かちかち山 かちかち山の概要

かちかち山

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/01 03:51 UTC 版)

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『かちかち山』(尾形月耕

題名の「かちかち山」とは、タヌキが背負ったにウサギが火打石で火をつけようとした際、石の音を怪しんだタヌキに対して答えたウサギの言葉によるといわれる。江戸時代には「兎の大手柄」とも呼ばれていた。

東くめ作詞・瀧廉太郎作曲の童謡が存在している。

あらすじ

媼に話しかけるタヌキ

昔ある所に畑を耕して生活している老夫婦がいた。

老夫婦の畑には毎日、性悪なタヌキがやってきて不作を望むような囃子歌を歌う上に、せっかくまいたをほじくり返して食べてしまっていた。業を煮やした(おきな)はやっとのことででタヌキを捕まえる。

翁は、(おうな)にタヌキを狸汁にするように言って畑仕事に向かった。タヌキは「もう悪さはしない、家事を手伝う」と言って媼を騙し、を解かせて自由になるとそのまま媼をで撲殺し、その上で媼の肉を鍋に入れて煮込み、「婆汁」(ばぁ汁)を作る。そしてタヌキは媼に化けると、帰ってきた翁にタヌキ汁と称して婆汁を食べさせ、それを見届けて正体を表すと、「婆汁食べた、婆汁食べた!流しの下の、骨を見ろ!」嘲り笑って山に帰った。翁は追いかけたがタヌキに逃げられてしまった。

タヌキの背負う柴に火を付けたウサギ

翁は近くの山に住む仲良しのウサギに相談する。「仇をとりたいが、自分には、かないそうもない」と。事の顛末を聞いたウサギはタヌキ成敗に出かけた[1]

まず、ウサギは金儲けを口実にタヌキを柴刈りに誘う。その帰り道、ウサギはタヌキの後ろを歩き、タヌキの背負った柴に火打ち石で火を付ける。火打ち道具の打ち合わさる「かちかち」という音を不思議に思ったタヌキがウサギに尋ねると、ウサギは「ここはかちかち山だから、かちかち鳥が鳴いている」と答え、結果、タヌキは背中にやけどを負うこととなった。

翌日、ウサギはタヌキに良く効く薬だと称してトウガラシ入りの味噌を渡す。これを塗ったタヌキはさらなる痛みに散々苦しむこととなった。

沈む泥船から助けを求めるタヌキだが、艪で沈めさせるウサギ

タヌキのやけどが治ると、最後にウサギはタヌキの食い意地を利用してに誘い出した。ウサギは木の船と一回り大きなの船を用意し、思っていた通り欲張りなタヌキが「たくさん魚が乗せられる」と泥の船を選ぶと、自身は木の船に乗った。沖へ出たところでウサギは「木の船すいすい、泥船ぶくぶく」と船端を叩きながら歌い、「この歌を歌えば魚がたくさん寄ってくる」とタヌキを騙す。タヌキが教わったとおりに歌いながら船端を思いっきり叩いた途端、泥の船はくずれて沈みだし、タヌキはウサギに助けを求めるが、逆にウサギに「婆様を殺した罰だ、思い知れ」とで沈められ、海に溺れてタヌキは死に、ウサギは見事に媼の仇を討ったのだった。

解説

基本構造

室町時代末期には現在の形で成立していたとみるのが一般的である。

ウサギは知恵者、人間の味方として描かれ、タヌキは他の昔話や民話でもそうであるように、人間をだます者、人間を化かす者として描かれる。平安時代からすでにみられる、キツネ・タヌキ・ムジナを人間や地蔵や物に化けて人間を困らせるものとして描く類型のひとつ。

この物語は三部構成、あるいは三つの話の複合形態をとっているとみることができる。

第一話:人間に悪戯をする動物が捕らえられる話(翁がタヌキをとらえる)
第二話:人間に捕えられた動物が知恵で人間をやりこめる話(タヌキが媼を殺して逃げる)
第三話:人間は出てこず、動物同士の争いの話(ウサギがタヌキを懲らしめ仇討ちをする)

ウサギがタヌキを懲らしめるために行う火責めと水没といった事柄は、決してタヌキを無意味に痛ぶるために行われているのではなく、世界各地や日本でも古代から中世にいたるまで政治的にも行われていた裁判の一形態である、いわゆる「盟神探湯」の考え方にちなんでいる。ウサギは裁判官の役目を担わされているのである。もし、タヌキが無実であるならば、やけどもしないし溺れもしないはずだという暗黙の前提で書かれている物語である。

現在の唐辛子はもともと日本になくポルトガル人の渡来以降に持ち込まれたとする説をとって、第三部は本来は火責めと水没のみであり、その間に挿入された唐辛子を使う部分は江戸時代になってから付け加えられたとする見方もある。ただし、ここで使われる刺激物は話によって唐辛子のみならずからしタデの汁、味噌などのバリエーションがあり、刺激物が変わっただけの可能性もある。

また、人を殺して料理したタヌキを罰している点から、カニバリズム(食人)に対する極めて強い憎悪を想起させ、日本の数ある説話や昔話の中でも異色といってもよい。

評価の変化・内容の改変

『かちかち山』(財団法人東洋文庫蔵、江戸時代)。タヌキの背負う柴の束にウサギが火をつける場面。

質素倹約を旨とした徳川吉宗は、武士の通う藩学だけでなく武士以外の通う寺子屋の教育内容も儒教的な道徳を取り入れるよう指導し、『六論衍義大意』という、今でいう教科書のようなものを配布したりもしている。 勧善懲悪の『桃太郎』なども、村から財宝やを盗んだであるにもかかわらず、鬼は何も悪くないのに成敗されたとして鬼に感情移入してしまう読み方があるが、同様に、かちかち山においてもウサギに懲らしめられるタヌキが気の毒であると読む人もいる。そこで、江戸時代には、タヌキに同情すべきところはないとするために、タヌキが懲らしめられるシーンの一部を削ったものが存在する。江戸時代後期の帆足万里は『記翁媼事』で、第三部のうちタヌキが火傷をさせられるシーンを省いている。媼を殺して翁に媼入りの(とろみのあるスープのこと)を食べさせてまんまと逃げたタヌキ、それに続くのは、タヌキがケガをして寝込んでいたらウサギが医者としてやってきた、というシーンである。「かちかち山」の題名の由来になるはずの火打石でかちかちという行動も台詞も、もちろんまったくない。

そうした「悪人を悪人として描く」ための江戸時代にはすでにあった改変とは別に、遅くとも戦時中までには[2]、他の昔話でもそうなのであるが、現代的な基準[要出典]において「残酷」とされるシーンを割愛あるいは改変した出版がなされるようになった。例えば、老婆は殺されずに重傷を負って一時的な寝たきりとなっていたり、あるいは最後のシーンでウサギもタヌキの命までは取らない(その場合はタヌキは最後に改心する)などとなっている。

なお、かちかち山の後にぼうぼう山となっている所が多い中、「ぼうぼう鳥の啼き声」だとする物語もある[3]

地方ごとの差異

他の昔話同様、いくつかの地方に細部の異なる民話の存在が知られている。タヌキがウサギと再会するたびに「よくもやってくれたな」ととがめるが「それはよそのウサギだろう、自分は知らないよ」とウサギがとぼける掛け合いが入っていたり、東北地方ではウサギとクマの話としても聞かれる。

また、新潟県には、タヌキを殺したウサギが人間の家に上がり込み、死んだタヌキを料理して食べてしまうが、その家の人間に見つかり殺されるというパターンが存在する[4]


  1. ^ ここまでの部分が原話に存在せず、後味の悪さから後になって付け加えられたとする説もある。
  2. ^ 太宰治『お伽草紙』(1945、作中年代は戦中末期) より「現今発行せられてゐるカチカチ山の絵本は、それゆゑ、狸が婆さんに怪我をさせて逃げたなんて工合に、賢明にごまかしてゐるやうである」
  3. ^ 学習百科大事典(学研)等
  4. ^ 笠原政雄,中村 とも子 『雪の夜に語り継ぐ』 福音館書店、2004年。 
  5. ^ 高松地方裁判所・広報活動 『裁判官が小学校の研究授業に参加
  6. ^ 法テラス長崎・お知らせのバックナンバー 『模擬裁判「かちかち山タヌキ殺し事件」 Archived 2011年11月23日, at the Wayback Machine.』


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