ハーランド・アンド・ウルフ
ハーランド・アンド・ウルフ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/04 04:58 UTC 版)
「トーマス・アンドリューズ (造船家)」の記事における「ハーランド・アンド・ウルフ」の解説
ハーランド・アンド・ウルフでは、アンドリューズは最初の3ヶ月間を指物師の店で、次いで1ヶ月間を家具職人の元で、さらに2ヶ月間を船の上で働いた。5年の見習い期間のうち、最後の18カ月は、製図室での勤務となった。アンドリューズは会社の様々な部門を苦労して勤めあげ、1901年に建設工事部の部長になった。同年、彼は王立造船技師協会のメンバーとなった。1907年、アンドリューズはハーランド・アンド・ウルフの常務取締役兼設計部門部長に任命された。見習い、実習、勤務で過ごした長い期間、アンドリューズは、社内でも造船所の従業員の間でも、よく好かれていた。 1908年6月24日、アンドリューズはヘレン・ライリー・バーヴァーと結婚した。ヘレンは、ジョン・ドハーティ・バーヴァーの娘であり、ミルン・バーヴァーの姉である。2人の娘エリザベス・ロウ・バーヴァー・アンドリューズ(イニシャル ELBA )は、1910年11月27日に生まれた。夫妻はベルファストウィンザー・アベニュー 12 の「Dunallan」に住んだ。エリザベスが生まれる直前のある夜、アンドリューズが、タイタニック号を見せようとヘレンを連れてきたことがわかっている。トーマス・アンドリューズの死後、ヘレンはハーランド・アンド・ウルフ関係者のヘンリー・ピアソン・ハーランドと再婚し、1966年8月22日、北アイルランドで亡くなった。
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