

1997年ジェームズ・キャメロン監督のアメリカ映画タイタニック』が、史上初めて興行収入10億米ドルを超えた映画となり、映画のサウンドトラックも、史上最も売れたサウンドトラックとなった[200]

残骸は、現在も腐食を続けている[201]。最終的にはタイタニック号の船体は崩れて、海底にサビの断片が散らばるだけになり、残った船殻のスクラップは、もっと長持ちするプロペラスクリュー、ブロンズの車地、コンパス、テレモーターなどのような備品類と混ざってしまうと考えられる[202]




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